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更新リスト
2004/12/02 暗黒館読みました
2004/12/24 蠕動説
Title: 暗黒館読みました
Genre: 今日の一言
Date: 2004/12/02
Option:

 レイホウ19歳さんが、ウルティマオンラインでプレイヤーキラーに遭遇されたところ、オレオレ詐欺の応用で事なきを得たとのこと

 いろんな意味で凄い人は世の中にいるものです。

 あとこれ。

 

 バーが画面端までぶっ飛んでるのは最大1000程度を想定していたからですが、なんで減ったアクセスがまた増えてるんだ(;´Д`)?



 というわけでこんばんは。今日は暗黒館の殺人を読みましたよ、長かった。


 ちなみにこれ上巻654ページ下巻646ページという、京極夏彦に挑戦でもしているのかといいたくなるほど分厚さなんですが。分厚いの流行ですか。昨今の。

 この作品について何か語ると、それだけでネタバレになれかねない内容ですので、具体的な内容は差し控え、抽象的な感想を申しますと『館シリーズが好きな読者とミステリ好きな読者の両方を絡め取る構造』だったかなぁという感じでした。

 なんというか、どっちも好きなら二度美味しい、みたいな。

 僕としても、読んでいて構造的なトリックも人物関係も早期に解って読んでいたにも関わらず(多分意図的に解らされた)、その仕掛けの本当の理由について考えられないほどの情報量があったために、結局最後までトリックも犯人も判らなかったというオチ。おそらくそこからそこまでが綾辻行人氏の用意した引っ掛けだったのでしょう。

 読後の感想を100分率であらわすと
 30:やはりかっ
 60:あー疲れた
 10:次はいつ出るんだろう

 でした。

 さぁ次は凍るタナトスだ(≧▽≦)○





 余談ですが平成15年度「国語に関する世論調査」の結果で『憮然』という言葉の意味について調査されていたんですよ。

 
憮然  例文:憮然として立ち去った
   〔全体〕
      (ア) 失望してぼんやりとしている様子  ・・・・・・ 16.1%
      (イ) 腹を立てている様子       ・・・・・・ 69.4%
      (ウ) (ア)と(イ)の両方   ・・・・・・  2.7%
      (エ) (ア)や(イ)とは全く別の意味  ・・・・・・  3.4%
          分からない            ・・・・・・  8.3%


 で、正解は(ア)なわけなんですが、僕は(イ)と憶えていたんですよね。

 なんでそんな憶え方をしていたか不思議だったのですが、もしかして綾辻先生の小説が原因かも(;´Д`)

 暗黒館で、登場人物が揶揄られてる場面があったのですが、そこで『憮然として文句をいった』みたいな表現があったんですよ。

 ということは、似たような場面で綾辻先生はこの単語を使われていると思われるわけで、初期の十角館辺りは高校の時分に呼んだものですから、当時の僕は、これは腹をたてているという意味だなと推測したのではないかなぁと。

 gooの国語辞書では『(1)思いどおりにならなくて不満なさま』ともあるとおり、強ち間違いというわけでもないような気もするのですが……。



 同じく上記の世論調査では『姑息』という意味を69.7%の人が『ひきょうな』という意味だと答えているのですが、本当は『一時しのぎ』という意味らしいのです。

 これなんかは例えば時代劇とかで忍者がマキビシを撒いたのを見て『えぇい、姑息な手を使いおって!!』と叫んだお侍さんがいたとすると、視聴者は「ははぁ、これは『卑怯な』という意味だな」と解釈するわけです。

 こういった例や、上記のgoo辞書での憮然の意味が『腹をたてている』のように読み取れることから鑑みるに、ある程度多数の人が勘違いして浸透している可能性か、片方の単語の認知度が高い『似たような状況で使う意味の言葉』であるために『本来の意味で使っているにも関わらず読み手が勘違いする言葉』というのは意外と数多くありそうですよ。



 

 ■ そもそも言葉が乱れている、誤用だ、といわれるパターンはいくつか種類がありまして。


・ 古い時代から長きに渡って固定的な意味合いで用いられてきた言葉が、その知られている意味とは違う意味で用いられた場合(春などの固有名詞)。

・ 古い時代から長きに渡って用いられてきたもののその意味が転々としてきた言葉で、その時代のその意味とは違った意味で使われた場合(など)。

・ 法律上明らかに定義されており、法律の下で用いられる場合に違った意味で用いられた場合(善意、悪意など)。

・ 造語が、その時代で使われている意味とは違った意味で用いられた場合(萌えなど)。



 ごめんなさい、ぶっちゃけ良い例が思いつかなかった。萌えとか明らかに造語じゃないですよ。

 と、とりあえずですね。

 よく考えてみたら、このうち誤って用いられると問題があるのは一つ目の固有名詞と、三つ目の定義された固定的な言葉だけだと思うんですよ。それ以外は誤用というには弱い。特に圧倒的な多数が解釈間違えているような言葉については、誤用というよりむしろ変兆とでもいって欲しいくらいです。姑息の正しい意味を主張しても間違える人は多分増え続けそうな気がしますし。

 ようするに、『間違いであれなんであれ、言葉は日々変化するものなのだから多いもの勝ちなんじゃないかなぁ』と。1%の人が『これが正しい意味だ』というよりも99%の『こっちでもいいじゃん』が勝つ気がしますのですよ。

 ならば、そういう視点から見れば、誤用という言葉は『絶対的に間違っている』ではなく『相対的に間違っている』ということになりますよね。あくまでも流動的になりうる言葉についてのみですけどね

 ということで、これに留意した上で、誤用通用について考えましょうってことでしめたいと思います。

 そういう意味で『本来の意味で使っているにも関わらず読み手が勘違いする言葉』というのはある意味言葉の変化の最先端だなぁと思った一日。

 それにしても余談の方が長いいつもの春(誤用)。



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Title: 蠕動説
Genre: 今日の一言
Date: 2004/12/24
Option:

 のっぽさんのところきわどい話題がΣ(゚ロ゚)

 えほばな方から勧誘されたお話が載っているのですが



大体こういう人って思考が停止してるので自分で真実を知ろうと勉強したりしないんですよね

 この部分の「こういう人」というのが、何らかのインプットされた情報を丸っきり信じてそのままアウトプットする人、という意味でなら諸手を上げて同意です。

 特に世界観の確立している人ほどこういう人は多い。宗教家しかり科学者しかり頑固じーちゃんしかり、ってやつですね。『自分の知っている常識なんて糟みたいに頼りないものだ』なーんてきちんと自覚している人は意外と少なくて、自分の知っている程度の狭すぎる世界で得た経験だけで「我世界知りたり。汝にその世界を知らしめたらん」等という人が多くて困ります。お節介もほどほどに、小さな親切大きなお世話。勝手知りたる自分の便所、ですよ。

 ところで


えほば「例えばね、水が凍る時って上から凍っていくじゃない?」
オイラ「あー、そうですねー」
えほば「不思議よねー、満遍なく凍りそうなものなのに、上からだんだんと、なんて」
オイラ「はあ」
えほば「そういう自然現象ってやっぱり、神様がお決めになったんだと思うの
オイラ「え…あー…まぁ言いようによっては…」
えほば「あ、ちょっと待ってね、ほらこれこれ」
(小冊子を取り出す)

 とりあえず例によってそばに小さい娘さんが座っていたのでオイラも特にツッコミを入れず終始生返事で応対してたんですが、おばちゃんよ。不思議なのはあんたが無知だからだ。
 水が水面から凍っていくのは気化熱と比重の問題です。ていうかこれって中学レベルの理科ではないのかな。少なくともバカに勧誘されても心動かんつの。



 この部分なんですが、このおばちゃん、本当に上からだんだんと水が凍っていく原理が解らず不思議だといってるのかな?
 それこそ義務教育をマトモに受けていないのならともかく、凍結における水の変化くらいテレビでも見ていればわかりそうなものですよ。むむむ?

 もしやそのおばちゃん『気化熱と比重の問題』だとは既存の知識として知りながらも『その原則は誰が決めたか不思議ではないか?』と聞いているのではないでしょうか。文字通り「神様が御手を振られて水を上から凍らせていってるに違いない!」などと信じているとはさすがに現状日本において考え辛いような気がしまする。

 J・E・ラヴロックの『地球生命圏』で『つまり生命とは、ほとんど無限の可能性のうちに起こったまず絶対に起こりえない出来事なのである』といわれていますが、その奇跡を起こしたのは誰か不思議じゃない?それを決めたのが神様なんだよ。という意味での問いだったのならありじゃないかな?

 まぁ他人が知識を持っているかどうかなんて知りようもありませんから推測はここまでで置いておくとして、方法論的に『不思議→簡単な理由付け』によって得られた『あ、なるほどという共感』というものは勧誘には有利なんでしょうね。井戸端式勧誘法というか、トリビアチックな知的快感というか、それにくっつくノルマティックな利益供給というか。

 僕なんかは天が動いているのではない、地が動いているのだ!という説に対して「あ、なるほど」とうっかり共感してしまいそうで怖いです。ビバ科学教。危ない危ない。天も地も満遍なく動いてるっつの。



 ところで余談ですが『科学』と『宗教』は相補的な関係ではあるものの『相反するものではない』し『代替物になりうるものでもない』ことくらい今更知らない人いないですよね……?

 どれだけ科学の光が無知の闇を照らそうとも、照らせば照らすほどその奥に闇は現れてきます。見えない部分もいずれ徐々に科学的に説明がつくでしょうが『その時点で見えない間は、そこは神様の領域だとでも思っておけばいいんです』。科学ではまだまだ解らないことがある。だけで済ませておく人がいたら、それはよっぽど非科学的というか文化的に従順じゃないというか反抗期だそれはΣ(゚ロ゚)


 実際世界最強の思考能力の持ち主も、停止した思考の持ち主も、比率は違えどある真実を認識し、ある真実には無知であるということはどちらも同じですので、宗教の熱心さの度合いは知識の有無には絶対的な関係はありません。未知の部分は神様。これ。というかこれ一本でいけるわけですし。そういう意味で知識の獲得への意欲は別件といえます。それは宗教以前にその人の性質というものです。

 そもそも偉大な科学者にも敬虔なキリスト教信者はいる──というか、ちゃんと宗教が尊重されてる国ならそれくらい常識なんでしょうしね。

 特に日本で育ち日本の習俗を憶えていくと勘違いしがちなのですが、日本ほど宗教に無関心な国は他にありません。これは『科学的知識、世界に対する知識が豊富であるから』ではなく、もともとそういう宗教観であった、という民俗学的性質に由来します。神様からして八百万の神の存在を認めるが如くそもそも『適当』な文化ですしね。だからこそ、ある特定の宗教に熱心すぎると変な目で見られる。自分の信念以外のものを崇める様を見慣れてない分もあるでしょうけど。


 科学と宗教は相補的な関係になりこそすれ、本来代替物にはなりえない関係というのは先にいったとおりです。相反する物でもない。『幽霊は科学的に存在しない』というのが自己矛盾しているのはこのせいでしょう。何しろ『科学で解き明かせないものこそが幽霊』なわけで、文学的に言えば幽霊は『科学では動かせない人の心のなかにいる』といいますか。まぁ最近の幽霊は意思を持って色々と動き回るらしくて、何か『そっちが本業』になってるような感じではありますけどね。神様幽霊役割違えど仕組みは同じ、ですよ。
 宗教は付随するものが違いすぎてなんともいえないんではありますが。


 まぁ、なんです。とりあえず神様と救いがあれば宗教なんじゃないでしょうか?(ぇー



 ところで我が家も激しく無宗教なんですがどうしよう。
 神棚は勿論のこと、仏壇すらありません。十字架もなければ線香の香りもしません。何か確固たる理由があるからじゃなくて『何となく、いらんし』というあたりに我が家の適当さがうかがい知れますが、でもそれ冠婚葬祭することになったらどうするんだ。



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