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"SWING ADDICTION"
<INTRODUCTION>
by 田家秀樹

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氷室京介とGLAY。
無敵のロック・ボーカリストと最強のライブバンドの競演。
日本のロック史上最大の対バンである。


その報せを受けた時、思わず電話口で声を上げてしまった。 どう言えば良いのだろう。意外だったとか、予想もしていなかったとか、そういう唐突な驚きではない。感動したとか、 胸がいっぱいになったとか、そういう感傷的な感じでもない。 来るべき時が来たという武者震いのような確かさであり、反面、いきなり来てしまったという呆気にとられたような感覚でもあった。 一言で言えば、「ワーオ」というガッツポーズに似た感嘆符に尽きるだろうか。つまり、そう、興奮したのだ。 大物同士のジョイントやコラボレーションがすでに珍しい時代ではなくなっているとは言え、この組み合わせは特別である。 それぞれの実績や存在感、そしてお互いの関係性。 どれを取っても史上最大という言葉に相応しい。そうした例の中には、話題性のためにあり得ない組み合わせを仕掛けようとする サプライズ・ビジネスの産物も少なくない。 この組み合わせに、そんな業界臭さが介在する余地はない。 言うまでもなく氷室京介は、日本のロックシーンを変えた歴史的なバンド、BOφWYのリーダーでありボーカリストである。 88年にソロ活動に転じてからはメディアにも殆ど登場せずに自分の求める音楽を追い続けている。 90年代の半ばからはロスに拠点を移し、その孤甲フカリスマ性は一層色濃くなっている。 BOφWYが日本のロックシーンに与えた影響はいくつもある。例えば80年代後半に日本中を席巻したバンドブームの 発火点となったのが彼らだ。 当時、アマチュアのバンドコンテストで出場者の大半がBOφWYのコピーだったという事実が全てを物語っている。 彼らを通してロックに目覚め、バンドに夢を見た10代の少年たちがどのくらいいただろう。 "ビートバンド"というスタイルは彼ら無しにはあり得なかった。 そして、そうやって生まれた現象に対して「こんなクソみたいなブームのためにバンドを始めたんじゃねぇぜ」と喝破したのも 氷室自身だ。 ただ、ソロになってからの氷室京介の活動はバンド時代とは明確な一線が引かれている。過去を引きずらない。 バンド時代と違うビート。或いは、当時作れなかったグルーブへの ストイックなまでのチャレンジ。拠点をロスに移したのもそのためだ。 彼が、正面からBOφWYと向き合ったのは2004年夏。「21stCENTURY BOφWYS VS HIMURO」と 名付けた東京ドームでのたった一夜のコンサートである。途絶えることのない再結成の噂や粗製濫造的なトリビュート企画に対して、 自ら"VS"という形で決着をつける。 それは氷室京介の生き方そのものように見えた。バンド解散後15年。 ソロアルバム「FOLLOW THE WIND」で、「違う地平に到達できた」という確信があってこそだった。 東京ドーム5万人の壮絶な大合唱が納められている同名のアルバムはロック史上最強のライブアルバムだろう。

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