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"SWING ADDICTION"
<INTRODUCTION>
by 田家秀樹

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この対バンの報せを受けた時に「来るべき時が来た」と思ったのは、GLAYは、まさしくそんな時代のバンド熱のうねりの中で 誕生したバンドだからだ。結成は88年。BOOWY解散の翌年。氷室京介のソロデビューの年だ。 たった一夜の「BOφWYトリビュート」の客席で歓声を上げていた5万人の中にGLAYのメンバー全員もいた。 氷室京介とGLAYは、そういう意味で言えば同じ川の流れの中にいる。 とは言え、それぞれが切り開いてきたシーンや見せてくれた景色はかなり違う。 GLAYがデビューしたのは94年。一昨年、デビュー10周年の記念イヤーを終えたことは記憶に新しい。 その間、彼らが塗り替えてきた記録はいくつもある。 ベストアルバム「REVIEW」の400万枚という当時の最多セールスは、その後のベストアルバムブームの先駆けとなった。 99年に幕張メッセに20万、2001年には北海道・東京・九州と列島を縦断する形で25万人、2004年に大阪ユニバーサルスタジオ・ジャパン に10万人を集めた「EXPO」は、日本のコンサート史上のモニュメントとなった。 BOφWYは、商業的な意味でもピークを迎えようとしたその直前で自から幕を閉じた。 GLAYは、そうではない。ポップミュージックという戦場のど真ん中で、バンドの絆と自分たちの作品性を武器に勝ち抜いてきた バンドである。88年に氷室京介がソロ一枚目のアルバム「FLOWERS for ALGERNON」でレコード大賞のベストアルバム賞を 獲得した時の「ポピュラリティーのあるロックアルバムが作りたかった」という発言は、そのままGLAYの軌跡と重なり合う。 "ロックバンドの質"と"量としてのポピュラリティー"を一体化して見せたのがGLAYだった。 彼らは何度となく「俺たちの記憶の中には数字では超えられない存在がいる」と口にしてきている。憧れは超えられない。 BOφWYや氷室京介がそこに含まれているのは明白だった。 日本の音楽シーンにロックバンドの先例は多くない。そして、その大半が"少年達の夢の実現"という文脈で語られてきた。 同時に、そのことがロックバンドの寿命の短さに繋がっているとも言えないだろうか。 誰もが子供のままでは生きられない。バンド少年の夢が叶った後も音楽人生は続いて行く。 それはバンドのメンバー個々人にしてもそうだ。20代が30代になり、生活の形も変わり音楽に託すことも違ってくる。 人間的成長と音楽的充足の両立。2000年以降のGLAYは、そんな新しい地平を歩いているように見える。 その中で、すでに40代に入りなおかつ創造的な尖鋭さと渇望感を持ち続けている氷室京介に、"少年時代の憧れ"とは違う説得力を 感じるようになったとしたら、それは必然的なものではないだろうか。今回のステージは彼らにとっては"もう一つの夢の実現"であり" 成長の確認"でもあるはずだ。そして、氷室京介は、自らが叶えられなかった"バンドのままの成熟"をGLAYに見ているのかもしれない。 バンドとソロの違いこそあれ、頂点に立つ者同士のプライドとクオリティ。お互いを認め合うからこその最高のパフォーマンスの 応酬になるに違いない。BOφWYの"φ"は、どこにも属さず誰にも似てない、という意味がある。10周年を終え、新たな活動に向けて レコード会社も事務所も一新して次の戦いに備えているGLAYはまさしく"φ"だ。そういう意味では、今だからこそ成立したのだと思う。 氷室京介とGLAY。無敵のロック・ボーカリストと最強のライブバンドの競演。日本のロック史上最大の対バンである。 2006年8月5日、6日。二つの"φ"はその夜、どんなドラマを見せてくれるのだろうか。

[text by 田家秀樹]


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