はじめに
円光大師二十五霊場は、動乱による不安や混乱に迷う万民に、お念仏のご本願による救済の道を示された 円光大師(法然上人)に御縁のある御遺跡霊場寺院であります。 |
(注:見映え良くするため着色してあります)
当寺の本堂入り口に、上記のような額があり、「円光大師二十五霊場写」として霊場番号と御歌と寺号が記されてあります。 拙僧は当寺で生まれ、子供の頃から目にしておりましたので気にもしておりませんでしたが、住職となり近隣寺院にお参り させていただくようになりましてから、あちらこちらの御寺院で同様の額が有ることに気付きました。 そこで調べたところ下記の地図の印の寺院に、ある程度ですが連番であることが判りました。そこで、同じ額を所有され ている寺院の先輩住職や老僧さま方にお尋ねしましたが、ご存知の方は居られませんでした。 |
県内には「大和二十五霊場」という集まりも有るようです。ですから、ここからは拙僧の推測になりますが、年代は不明ですが 山国のことで町へ出る大きな道も少なく交通手段も無かったこと、遠くて日数や費用もかかるため、本来はホントの霊場へ参 るのが筋だろうけれども、当時の住職達が少しでも近場で出来るようにと設定されたのではないでしょうか? |
・・・で、推測は続きますが、霊場写しの額が現存する寺院の位置からして、地図内の印のあたりに残りの寺院が設定されて いたのではないでしょうか? 但し、現在、ご住職の居られる浄土宗寺院で考えますと、17番21番22番は設定困難になります。 |
現時点では、上記のことしか判別しておりませんし推測の部分もかなりありますが、再度調べ直し、将来的には「参拝の集まり」 を作り、この吉野の地での二十五霊場参りを実現できればと考えております。 平成14年5月13日 |
中増・安養寺の檀家:A・Yさんより「霊場写しの額が見つかった」との連絡を頂き、安養寺様へ出向く。拙僧の落ち度か・・・ 前回までの調査では発見できなかったが、こちらの額の裏面には年号が記されてある。下の画像の如くである。 |
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『 天保拾壱年四月佛日成就 』と記されてある。ちなみに当山の額裏面には何も記されていない。また、以前に問い合わせの 有った浄土宗総合研究所のI先生によれば、同じ天保年間(1830〜1843年)に、大阪方面でも霊場参拝の記録があったよう ですが、いずれにせよ私的には、初めて年号の入った額が出てきて、再度調査を始めようかと喜んでいる次第です。 |
吉野地方における円光大師二十五霊場寺院名 |
札番号 | 本霊場寺院名 | 当該寺院名 | 住 所 | 備 考 |
第 1 番 | 誕生寺 | 不明 | ||
第 2 番 | 法然寺 | 不明 | ||
第 3 番 | 十輪寺 | 龍洞院 | 下市町阿知賀 | |
第 4 番 | 如来院 | 地蔵院 | 下市町阿知賀野々熊 | |
第 5 番 | 勝尾寺二階堂 | 牟田寺 | 吉野町六田 | |
第 6 番 | 四天王寺念仏堂 | 安養院 | 大淀町北六田 | |
第 7 番 | 一心寺 | 妙楽寺 | 大淀町馬佐 | |
第 8 番 | 報恩講寺 | 法輪寺 | 大淀町比曽 | |
第 9 番 | 當麻寺奥院 | 安養寺 | 大淀町中増 | 2011年、額が出てきた |
第10番 | 法然寺 | 専念寺 | 大淀町西増 | |
第11番 | 東大寺指図堂 | 不明 | ||
第12番 | 欣浄寺 | 不明 | ||
第13番 | 清水寺阿弥陀堂 | 不明 | ||
第14番 | 正林寺 | 安楽寺 | 吉野町御園 | |
第15番 | 源空寺 | 佛國寺 | 吉野町河原屋 | |
第16番 | 光明寺 | 如来寺 | 吉野町立野 | 現在、公民館 |
第17番 | 二尊院 | 不明 | ||
第18番 | 月輪寺 | 金福寺 | 吉野町志賀 | |
第19番 | 法然寺 | 不明 | ||
第20番 | 誓願寺 | 不明 | ||
第21番 | 勝林院 | 不明 | ||
第22番 | 知恩寺 | 不明 | ||
第23番 | 清浄華院 | 法雲寺 | 吉野町柳 | |
第24番 | 金戒光明寺 | 光林寺 | 吉野町香束 | |
第25番 | 総本山知恩院 | 西蓮寺 | 吉野町山口 |