除夜と正月

罪障を除く夜の鐘=除夜の鐘
懺悔=反省


除 夜
除夜とは、ご承知の通り、12月31日の大晦日の夜をいいますが、本来の意味は「一晩中寝ないで起きている」ということであります。夜を除くと書きますので即ち「夜がない」というところから、「寝ない」ということで「年の始まり」ということになります。

除夜はの鐘を108回つきますね。その鐘の音を聞くことによって、この1年のうちに作った罪を懺悔(さんげ)し、罪を作る心を懺悔し、煩悩を除き、清らかな心になって新しい年を迎える教えなのであります。

人間には108つの煩悩があるといわれています。煩悩とは、愛着や執着のことで、自分にとって離しがたい、捨てがたい感情・感覚のことです。それでは、なぜ煩悩は108つなのでしょう。次のような百八煩悩の数え方があります。
この私を惑わし悩ますものの数が108通りもあるのでございます。拙僧を例にあげますと、平生のらりくらりと生活しておりますと、この時期、近隣の寺院から、その鐘の音が聞こえてまいり、ようやく「ああ、いよいよ今年も終わりやなぁ」などと一年を振り返り「ああ、あれも出来なかった。これも・・・」と、平常の一日一日を無駄に浪費している自分に気付き、後悔の念ばかりが起き、時の積み重ねが如何に大切なことかを思い知らされるのでございます。
「無駄な時間 戻ってこないが 南無阿弥陀仏」         「来年こそは 努力します 南無阿弥陀仏」
除夜は、煩悩を除き新年を迎える素晴らしい行事であります。毎年暮れに、こんな駄作句をブツブツ呟く拙僧のようにはならないで、どうか清浄な心身で新年を迎えて頂きたいのであります。
お正月
百八の除夜の鐘を聞き、そのまま初詣。年末年始もお寺に行く大変良い機会です。年末に一年の反省をし、年始に一年の計を立てる。家族が一同にそろい阿弥陀さまの前でこうした時間を過ごす。普段では話せないことや、お互いの思いをみんなで分かち合う、できれば菩提寺にお詣りし、ご先祖さまのお墓参りをしましょう。墓まいりは彼岸や盆だけに限ることはありません。阿弥陀さまも、きっと普段以上に優しく見守ってくだされることでしょう。

法輪寺では、元旦の午前零時より修正会(しゅしょうえ)を勤めます。無事に新年を迎えられたことを御本尊さまに感謝し、この一年すこやかに過ごせるように祈る法要です。出来れば御一家お揃いで初詣り頂ければ幸いにございます。




その他 言葉解説

鏡 餅
鏡餅は満月のように丸い形が生命力をあらわします。鏡餅は、白木の三方(さんぼう)に白い紙を敷き、鏡餅を重ね、裏白(うらじろ)【歯朶(しだ)の葉のこと】、ゆずり葉、橙(だ
いだい)【代々家が続く】、海老(えび)【腰が曲がるまで長生きする】、昆布(こんぶ)【よろこぶ】というおめでたい物を飾ります。鏡餅が普及したのは、室町時代以後に床の間(とこのま)が設けられるようになってからでもともとは、元日に宮中で始められた歯固めのための餅で、年齢を表す歯を丈夫にすることを願い、硬い餅をかんで年齢を固めるという意味があったのです。
門 松
「諸国年中行事」には、間口に応じ注連縄(しめなわ)を張り、井戸、竃(かまど)、神棚、湯どの、厠(かわや)に至るまで松をたて、輪飾りといって注連を輪にして掛けた」とあります。門松(かどまつ)は門前に松を立てた飾物です。これは中国の風習にならったもので、中国では、松の枝を門戸に挿して門神(もんじん)を祀ったり、贈り物に松の葉を添えたりしました。日本では新年に、神の依代(よりしろ)としての常磐木(ときわぎ)を飾り、栄えを祝う風習として残っています。

「松の色は古今変わることなし」といわれますように、他の殆どの樹木が葉を落とす冬の間も常に青々とした葉を茂らせている事から、めでたいものの代表として親しまれております。元祖法然上人の御歌の『弥陀本願の御詠歌』に、「草も木も枯れたる野辺にただひとり 松のみ残る弥陀の本願」とございます。「冬の木枯らしの吹きすさぶ中、全ての草木が枯れてしまった野辺に、松だけが常盤の緑を誇っているように、全ての教えが廃れてしまっても阿弥陀如来の本願の教えだけは、いつまでも栄え続けるのです」という意味でございます。

紀貫之(きのつらゆき)の『土佐日記』の、延長8(930)年の正月の記事に、門口(かどぐち)にヒイラギを立て注連縄を張り、ボラやイナの頭を焼いて吊したとあり、神を祀(まつ)ると同時に悪を退散させる用心も忘れていません。元日から松飾りを取り除くまでの間を、ふつう松の内といって、1月7日までを指します。古くは江戸でも15日まで飾り、そのあとこの松を炊いて爆竹(左義長、どんど焼き)をする習慣がありました。
お年玉
正月の11日の鏡開きの日、お供えしたお餅を下ろしてきてみんなでいただく。あるいは小餅を一緒にお供えしておいて、元旦に神主(家主)がみんなに分ける。これがお年玉の始まりです。神様の魂をいただいて、リフレッシュしよう、今年一年元気よくやっていこうという発想です。近年は、「お年札」になっていますが・・・(;^_^ A
雑 煮
地方では大晦日の夕食にお膳を神様にお供えしているところもあります。これは神饌(しんせん)と呼ばれ、1月1日の朝、その神饌を下ろし、神様からのお下がりを、ごった煮にして食べるのがお雑煮の由来です。
祝い箸
お正月は、神人共食、つまりお雑煮などを神様と人間が一緒に食事をするという考えです。神道の行事では、神様と家族が揃って食事をするのが大事なことと考えられています。神様(ご先祖様)と一緒にいただくので、お正月に使うお箸(はし)(祝い箸)は両側が細く丸い柳箸(やなぎばし)を使います。これは一方で神様(ご先祖様)がお食べになるからです。
お歳暮
お正月には外の土地へ出ていた子供たちも帰ってきます。このとき食べ物を持ち寄ってみんなで食べる。これが御歳暮の本来の意味。食物を持ち寄る、親のところに届けるという意味が基本にあるのです。