日本人は中国で何をしたか?
日本軍は
★中国人男性を食料に★してたんですね!
人喰い人種にさせた張本人は
▼安部さんのおじいさん▼である
☆岸信介(☆東条内閣の商工大臣)戦争犯罪人ですね!
80才以上の旧関東軍(中国東北部に侵入した日本軍)に聴けば
誰もが知っていることなんですが!
箝口令(カンコウレイ)により誰も話したがりません。

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『前書き』
 
   南京にて〔1〕     南京にて〔2〕商業新聞画報より転載
大虐殺
昭和12年の南京大虐殺に代表される皆殺しの事実が多くの
元日本軍人の証言により、真実として日本国民に認知されつつ
あります。
実名を名乗らぬ
ただ問題なのは証言した元軍人の多くが自分の氏名を明らかに
していない点ですが、これは理解すべきでしょう、
戦争の責任を最前線の軍人になすりつけて為政者が生き延び、
しかも最高責任者が生き延びたのは敵(米軍)の意図するものは
何たるや、この問題はさておき『戦争の責任は為政者と共に
国民にもある』こととしないで責任のなすりあいでは人間社会の
倫理が成立しなくなりますね。
天皇の軍隊 80歳以上にもなる元日本軍人は侵略戦争とはいえ天皇の 軍隊として立派に戦ったとして妻や子・孫に伝えられているのに 『捕虜はもちろん、女・子供を含む民間人を皆殺しにし、 てごろな女なら強姦しまくって、時に強姦の後、女を殺し、 この女の肉を兵舎に持ち帰り大隊からの差し入れだと言って 食わした』との証言まであり、元軍人が実名を名乗ったり 肉親の前で語れるはずがない。
その理由は 和歌山のカレー事件をみればご理解いただけると思う! 林容疑者が殺人の認否を拒否して『冤罪に持ち込もう』とする 意図が私には良くわかる。なぜなら一般の殺人なら “遊ぶ金ほしさ、憎かった、金で雇われた等々” 殺人者本人が責任をとれば、肉親や周辺の人々は肩身の 狭い思いや精神的苦痛から逃れ得ないものの、 カレー事件とは格段に違うと思う。 カレー事件では家計が苦しく母が人殺しをして、その収入で生計 を立てたのではなく、贅沢な生活を維持するため殺人で 生計をたてた、のであり、肉親にとっては肩身の狭い思いや 精神的苦痛とは別に自己の肉体の中に殺人生計での生活経験が あり吐き出しおおせぬ肉体が内在しており、容疑者が肉親のため にも冤罪で死刑を選ぶ気持ちがよくわかる。「カレーを食べた 被害者には申し訳ない意見ですが」 ★林容疑者でさえ肉親の名誉のため隠し通そうとするのですね 天皇の軍隊として送り出されていながら、 実はチャンコロ(中国人に対する蔑称)を常食にしてました。 と妻や子・孫・ひ孫のためにも隠し通すのは当然ですが、 歴史の教訓や人類の教訓として記録にして日本人は知る必要が あるでしょうね! 安部さんは、そんな事実は無かったとお爺さんの岸信介の名誉 回復のため危ない橋を渡ろうとしていますが、 中国12億人が日本人は人肉をむさぼる恐ろしい国民だと認識し ているのですから。 こんな事実を知らないで、日本人向きに過去を抹殺して 「美しい日本」などと日本のことを日本人が認識したとしたら 過去に〔エコノミックアニマル〕と世界から蔑称されましたが 今度は〔人非人〕〔Brute〕と言われることになるでしょう。 要旨の部分へジャンプしました “要旨の要旨”=『エキスの部分』に ジャンプしたい場合は⇒●をクリック 『要旨』、私が聞いたこと 関東軍50万、終戦時には100万とも言われてますが、 これらの元軍人が書物の中で証言していないことを私は 元現役軍人から聞きました。この軍人は 昭和11年11月現役兵として入隊 昭和12年X月X日北支へ出征 昭和15年1月除隊 昭和16年7月応召 昭和20年8月除隊 で職場で随一の大酒飲みだが、酔いつぶれたことがなく日常は 陽気で明るい人物でした。 今から30余年も前のことですが、一泊の職場の親睦旅行で、 一日めの夕方の宴会は例によって彼が最後まで残って飲んでいた 職場の他の者はカラオケのない頃なので囲碁・将棋・マージャン 等で別室に散っていった、私はこの50代の元軍人と飲んでいた とりとめない話を飲みながら続けるうち、“元気君(私の名前) 酒うまいか”ときた、夏のビールはうまかったが、酒の味は わからなかったので、“まだわかりません” 日ごろ楽しそうに飲んでいた彼が “酒が旨いとおもたこと一回も無い”と言い、 色々やりとりしているうちに語り出した。 『エキスの部分』にジャンプしました。 元軍人の語ったこと 自分は2度北支(旧満州、現中国東北部)に行った、多くの都市を 占領したが都市と言う点を占領しただけで、占領当初は現地農民 からの食料の調達も順調だったが、すぐにパーロ(毛沢東の八路 軍)の勢力が強くなり日本軍は点の中に囲い込まれ、鶏や豚の 調達に行き詰まり
肉のスープが出なくなったとのこと、 これは八路軍が人民を巻き込んだ抗日戦略で “日本軍には家畜を売るな” が中国人民に浸透したものですね。 時と共に、八路軍の勢力が日本軍の目に見えるように都市周辺に および日本軍人が単独で都市から出るのは危険な状況に変化し、
内地からの物資調達も潤沢ではなくなり事態は深刻に(注1末尾) なっていく中 注1を見たい時は⇒●をクリック 肉のスープが復活しだした。 一般の兵隊は日本海の制海権が侵されていることなど知らされて おらず、“一人で町をでるな”ぐらいで将校は点と言う都市内に 囲いこまれていることを知っていた。 元軍人は軍曹で兵と将校の中間に位置していて将校の部屋以外は 自由に行き来でき、それで色んなニュースが早く入るわけですが
肉入りスープの復活
肉入りスープは一般兵卒だけだった、 軍曹は兵の食事係(軍隊用語忘れました)に聞いたら 肉は大隊からで将校は “自分らはいいから兵に食べさせてやれ” とのことだった。 信じられない有りがたい将校の、お言葉、ますますおかしい 普段、肉は倉庫で骨付きのまま、ぶらさげてあって必要な量を 切りだして料理しているが、
復活スープの肉は厚さ7〜8cmで 縦、横30〜40cm(軍曹は手まねで) で骨は全然なく台の上にキチンと載っていた とのこと、その後も肉は潤沢に大隊から届いたとのこと、 また敵のスパイだと成人男子(チャンコロ=中国人の蔑称)を 捕まえては大隊に送り込んでいたことを話してくれた。
私は外地から日本へ帰還した元兵士から戦時中の南方戦線で食料 を切らしチリチリバラバラになった日本軍がへびやかえるを奪い あって食ったことや、小説や映画、テレビで餓死や戦死した戦友 を食わねばならなかった話や中国での慰安婦を買った話や 満蒙開拓団、ソ連での抑留の話は複数の元兵士からききましたが 中国の関東軍(日本軍)が軍の組織として中国人男性を スパイ容疑で逮捕して軍の食料としていた事など聞いたこと がなく、戦後の各地の戦争展で展示の関係者に聞いて はみましたが、黙して語らずでしたが・・・ 私、高校同窓会の理事の1人ですが同窓会の総会(1995年頃)の レセプションを学校の食堂でやった際、理事もビール運びを やっていたが、宴も盛り上がり、一つのテーブルの横を通過 する時“チャンコロの肉旨かった”と聞いた。この時旨かった と言った男Aの横の男Bが私がそのテーブルに近づくのをみて 男Bが男Aの袖を引き、お喋りを制止するのを見た。 現役で関東軍に所属した軍人なら常識なんでしょうかね! 中国へ調査 中国の戦争博物館 20年ほど前にできた、この博物館をNHKがルポしていた。 この博物館の館員がNHKのルポライターに 質問していたのを思い出した 日本軍の駐屯地の近くでは小山が沢山あって、その中に  四肢の無い男性の死体が沢山出てくるのを不思議に思うが、  朝鮮で豊臣秀吉が家来の手柄を殺した敵兵の耳の数で確認  したと聞くが今では四肢を盗るのか
と聞いていた。 どうやら
『中国人は日本軍が中国で“チャンコロ”を 常食にしていたのを知っている』
らしい。
知らないのは日本人ばかりなり、関東軍50万人が証拠書類を
焼却し戦前の緘口令を守っているのは敬意に価するが
中国12億人の知るところです。
中国へ行ってきました 中国の何処へ行ったらよいか、中国領事館に問い合わせたら あまり歓迎しない返事が返ってきた。 ただの観光旅行と思ったか、それとも日中の経済交流に水をさす と考えたか、でも文面は丁重だった しかたなく既成のツアーに混じって行ってきました、 現地ガイドと夜に飲んでる時、事情を話したところ、 このガイド大学卒23歳ながら私の話を、すぐ信じたね、 中国からの帰りがけ1ヶ月以内に必ず手紙出すとのこと、 11月に手紙きました、 来年再度中国に行きます。
注1(注1は2006,10,6日に追加) 敗戦(昭和20年8月、1945年)の3〜4年前から米軍潜水艦による日本の 輸送船の撃沈が増えだし、昭和19年10月のフイリッピン海戦で 日本海の制海権は米軍に完全に握られ日本本土からの輸送は 完全にストップ、この時の戦時物資の調達の責任者は東條内閣の 岸信介商工大臣で今の安部首相のおじいさんですね、 言わば日本人を人喰い人種にさせた張本人なんですね。 安部さんが靖国に隠れて懺悔(ザンゲ)に行くのわかりますね!
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中国帰りの報告楽しみにね!2003.1月
2003年春に中国に行く予定でしたが新型肺炎の惨禍で 当分の間、延期する事にしました。ごめんね!2003.5月
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