>>vol.21

1999. 5.10(Mon.) プロモーション・ビデオの撮影のため、ニューヨークに。バスで成田に行きました。スタイリストのオカあちゃんが大物ぶりを発揮して、みんな
揃っているのに20、30分遅れたんですね。ちょっと冷や冷やしましたね。それで飛行機に乗ったんですけど。飛行機も、見たような映画ば
かりでいい映画がないんですね。「がんばっていきまっしょい」とか見ましたね。まあ、他にやることもないですから。ニューヨークまでは、13
時間ぐらいかかったんですけど、できる限り寝たりして。着いたのは10日ですね。10日に出ると10日の朝に着く。不思議ですね。ニューヨ
ークは2回目だから観光といっても、もう見ているしね。この日はオフで、時差ボケ調整。買い物したかな。靴を探していたけど、何も買えな
かった。なんか今回は収穫がなかった。そういえば、楽器屋へは行ったんですよ。楽器屋に行って、僕が今使っているギターがあるんですけ
ど、それのオールドが置いてあったんですよ。すんごいボロボロで、ボロボロだなあーと思って、買おうかなあと思ったんですけど、ちょっと迷
ったんですよ。これがいちばんいいかどうかわからないし、他にも探せばひょっとしたらもっといいのがあるかもしれないなと思って、その日は
見るだけで終わったんです。以上。
1999. 5.11(Tue.) プロモーション・ビデオ撮影初日。個人カットをこの日に撮ったんですけど。俺は教会のシーンか。かなり遅めで、また昼間は1人でぼーっとし
た感じでしたね。撮影はね、ハーレムで黒人さんがたくさんいらっしゃって、ここは俺たちの縄張りだという顔をしていらっしゃってですね、そう
いうとこへ行って、教会の裏に入っていって、地下にある懺悔室みたいなところで撮影しました。撮影スタッフがいっぱいいるんでそんなに恐
い感じじゃないんですけど、1人だったら恐いんじゃないですか。夜は、カレーを食べました。
1999. 5.12(Wed.) この日はドアのシーンで、朝早くから街にいきなり連れて行かれたら、もう街の一角に撮影陣がいっぱいいてですね、ニューヨーカーがいっ
ぱいそれを見ているんですよ。すごく恥ずかしかったですね。合間とかもね、もうニューヨークは知り尽くしているんで、(ウソ)あんまり行きた
いところがないんです。撮影が終わって、きのう見てたギターを買うことにしたんですよ。他で探してもいいのがないんじゃないかということで
。僕は黒いギターなんで、赤とか他の色のやったらありそうなんですけれど、黒いやつはなさそうだからボロでも買っとくかって、撮影後に走
ってもらって、買いました。それが、えらい汚いんですよ。ギターケースなんかね、この世のものとは思えない汚さですね。もう、木が腐ってい
るんですよ。ギターもいろいろなパーツが最初からなくて。そういうギターでしたね。そういえば、あれ、直しに出したきり返ってきませんね。
あれ以来まだ見ていません。まあ、あれは修理するのは大変でしょうね。その後、タイ飯を食べました。
1999. 5.13(Thu.) ラスベガスに移動しました。ギターケースがまた大変で、片側がもう、木がはずれそうになって裏のほうの底が抜けそうになってる。このまん
ま運んでたら、いつかギターが落ちるなと思って、空港でサナギみたいにビニールを巻いてもらいました。ラスベガスはね、砂漠の気候でし
た。カラッと乾いていて、ジリジリくる感じの気候で新鮮でした。ピラミッドの形をした大きいホテルに泊まったんですけど、そのホテルがね、
なんていうんでしょうか、変ですよ。ピラミッドの真ん中が吹き抜けで、カジノとかテーマパークみたいになっていて、周りの三角形の壁の部
分が全部部屋になってるんですよ。エレベーターが斜めになってて、斜めに上がっていく。斜めに上がるエレベーターはそこにしかないといっ
てましたね。僕が入った部屋は、別に何も問題なくふつうの部屋だったんですよ。でも、どこどこへ集合してくださいと言われたんで、どこどこ
の部屋に集合したら、そこの部屋がめちゃめちゃ広いんですよ。その部屋を見なければ、俺は何も言わなかったんですけど、他のメンバーの
部屋はジャグジー付きで、風呂に入りながら砂漠の景色が見えるという部屋で、なんで違うねんと。アメリカのホテルはすごくいい加減で。コ
ーナースイートみたいなジャグジーがついているような部屋がピラミッドの四つ角にあるわけですよ。メンバー4人がそこを使うという予定だっ
たらしいんですけれど、ホテルの人がなぜかミスして、僕は普通の真ん中の狭い部屋だったんです。で、スタッフがホテルの人に言ってくれ
て、変更してもらったんですけど。その日はホテルのレストランみたいなところで飯を食べながら打ち合わせをして、夜中から朝にかけて撮影
なので、ちょっと早めに寝ましょうかと。寝たんでしょうね……。
1999. 5.14(Fri.) 夜中の1時から、ラスベガスの夜のシーンの撮影。すごかったですね。これぞアメリカ映画という感じで、かなり勘違いした。俺ってこんなに
すごかったんやと思って。すごいですよ。べガスの通りをふさいだりして、車の撮影をするんです。ハリウッド映画とかでよくあるようなシーン
が目の前にあるという感じで、その俳優みたいな役目で。夜中の1時から朝10時までやりましたね。カーチェイスとかは、恐かったです。左
ハンドルはそのとき初めてやったんですよ。それも恐かったし、いきなりカーチェイスというか、後ろからパトカーが追いかけてくるのを蛇行し
ながら運転しなくちゃいけなくて、当たりそうで恐かったですね。何回もギリギリなのがありましたから。それを朝までやって、帰って寝ました
。夜はちょっとカジノで。カジノは、初日以外ほとんど毎日行きましたね。10万円ぐらいもっていって。全部注ぎ込もうと思って行ったんですけ
ど。この日はたぶん負けた。賞金2億円くらいのすごいスロットマシンみたいなのを、ずっとやって。何百万円手に入れたところで、たいした
話じゃない。やっぱり億を超えないとダメだろうと、ずっと億を狙って小銭を使っていました。台によって全然レートが違うんですけど、コイン1
枚25セントからコイン1枚100ドルというのまであって。俺がやってたのは50セントくらいのかなあ。その日に注ぎ込んだのは、たぶん5万
円くらいですね。
1999. 5.15(Sat.) カジノのあと、日付が変わって、夜中からまた撮影ですね。朝4時から次の日の夕方まで。昼間のシーンですね。オープニングの車に乗り込
むところの撮影ですね。待ち時間にクロニクルのビデオの最後のシーンで、僕が鉄砲を撃つシーンがあるんですけど、ああいう撮影とかを思
いついたままにやっていましたね。監督兼カメラマンで。それが夕方に終わって、鉄板焼き屋に行って、またカジノへ行くわけです。2日目は
たしか勝ったんですよ。勝ったと言っても、前の日に負けたほど勝ったわけではないですけど。あと、クランベリーズがべガスに来ているらし
い、見に行こうといって、ハードロックホテルの小さいホールなんですけど、そこへ行ってきました。久しぶりに見たライヴでしたね。前に見た
のはマイケル・ジャクソンかなんかで、2、3年前ですから。よかったですよ。バッヂなんか買っちゃったりして。人をかき分けて最前まで行き
ました。
1999. 5.16(Sun.) アーティスト写真撮影。前よく世に出ている青い空の写真の撮影をその日やっていました。砂漠の気候のなかにいると暑かった。まぶしいん
ですよ、みんなまぶしそうでしょ。その後いろいろなところに行きました。でも、危ないから車から出ちゃダメだ、待機してろと言われてたんで
すよ。治安が悪いからって。恐いところだなと思いました。撮影中、kenちゃんが今日マイケル・シェンカーのライヴに行きたいって言ってて。
僕らは興味がなかったんですけど、アーティスト写真の撮影時間がだんだん伸びてきて、だんだんライヴに食い込んできて、だんだんkenち
ゃんが不機嫌になって(笑)。まあ、途中から行ったみたいです。すごいよかったって言ってました。いろいろ勉強したみたい。kenちゃんがラ
イヴに行ってる間は、うまくない焼き肉屋へ行って。たぶんカジノに行ってますね。3日目は覚えてないな。負けたんじゃないかな。カジノに泊
まっているようなもんですからね。カジノに行っている時間は長いです。だって、部屋に帰ってもやることないから、時間があるだけいますよね
1999. 5.17(Mon.) この日はラスベガスを堪能するデーで、いろいろ行きました。僕はメイク・スタイリスト・キューン・チームで、4人で行動していたんですけど。
かなりハードな1日を目指してやっていました。まずは、東京タワーくらいの高さにあるフリーフォールの逆版、上がるやつをやりに行こうと、
それをやってですね、それから、通り道にアイコラするショップがあるんです。ビキニのお姉ちゃんの顔を俺の顔に付け替えるというのがあっ
て、それをやってそのTシャツを作って。僕の顔でビキニの女の子のTシャツがこの世に存在しています(笑)。その帰りに、タトゥーショップが
あったので、へそにピアスを入れたんです。すごいハイな気分になって、「もっと何かしよう、何かしよう」と言ってて。その隣にバンジージャン
プが控えていて、みんなで「どうしよう、どうしよう」って言いながら、「ちょっと冷静になろう、飯を食べよう」と、ホテルに入ったんですけど、な
かなか食べ物屋さんがなくて、ホテルのなかもさんざん歩き回ったんですよ。ちょうどお昼のお休みの時間で、早く落ち着きたいと気ばかり
焦って、なんとかご飯を食べてちょっと落ち着いて、「じゃあやるか」って。とりあえずキューンの人に、バンジージャンプを先に飛ばせて、それ
を下のベンチから見ていたんです。感想を聞いたら気持ちがいいというから、「やってみようか」と残り3人が上って、ジャンケンで順番を決め
て1人1人飛び降りたんです。俺は2番手だったのですけれど、1番目にスタイリストのオカあちゃんが行ったんですけど、恐くて飛べなくて。
「行け」と言っているのに行けない。足がすくんですごく震えているんです。そのとき、オカちゃんが「マジー?マジー?」と言ってるんですよ。
そしたら外人の人が「イエス、バンジー、バンジー」(笑)。妙におかしかったですね。でも3回目かに、飛べた。次が俺で、本当に恐かったで
すね。でも、俺は拒むぐらいやったら死んだほうがいいと思った。飛ばれへんというのは根性なしやと思うから、男は飛ばなあかんと思った。
でもその降りる瞬間は、本当に自殺する気分でしたね。不思議な感覚を覚えました。人って、防衛本能というのがどこかあると思うんですけ
ど、それを無視した感じ。例えばナイフにしても、自分に向けて思いっきり刺すのは、自分を守る本能が働いてすごく難しいじゃないですか。
それを無視する感じ。飛び降りたらあかんところを飛び降りるというのは、なんか変な感じがする。かなりハードな1日でした。
1999. 5.18(Tue.) グランドキャニオンに行きたいというのが僕の人生の計画のなかに入っているので、このチャンスにぜひグランドキャニオンに行こうって行き
ました。セスナに1時間乗れば着くんですよ。だから、行くしかないと。セスナでグランドキャニオンに行くと、すごく揺れると聞いていたんです
よ。カメラマンのチャーリーが大の飛行機嫌いですごく嫌がってた。「ジャンボでも恐いのに、セスナなんてとんでもない」という感じやったので
すけど、そのチャーリーが飛行機のなかで平然としているんです。これは壊れたかなと思いましたね(笑)。ところがね、恐くなかったって言う
んですよ。ちょっと強がりが入っているでしょうけど、全然揺れなかったんです。だから、すごい気持ちのいい飛行でしたね。空港からバスで
グランドキャニオンの見えるところに行った。まず軽い食事があって、大まかな名所巡りをしました。観光客が多いので、あんまり有名なとこ
ろには行きませんでしたけどね。グランドキャニオンの上のほうで、谷の底には降りていません。でもまあ、イメージどおりのところでした。俺
の人生の計画は、ほかはピラミッドとか、恐山とか、あとはオーロラと宇宙くらいですかね。一つ見たわけです。ニューヨーク、ラスベガスに行
って、続きでグランドキャニオンだったんですけど、避暑に来たという感じ。グランドキャニオンって、イメージでは暑そうですけど、高いところに
あるんで、案外涼しいんですよ。避暑地に行ったような気分でした。今までの喧噪がなくて(べガス、N.Y.)、のんびりした気分になりましたね
。眺めは確かにすごいけど、それよりも安堵感のほうが強かった。不思議な感じです。1度グランドキャニオンからべガスに帰ってきて、その
日にべガスからL.A.に移った。L.A.についたのは夕方くらいです。L.A.はですね、みんなが行くと言うから、買い物とかに行ったかな。
向こうで革パン作ってくれているジュブランという人がいるので、その人に会ったり、クラブに連れていってもらったりして、L.A.気分を満喫し
ましたね。
1999. 5.19(Wed.) ジュブランに会ってたっけ。覚えていないなあ。
1999. 5.20(Thu.) 朝からユニバーサルスタジオに行きました。ちょっとお金を出せば、車に乗って並ばずに説明しながら全部見せてくれるという素晴らしいシス
テムがあって、それに乗せてもらってきました。倍弱ぐらい金を取られるけど、でもそんなに高くもないから。1時間並ぶのもちゃんと並ばずに
見れる。車でしか行けないところもあって、そういうところもちゃんと行ける。E.T.がやっぱりよかった。ジュブランっていう人は頭スキンヘッド
で髭をはやしていかつい人なんですけど、「ジュブランは何がよかった?」と聞いたら「僕はE.T.がよかった」と言うんですよ。「えー、似合わ
ないよ」とか言っていたんですけど、僕もE.T.がよかった。自転車に乗るアトラクションなんですけど、僕の隣には関係者のおじさんがいて、
すごくメルヘンな世界にそのおじさんが自転車に乗っているというのがね、すごいシチュエーションで焼き付いています(笑)。その自転車の
飛ぶ感じがすごく気持ちよかったんですよ。その日に帰国ですね。出発したのが20日で、日本に着いたのは21日。
1999. 5.24(Mon.) 「ロンドンハーツ」収録です。3曲歌いましたね。
1999. 5.25(Tue.)〜26(Wed.) 雑誌のインタビューをたくさん受けました。アルバムの話ですね。
1999. 5.28(Thu.) 雑誌の撮影日でしたね。この日にいきなりユッキーが腕を吊って現れたんですよ。27日をオフにしなければよかったんですけど、オフにした
ためにユッキーはスケボーで骨を折ってしまった(笑)。もうすぐライヴなのにどうなるんだろうという感じでしたね。
1999. 5.29(Fri.) スタジオに入って、いろいろなラジオのコメントをたくさんとりましたね。
1999. 5.30(Sat.) 雑誌の撮影日。このへんはずっとアルバムのプロモーションですね。
1999. 6. 1(Mon.) 「うたばん」「カウントダウンTV」の収録。両方とも「Pieces」を歌いました。「うたばん」はトークがあって、怒っていることを話すんだったんです
けど、アメリカンドリームをつかめなかった話をしましたね。べつに怒ったことがないんで、無理矢理なんか話したんですよ。中居くんとかと裏
話とか聞けておもしろかったです。あれはたぶん放送されていないんじゃないですかね、トークだけで1時間以上収録してるんですけど、放
送は3分ぐらいですから。
                                                        
→6月2日 16thシングル「Pieces」リリース。
1999. 6. 4(Fri.) 「ミュージックステーション」出演。「Pieces」を歌いました。
1999. 6. 6(Sun.)〜 このへんはぼちぼちツアーのリハーサルが始まっていました。個人リハーサルのような。
1999. 6.13(Sun.) 国際フォーラムに「スター・ウォーズ・エピソード1/ファントムメナス」の試写会を見に行きました。寝ている人がいましたね、うちのマネージャ
ーとか。kenちゃんも寝てたのかな。僕は起きてました。昔から「スター・ウォーズ」はああいう感じですよね。淡々としているというか、あんま
り感情移入できない感じっていうか。まあ、きれいな映像として見ました。その後、ちょっとインタビューがあったり打ち合わせがあったり。
1999. 6.14(Mon.)〜 引き続きリハーサルですね。曲順どうするとか言ってました。でも、その期間スタジオにずっとべったりという感じではなかったですね。「R&R
NewsMaker」の連載の作品を作ったり。でも基本的にはずっとリハーサルだな。このころから、体力づくりを兼ねてですね、自転車でスタジオ
に行くということを始めてました。
  
→6月中旬〜 プレイステーション用ソフト「グランディア」のCMテーマ曲として、『It’s the end』(アルバム『ray』収録)がO.A.(〜7/4)
1999. 6.24(Thu.) 「FUN」の収録とかやっています。その後、お台場にラジオの「OH!DAIBA TO BLUE」の最終回録りにいって。まだ終わっていなかったの
という感じでした(笑)。
1999. 6.25(Fri.) 「ミュージックステーション」出演。2週続けて出るんですけど、ちっちゃいものが好きっていう話をしましたね。けっこう唐突にそういう話題にな
ったんですよ。「アルバム、2枚発売。ところで、みんな何か集めているの?」とかって。teっちゃんはガンダムとか言ってました。
1999. 6.26(Sat.)〜 このへんはずっとツアー・リハをやっていますね。野外なので体力づくりを気にしていましたね。練習するときもなるべく汗をかくような練習の
仕方をしていました。
1999. 7. 2(Fri.) 「ミュージックステーション」出演。ここで、体力づくりの話をしました。
                           
→7月1日 6thアルバム『ark』、7thアルバム『ray』2枚同時リリース
                                (日本、台湾、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン世界7ヶ国同時発売)
                                            
『ark』→7/12・19付オリコンアルバムチャート2週連続1位獲得!
                                            『ray』→7/12・19付オリコンアルバムチャート2週連続2位獲得!

                           →7月1日〜8月31日 期間限定62Days Special Websiteを展開。

1999. 7. 9(Fri.)〜 ゲネプロです。幕張でやりました。たしかにセットはすごかったですね。でも、室内なので、いまいち、ツアーがどういう雰囲気になるのかわ
からなかったですね。
1999. 7.11(Sun.) 公開ゲネプロ。僕は個人的には案外よかったんですよ。ライヴで自分に集中できた。考えてみれば、ファンクラブ限定ライヴですよね。しかも
人数が5千人ですね。よく考えたらファンクラブのライヴでは最高なんじゃないかな。昔、渋谷公会堂でやったことがあるんですけど、2回目
かな。あとから考えたら。
1999. 7.16(Fri.) 大阪入り。前日リハーサル。ここで、初めて野外の感じがわかった。すごいと思いましたね。セットよくつくったなあ。 
                 
→7月中旬 大好評につき全国セブン・イレブンで「オフィシャルグッズコレクション厳選バージョン」追加発売。
                          L'Arc〜en〜Ciel OFFICIAL BAND SCORE『ark』『ray』同時発売。
1999. 7.17(Sat.)〜18(Sun.) 大阪の本番ですね。17日に初めてお客さんが入ったんですけど、すごい人〜と思いましたね。人の地平線みたいでした。ライヴ終わったあ
とで友達に電話したら、すごいしんどかったと言ってました。会場に入るのもひいひい言って入って、帰りもひいひい言って帰ったと言ってまし
た。ライヴは今のところいい感じで雨をよけて。ライヴが始まるとやんだりするような感じで、いい感じです。18日、ちょっと顔に雨がかかって
やばいかなと思ったけど、それぐらいで終わったりしました。やはり天を味方につけてしまったのかなという感じです。
                          
→1999 GRAND CROSS TOUR 詳細@:7月17日・18日 大阪コスモスクエア特設ステージ
1999. 7.23(Fri.) 飛行機で福岡に行きました。リハーサルする前に、僕はラーメンを食べに行きました。朝から何も食べていなくて、博多ラーメンを食べて会場
に向かったら、気分が悪くなりましたね。胸が悪くなった。朝から食うものじゃない。なんか義務感があるんですよね、福岡行くと。ラーメン今
しか食えねえと思って(笑)。
1999. 7.24(Sat.)〜25(Sun.) 福岡のライヴはね、日が暮れなかった。大阪とか、まあまあいい感じで日が暮れていくんですけど、福岡は時間は一緒なのに全然日が暮れ
なくて。だからなんか難しかったですね。日が暮れるのを前提に曲順も決めてるんで。でも、最後にはなんとか暗くなる。そういう感じで福岡
が終わって。
                                                          
→詳細A:7月24日・25日 福岡マリノア

                               →7月24日〜SOTEC「e-one」パソコンCFテーマソングとして『Pieces』O.A.(〜9/30)

1999. 7.30(Fri.) 電車で盛岡に行って、安比はそこから車で1時間ぐらいかかりましたね。どんな山奥に連れていくのかなと思ったら、山奥にセットが組んで
あってですね、「はあー、大変だろうな」と思いました。東京からそこに行くのも大変なのに、九州から3日でセットを運んでいるのはすごいな
と思いましたね。しかも山の上なんです。
1999. 7.31(Sat.)〜8. 1(Sun.) 安比は山のなかなので、ライヴやるからと光をたいていると、虫がいっぱい来るんです。僕はとんぼに囲まれてライヴをしたのは初めてです
。歌ってるとマイクの上に乗ってるんです(笑)。そういう状態で真面目な曲を歌っていたら、妙にニヤけてしまいます。
                                                  
→詳細B:7月31日・8月1日 安比高原特設ステージ
1999. 8. 6(Fri.) 札幌に行きました。札幌夏祭りをやっていて、うまいものを食いに行きたいんだけど、交通規制があって車でおいしい飯屋に行けなかったん
ですよ。北海道らしくないものを食いましたね。東京で飯を食ってるようなところで。
1999. 8. 7(Sat.)〜8(Sun.) 北海道は、いちばん北なのにすごく暑かったですね。ちょうど西日が当たるステージが組んであって、すごい暑かったですね。北海道で観測
史上2番目(本当?)の暑さっていう日にぶち当たったらしくて、35度。お客さんとか大変でしょうね。でも、ライヴが始まったら、お客さんはち
ょうど陰になったんです。俺らはその代わりにダイレクトに当たる。最後まで太陽に当たっていたのは、ユッキーですけどね。高いところにいる
から。北海道は、日の暮れ方はいい感じですね。早めのほうが、西に向かって歌ってるから、お客さんから見たら早いかもしれないけど、俺
から見たらちょうどいい。夕陽を見ながら歌えましたから。2日目の夜にいつもの店に行きまして、北海道ならではのものを、おいしくいただき
ました。
                                                    
→詳細C:8月7日・8日 真駒内オープンスタジアム
1999. 8. 9(Mon.) 北海道から戻ってきて、地震雲を見たんですよ。地震が起こるときに観測される雲っていうのがあるんですよ。車を運転していて、それらしき
ものを見たんです。これは地震雲じゃないのかな、ひょっとしてと思って、占い師に問い合わせたら、「地震はないと思いますけど」という見解
だった。僕も素人だし、似たような雲を間違えたんだろうなとちょっと思いつつも、地震雲じゃないかなとちょっと思っている今日このごろです。
僕の予報では地震が起こるとすれば、1週間以内に東京と伊豆の間ぐらいです。(予言の翌日、東京で小さい地震あり。また8月17日には
トルコ大地震あり。)
  まだツアーは続きます。続きは名古屋のライヴからですね。