>>vol.9

1996. 9. 5(Thu.) 全ては戻りの新幹線のところから始まるんですよ。『BIG CITY NIGHT ROUND AROUND'96』の大阪厚生年金会館2daysが終わっての帰
り道、僕は残された作詞のことで頭がいっぱいで、その時、暇そうにコンピュータ雑誌を読んでいるsakuraが、とても憎らしく思えて、「てめ
えも、仕事しやがれ」という思いで、作詞の依頼をしました。彼は嫌な顔一つせず、まるで犬の前に骨を出したような感じで興味を示し、そ
の日から彼のブームは作詞へと変わったのでした。因にsakuraは、しょっちゅうブームが訪れます。今はコンピュータブームです。その前は
キットカットブームで、その前はアロエヨーグルトブームで、あとチューニングブームとかいろいろありました。
1996. 9. 6(Fri.) Viciousとバンやろとショックスの表紙撮影。何で黄色いプラスチック板がスタジオに散りばめてあるんだろう、僕はどうすればいいんだろう、
と思いました。あと、ショックスの巻頭とかって、みんな金かかってそうなのに、何で僕らの時って、こんなにお金かかってないのかなぁって。
1996. 9. 7(Sat.) (百瀬談:ここはね、ハイドの中で風邪ブームが起きたんですよ。hydeはまだ気づいてなかったんだけど、彼の体の中には異変が起きてきて、この日のインタビュー
あたりからつらくなってきたんです。ただ、このあとどのようなことになるかというのはだれも知らなかった。)
大体僕はそういうレコーディングを控えて風邪を引いたりすると、神経がピリピリします。要領が悪いとむかつくし、自己管理ができていない、
焦りというか。
1996. 9. 8(Sun.) 詞を書いてたか、風邪引いて寝込んでたか、どっちかです。
1996. 9. 9(Mon.) (百瀬談:すごいつらそうにスタジオに現れた。この日からアルバムの残りとシングルのレコーディングを再開したんですけれども、まだ残暑も厳しき折りに、hydeはス
タジオに皮ジャンにダウンジャケット着てマスクして登場しました。)
寒かった。9日は冷たい雨が降りました。
1996. 9.10(Tue.) ドラム録りとかやってて、詞は書いてたのかなあ?書いてたと思うんですけど。
1996. 9.13(Fri.) やっとの思いの状況下で詞も書いて、この頃には風邪は徐々に収まってきて、確かに鼻声だけど、声は多分出るだろうなと思って歌い始め
たんすけど、自分としては、まあこんなもんだろうと思ってたんだけど、それを聞いてるディレクターの中山千恵子氏が「いつもと違う」と言われ
てしまいました。
1996. 9.14(Sat.) そこで僕はお医者さんに行くわけです。前号にお見せした喉の写真を撮られて、腕に注射を3本打たれました。またそのお医者さんがすご
い愛嬌のある、なかなかふざけた人で、僕は初対面で目が合った瞬間に、頭を小突かれました。「何やってんだ、おめぇは」って。
1996. 9.15(Sun.) この日も病院へ。本当は休診なんですけど、その医者はすごいいい人で、歌い手さんとか日曜とか関係ないからって、その日にコンサート
がある人とかたまに診てたりして、この日も病院自体は閉まってたんだけど、ピンポーンと押したら診てくれる。で、また注射打たれた。これ
がまた嫌な注射で、何かビタミン注射とか2つ小さいのを打って、最後に長くて太い注射を打たれた。嫌だから見てなかったんですけど、タ
マネギが腐ったような臭いが喉の周りにしてきて、何か黄色いのが入っているような気がするなと思って、横目でチラッと見たら、やっぱり黄
色でしたね。「あっ、黄色か」と思って、「この注射、嫌なんですよね」とお医者さんに言ったら、「そうかな。年取ってくると、これがよくなるんだ
よ。おれなんかリサイタルの前には2本ぐらい打つぜ」っておじいさんは言ってました。で、その後『賽は投げられた』の歌を録りましたがやっ
ぱりよかったらしくて、効果絶大だなと思いました。
1996. 9.16(Mon.) 『賽は投げられた』のTD
1996. 9.17(Tue.) 『Lies and Truth』の歌入れ。この時は医者に行かなくても大丈夫だろうと歌入れを始めました。お医者さんにもらったお薬と、昔ファンの方
にいただいた吸入器をフル活用して、喉に湯気を垂らしました。
1996. 9.19(Thu.) 『Lies and Truth』のTD。
(百瀬談:これ深夜なんだけど、TDは基本的に昼からエンジニアの人が作業に入って、聞けるのは深夜なんですよ。だから、この日はインタビュー日です。6日に撮影
したものを中心に、地獄のように、4つ取材しています。)
このころは時間が空いたら、家へ帰って詞を書くという状態だったと思いますね。
1996. 9.20(Fri.) アーティスト写真撮影
                                             
→アーティストブック「is」発売日。(シンコーミュージックより)
1996. 9.21(Sat.)〜24(Tue.) この頃から作詞が余り進まないんで、スタジオに行くのをなるべく避けるようになってきました。でも、今までのレコーディングと違って、なるべ
くスタジオに顔を出すようにはしてました。作詞は、家で自分が納得いくまで詞を書いて、納得できたところで歌入れ前ぐらいに、作曲者とディ
レクターに、「どう?」って見せます。詞を書いた時点でいくつか、こっちでもいいかなという他のアイディアもぶつけてみて、最終的にはすり合
わせていくというのが詞の完成形ですね。大体ディレクターはごもっともな意見を言うというか、常識的に分かり易い方を選びますが、例えば、
kenちゃんに聞くと、大体僕が書いたやつよりも、新たに出したアイディアの方が採用されるケースが多いです。kenちゃんでも意味が分かりに
くかったりすると、そこを訂正します。だから、詞は最低ライン、メンバーが理解できるという基準で完成させます。大体闘うのはディレクターと
闘いますね。ディレクターとは妥協できるところは妥協して、妥協できないところは、気分悪くなるまで話合います。僕は朝起きてから8時間ぐ
らいが体力の限界で、俺は歌入れが大体6時間超えるともう駄目。だから、6時間超えないように、朝起きて飯食ったら、すぐ歌入れしたいと
ころなんですけど、そこで詞の打合せが入って長引くとちょっと歌に響くので、なるべく早めに切り上げるようにしてます。そう言えば23日か2
4日にカフェに行きました。最初『Round and Round』の詞を書こうと思って行ったんですけど、余りにもいい陽気だったので『Round and Round』
は家で書こうと思って、ちょうど『the Fourth Avenue Cafe』のテープがあったので、そっちの詞を書こうと、そこで3時間ぐらい粘ったかな。暗
くなるまで座ってました。寒くなってきたから、また風邪ぶり返しちゃいけねえと思って、家に帰りました。
1996. 9.25(Wed.) 『flower』PV打合せ。
1996. 9.28(Sat.) 『the Fourth Avenue Cafe』の歌録り。
1996. 9.29(Sun.) 『Fare Well』の歌入れをしたんですが、すごく難しいというか、今回のアルバムのテーマでもある魂とかの部分で、何か入りにくかったので、と
りあえず置いといて、またチャンスがあったら歌いたいなという思いを残しつつ、この日は終わりました。
(百瀬談:この日ボンジュール・ラルク・アン・シエルの第一週目録音。やっぱり一週目はメンバー全員で始めたかったんだけども、レコーディングしている状況だから、
作業の終わっているtetsuとsakuraがスタジオに行って録り、あとの二人はスタジオで飯を食ったあとにコメントとりました。)
1996. 9.30(Mon.) (百瀬談:この日でこれまで使っていたスタジオが最後となって、明日から別のスタジオになるのでお世話になったスタッフさんとかとシャンパンを飲んで乾杯しました。)
1996.10. 1(Tue.) 『Caress of Venus』の歌録り。
1996.10. 2(Wed.) 『“good-morning Hide”』の歌録り。これがヘビーでしたね。この時にsakuraの書いた詞が英訳されてて、そのチェックがすごく長引いて、あと
プロモーションビデオの打合せも長引いて、歌入れのスタート自体が遅れて、終わったのがもう結構いい時間でしたね。3時、4時ぐらいで、そ
こからさらにディスカッションがあって、もう帰ったら朝、渋滞は勘弁してくれという状態でした。だけどその余力でViciousのアンケートを家に帰っ
て書き始めて、結局、最後まで書いて、書き終わったら朝の8時とか9時とかでした。
1996.10. 4(Fri.) 『flower』のプロモーションビデオ撮影。同じスタジオの地下で工藤静香がPVを撮ってて、会えるかなと思ったけど、会えませんでした。工藤静
香のシングルの発売日はもっとあとなのに、こんなに早くPVを撮れていいなと思いましたね。何で僕らはいつもギリギリなんだろうって。
1996.10. 6(Sun.) (百瀬談:『Dearest love』の録りだったんだけどこれはもう一回やることになる。8日にもやってる。やったんだけど、そんなにうまく行かなかったんで、もう一日やりましょ
うということになって、7.8あたりのスケジュールを全部いじって、8日にもう一回やることになった。でも8日はその前にどうしても外せない取材とか打合せが入って、か
なり異様なものすごい空気がki/oonの会議室を支配してました。)
『Dearest love』の歌入れだったんですけど、何か知らないけど歌を諦めています。それでtetsuちゃんのコーラスを僕が到着する前に先に歌
入れしててくれって言ってたら、スタジオに着いた時点でもう録り終えてました。だけどなぜか僕は歌えなくて、その日はコーラスダビングだけ
で終わりました。
1996.10. 7(Mon.) B.PASSの撮影の後、プロ野球ニュースの別所さんと新聞広告用の写真を撮りました。彼は素晴らしい人ですね。大きかったです。
                                    
→TBSラジオ全国5局ネット「ボンジュールL'Arc〜en〜Ciel」レギュラースタート。
1996.10. 8(Tue.) 最後の歌入れ。録り残した『Dearest love』と、『Fare Well』で納得いってなかった部分の歌入れをしようと意気込んでいたんですが、この8日
というのは歌入れは全て終わっている予定だったので、当然入っちゃっている取材、インタビュー関係のスケジュールというのがあるんですよ
。だけど僕は基本的に歌入れの前には何も入れないというスタンスなので非常にイライラして、百瀬さんを困らせてましたね。だけど終わった
後は晴々として、一大イベントが終わったという感じですね。マラソンで言うと、最後の競技場内を2周に入ったという感じ。それまでずっと走っ
てきて、今年1年の一大イベントが、この8日でゴールが見えたという感じで、終わった時点ではかなり気分はよかったと思います。
1996.10. 9(Wed.) TD。TDというのは基本的に昼からエンジニアさんが入って、夜に完成形が聞けるという状態なんで、この週夜までの間は取材が連続して入っ
てます。でも歌入れが終わったhydeさんとしては、こんな取材なんか屁の河童ですね。それまでは取材してても、どこか早く帰んなきゃなあと
かというのがあったんですけど、歌入れが終わってからすごい幸せというか、もうインタビューなんか屁でもねえという状態で、この週は終わっ
てますね。
1996.10.10(Thu.) アルバムのインナーの写真を撮影。ピアノのある部屋で写真を撮りたかったから、TDを行っているスタジオの上の階のスタジオで、アルバム
の写真を撮りました。
1996.10.12(Sat.) マスタリング。TDで1曲1曲のバランスを整えたやつを、マスタリングではアルバムとしてトータルでバランスを整えるという作業で、それは2時
間ぐらいで終わる感じなんですけど、そのマスタリングというのを12日に行って、そのあと打ち上げが蟹屋で盛大に行われました。エンジニ
アの比留間さんという人が打ち上げは蟹がいいって言ってたんで、その夢が叶って、蟹を皆でつつきました。
1996.10.13(Sun.) オフ!もう久し振りの本当のオフ。それまでのオフっていうのは詞を書いたり曲作ったりするオフですから、レコーディングが終わった時点のオ
フというのは、本当にきれいなオフです。また、これが重なってくると作曲しようかななんて思っちゃったりして、変わってくるんですけど、レコー
ディングが終わった直後のオフというのは、非常に気分のいいものです。
1996.10.14(Mon.)〜18(Fri.) 取材他。この週は余り面白いことないな。
      
                                →5th シングル『flower』発売。オリコン初登場第5位!
                                           (フジテレビ系「プロ野球ニュース」(10.1〜1997.3.31)テーマソング.)
1996.10.19(Sat.) (百瀬談:TVKのミュージッククリークで銀座のサテライトスタジオにゲストで出たんですが、期せずしてパフィーの皆さんがこの日は時間帯をずらしてゲストで、メンバ
ーは会えなかった。だけど、マネジャーの1名が、パフィーが楽屋である不思議なおもちゃで遊んでいるのを見逃さなかったんです。そのおもちゃは小さくてなぜか巻取
り式のものでカチカチ、カチカチ、カチカチ、2人揃って楽屋でやってて、この後それがラルク内でブームになるとはこの時点では思いもよらず…。おまけにパフィーがラ
ルクに関してコメントを述べているのを聞き逃さなかったのです。ゲームをしながらラルクが出ているモニターを見て、「髪の毛切ったね、この人たち」「ああ、そうだね。
もっと長かったものね」と言っていたのです。ただ誰のことかは分からなかったんですけど。)
そう、そう。ということが舞台裏ではあったのです。という1週間。この週ぐらいから読書週間が多分スタートしている。レコーディング中に詞を書
いている時って、普段気にしないものが気になってくるというか。よくあると思うんですけれど、例えば勉強している時に、休みの時には読まな
い小説がやたら気になったりする感じ。だから詞を書いている時に、「じゃ、レコーディングが終わったら、何々しよう」っていうのがあって、この
週ぐらいから僕はすごい本を読むようになってきました。最初は漫画とかですけど、『動物のお医者さん』とかを大量に買い込んで、寝る前に読
むというのが習慣になってました。
1996.10.21(Mon.) ミュージックパークに出ました。
1996.10.22(Tue.) 早朝から大阪キャンペーンがスタート。これかなり朝早くから大阪に行って取材攻撃をしたんですが、この時もまた体調が芳しくなく、僕とマネ
ジャーとレコード会社のミッちゃんと3人で基本的に回ったんですけど、この時、みんな体調悪かった。で、みんな体調悪い中、大阪を駆け回っ
て、最終的に仕事が終わってから梅田の北新地にちゃんこを食べに行きました。病を背負った人間には鍋がいいんじゃないかと思い、温かい
物を食って寝ましょうって感じで、その日はみんな無理して熱燗を飲んだ。その後は飲みに行くこともなく、そのままホテルへ帰って、体調を整
えようということで寝ました。
1996.10.23(Wed.) ちょこっと取材をして、戻ってきて、UVの撮影に挑みました。
1996.10.24(Thu.) 歌の大辞テンというテレビ番組があって、それに『flower』を歌いに行ったんだけど、楽屋に入る時にリサステッグ・マイヤーと偶然会った。リサ
は鶴瓶とテレビ番組やってるんですけど、ぼくは鶴瓶が大好きなんです。大阪のころからパペポテレビとか大好きで、東京に来てからもほとん
ど毎週見ているぐらい。で、鶴瓶を見たいなと思ってたから、マネジャーから連絡があって「今ロビーにいるから出てくれば会えるよ」って言わ
れたんですけど、僕、好きな人は昔から、遠くでさりげなく見たいというのがあって、緊張して出て行けませんでした。
1996.10.25(Fri.)〜28(Mon.) 取材だらけ
1996.10.29(Tue.) 前からドライブに行きたいと思ってて、これは思い切って行くしかないと思って、この日の明星の撮影中に「どこがいい」って皆に聞いて、「箱根
がいいよ」という話になって、皆がそれを手助けしてくれて、地図持ってきてくれたり、どこそこがいいとか言い出して、kenちゃんが箱根とか詳
しいんで、いろいろ情報を教えてもらって、この日撮影を終わった瞬間から旅立ちました。
1996.10.30(Wed.) 彫刻の森美術館に行って、それから大涌谷の方に行って、1個食べると何年か寿命が伸びるというらしい黒い温泉卵を食べました。そのあと
芦ノ湖に行って、そのころにはもう暗かったので、行って、帰ったって感じです。
1996.11.1(Thu.)〜12(Tue.) 今週も相も変わらず取材ラッシュなんですけど、3日はP-stockという梅宮アンナさんと神田うのさんが司会している番組に出て、2人ともお美
しかったですね、お人形みたいでした。で、TOKIOのベースの山口達也さんがいて、本番前にたまたま隣にいたので、「よくライブでコピーさせ
てもらってまーす」って言ったら、「ああ、聞いてます。その話」と言われて、チョコチョコとお話しました。すごい良さげな感じの人でした。7日の
ロクエフの別冊のロックイットという雑誌の表紙巻頭撮影で、原宿をラルクがうろつき回るような設定で、まずtetsuちゃんが原宿の街をうろうろ
して僕とカフェで会って、そのあと別れて、僕は代々木公園を変な自転車みたいなのに乗って旅をして、kenちゃんと待ち合わせして、kenちゃ
んはそのまま電車に乗って新宿に行って、新宿でsakuraと出くわして、sakuraは中野に行くという設定でした。僕はkenちゃんと別れた時点で
仕事は終わったんですけど、そのあと友達の家が中野の方にあるんで、荷物を届けがてら、sakuraの撮影に合流しました。その時、突然中野
に僕が行くということは全然連絡してなくて、最初のうちはsakuraが撮影している、たこやき屋か何かの後ろの方で隠れて座ってたんですけど
、ふと見た瞬間にsakuraと目が合って、sakuraの攻撃を受けてしまいました。しばらく撮影に友達と一緒に同行して、途中で風邪引きそうで、
寒かったので帰りました。だからロックイットには隠れキャラとしてさりげなくどこかに映ってるよ。
(百瀬談:10日に大阪城のチケット売出して、11日に完売したというのを、オリコン撮影のスタジオで聞いて、すごいみんなで喜んでた。)
1996.11.13(Wed.)、14(Thu.) 『Lies and Truth』のプロモーションビデオ撮影がありました。埼玉の入間市というところの怪しげな洋館で、初日に行ったにもかかわらず、僕
の作業は10分ぐらいで終わるような撮影で、すごく暇を持て余してしまい、そのかわりに前々からそのパフィーの2人が持っていたカタカタとい
うゲームに興味を持ってて、このころにはそれが釣りゲームという実態を発見して、かなり欲しくて欲しくてしようがなく、次の日早起きしてでも
買いに行こうかなというような勢いでした。でも、外国のおもちゃなので、どこに売っているか分からなくて、ミッチャンに頼んで、買ってきてよと
いうようなことを言いながら、13日はラーメンを食って帰りました。翌日ミッチャンが釣りゲームを買ってきてくれてたんですが、ミッチャンという
のはすごいおもちゃ好きで、しょっちゅうおもちゃを買ってくるんですけど、その釣りゲームも、てっきり僕に買ってきてくれたのだと思ったら、自
分の物だと言い張って、結局、僕はその日も入手できませんでした。PV撮影は、今までの撮影の中で一番楽しかった。楽しいというか、つらく
なかった。今までの撮影は結構つらかったんですけど、この撮影は座敷が楽屋だったというのもあるし、暇な時間はUNOをしたり釣りゲームを
したりして、結構楽チンでしたね。動くこともなかったし、楽な撮影でした。
1996.11.15(Fri.)〜 このころからいい加減漫画にも飽きてきて、また小説の方に興味が出てきた1週間でした。僕の家にはファンの方にいただいた小説が結構い
っぱいあって、いつか読まないとなと思いながらも、なかなか面倒くさかったんですが、漫画に飽きてきたんで、ファンの方にいただいた『らせん
』というホラー小説を読み始めました。『らせん』は、前にテレビで見たなというようなストーリーで、何で見たんだろうなと思ってたら、これは続
編で、その前に『リング』という小説があって、それはドラマ化されていて、以前に見たことがあったんです。だから、ストーリーがすごく似ていた
ので見たことがあったと思ったんだなと。その『らせん』を読み終えて、次に手にしたのが、前々から途中で終わってた『52人を殺した男』という
、ソ連で実際にあった殺人鬼の話をドキュメントで書いてある話で、それはすごい陰惨な殺し方で女子供を森の中に連れ込んでナイフで刺して
犯すという。その人はセックスが不能な人で、そうやって殺すことによって快楽を得るという人で、52人まで殺した。ただ一番疑問に残ったの
は、当時のソ連の警察の対処の仕方がすごく曖昧なので、関係ない人が警察に捕まって殺されたりするというのが、ちょっと腑に落ちない点
でした。これを読み終わって、今、読んでいるのが『シャイニング』で、以前から小説を持ってたんだけど、読むタイミングがなくて、小学校ぐらい
のころに一度多分映画を見たと思うんだけど、ほとんど内容を忘れてて、僕はスティーブン・キングが大好きで、ビデオとかほとんど観てるけど
、小説があるからビデオを見ないようにしてたんです。ビデオを見てから小説を読むと、映画を思い出すだけになっちゃうんで。だから、全然想
像力が掻き立てられなくて、今度小説を読む時は、ビデオを見る前に読もうと思ってて、今『シャイニング』を読んでて、きょう現在で下巻の真ん
中まで来ているので、多分きょう明日には読み終わるんじゃないかなという状態です。
1996.11.19(Tue.) 二度目の大阪キャンペーンが行われました。今回はtetsuちゃんと2人組で大阪入りして、散々キャンペーンしたあと、またしてもちゃんこ屋に
行って、初心者のtetsuちゃんに皆でうんちく垂れながら、ちゃんこを食べました。そのあと大阪のあるバーに行ったら、スペースカーボーイズの
人たちがいて、ドラムの宗太君としばらく飲みました。
1996.11.21(Thu.) 歌の大辞テン!僕の大好きな大石恵の楽屋が、僕の楽屋の目の前にありながら、一度もお目にかかれませんでした。
                                        
→6th シングル『Lies and Truth』発売日。オリコン初登場第6位!
                                             (テレビ東京系「タワーカウントダウン」(12/2〜30)テーマソング)
1996.11.24.(Sun.) ツアーパンフ撮影。今回はあえて今までの流れと違う方向のパンフにしようかという感じで、今までと違う感じの撮影になりました。
1996.11.26(Tue.) 金乃玉手箱に出ました。中山秀征と篠原涼子となぎら健壱がいて、篠原涼子はテレビで見ているより、顔が小ちゃいなと思ったけど、ほかの2
人はテレビ通りでした。
1996.11.28(Thu.) 収録とか終わってki/oonに戻ってきて、サイン書かないといけないよと言われて、取材室に入ったら、電気が暗くて空気が怪しくって…。ピンと
来て、ああっと思ったら、やっぱりテーブルの上にケーキとローソクが点いていて、kenちゃんの誕生日だということで、「おめでとう」って、しまし
た。
  そろそろコンサートの準備に忙しくなるんですけど、現段階ではコンサートのステージセットとかの打合せを終えたところですが、今回は今まで
にないコンサートになるでしょうと。みんな楽しみに待っててね。どうせ、この本が出るころには、もう終わっちゃっているんでしょうけど。そう、そ
う。因にこのあとkenちゃんとファンクラブの取材でフランス料理を食べに行くらしいので、僕もついて行きます。