310.「アンチクロックワイズ・ワンダーランド」

主なキャスト:池田鉄洋・内田亜希子・加納幸和・小島聖・伊達暁・中山祐一朗・馬渕英俚可・光石研・村岡希美・山内圭哉
作・演出:長塚圭史 舞台監督:福澤諭志
公演記録:2010.2.23〜24@シアター・ドラマシティ(大阪)
(長塚)圭史くんが英国留学を終えて一発目の阿佐スパ公演でもあり久々の劇団で観れるなきゃやまさん(中山祐一朗氏)っつーのとまるっと去年1年大阪で舞台でお目にかかれなかった池鉄(池田鉄洋氏)っつーのもあり無駄に期待値のハードルをぐんぐんと上げ過ぎてその気合いですっかり大阪2公演ともメール会員先行で取ったおかげで23日夜公演が2列 12番、24日夜公演が5列 40番だったわけだけど。(苦笑)その後に追加公演で24日昼公演が入りしかもそれには長塚圭史+出演者のアフタートークショーが付くってー話でっ!!!そんなのもうー申し込まないわけにはいかないぢゃないですかっ!(は?)誰が出るともその時は決まってなかったけど当然っ!劇団員は出るだろうという思い込みもあり(え?)さくっとe+先行で申し込んでみたらば4列 40番って…この日は1列違いで全く同じ席ですかっ!(3回も行く方がバカなのだよ…。黙)そーんな前方席にわきゃわきゃしつつ(でもぜってぇ舞台の内容はそんなわきゃわきゃした内容ではないだろうことは痛いぐらいに分かっておるのだ…)迎えた当日。どこかでちらりと今回の話は小説家の話(たぶんちらしだったんではなかろうか??おぶおぶ)っつーのを観ただけで詳しい内容はネタバレ完全シャットアウトで行ったんだけどよく分からないと言ってしまえばそうだし分かり過ぎるぐらいに分かるっつったらそのやうな気もしないでもないそんなお話。何だろう??まず最初に思ったのはひっじょぉーに英国的ではあることだよな、と。(は?)行ったことがないから分からないけど(おい)あのどんよりと曇りがちな空の下で繰り広げられる物語と言いますかー…。それはもう絶対的にこっちの先入観から来るものでありもしも圭史くんがバリ島に留学に行っていたとしたら(そんなところに行くのか??だとかそこに果たして演劇的価値があるかどうかはともかくとして…←爆)「これはバリ島っぽいねっ☆」っつー感想になるんだろうとは思うんだけど以前やった(マーティン)マクドナーの翻訳劇(これも圭史くんの演出)2作に手触りが似てる気がしたのだった。どっちかっつーと「ピローマン」(観劇日記No.84参照)に似てると思ったんだけどそれは作家の物語(「ピローマン」は確か絵本作家だった気がするんだけど…)っつーのとなきゃやまさんが刑事役で出てるってことがそういう風に思わせたんだろうと思う。でもパクりかっつーほどにそっくりそのままか??って言われれば全然そんなことあるわけないしあたしは「ピローマン」をたまたま観たことがあったからそれに似てるっつーひきだしを持ってるだけで「ピローマン」を観たことがない人にとったら全然これは圭史くんの作品そのものなのであって何かに似てると思うものがまた全然他のものだったりするのだろうと思う。今までも随分と長塚作品にはいろいろと開けたことのなかったやうなひきだしを無理くり抉じ開けられたかのやうな感覚を味わわせて貰ったけどこれはもっと今のあたしの手近なところにあったひきだしを思わず開けてしまったっつーのに近かったかと思う。つか3回連続で観ても鑑賞に耐え得るモノがあったし全然嫌いな世界ではなく。だからピストルは苦手だけどグロは大丈夫っ!(それもどうか??)

出演者順がずーっと50音順で並んだままだったのでキャストトップに池鉄が来てるもんだからすっかり池鉄主役か??!!みたいなことになっておったんだけど(苦笑)今回の主役は光石(研)さんってことになるのかな??(おぶおぶ)いやまぁそうだよね??この人が小説家張本人なわけだし。のっけからこの小説家の心象風景っつかそういうシーンから始まってやけに耳に付く時計のカチコチ言う音に包まれて10分か15分ほど全く台詞はなし。このままずーっとみんな台詞もなくパントマイムで物語が進んで行くんじゃなかろうか??っつー思いにまで囚われたぐらいだけど(そんなわけない)やぁーっとこ口火を切ってくれた加納(幸和)さんと村岡(希美)さんの声ですっかり落ち着く。(ほっ)でも。時計の音って普通にしてれば全く気にならないのに眠れない夜に聞く時計の音の耳障りなことと言ったら…っ!(滅)家でもまぁ寝られない時に時計の音が耳に付いて…ってことはたまーにあるんだけどそっちはもう耳慣れた音でもあるわけだから放っておけば何とかならないこともない。だけどホテルだの友達の家だの親戚の家だの場所が変わると寝られない上に時計がカチコチ言うなんてことになったらもうー!!!ダメ。(黙)ホテルは大概がベッドサイドにあるデジタル時計表示だからあんまり時計の音が耳に付くなんてことも少ないんだけど何故か目覚まし時計が鎮座ましましてるとこなんかがあってそんなのだったらまず邪魔でしょうがない…。親戚の家でも壁掛け時計の音が耳に付いて仕方がなかったりしたことがあって最終的には壁から外して勝手に部屋の外に出しておいたことまであったりするんだけど(爆)何だってあんなにイライラさせるのか…。それと同じで眠れない夜は自分の心臓の音まで五月蝿く思えたりすることもあってこっちはどうにも対処の仕様がない…。(当たり前)何とか聞こえない位置を探そうとするんだけど気になり出したら最後もうどうやったって聞こえる気がするんだから、ねぇ??(は?)ま、そんなわけで時間に振り回されたり時間に縛られたりってことでは作家ってのは最たるモノのやうな気がする。締め切りを常に気にしてなくちゃいけないわけだし。あたしもねー作家って職業の人が旦那だったりしたらずっと家にいてくれるわけだし手の空いてる時は掃除だの洗濯だの料理だの家事全般して貰えるんじゃねぇか?(えー…)みたいなことでちょっといいかも??と思ったこともあったけど売れっ子作家さんだったならまずひっきりなしに締め切りが来て修羅場の連続なのであろうしそんなことになれば片手間に家事を…なんて気軽に頼めるやうな雰囲気じゃまずなくなるだろうし書けないイライラで八つ当たられても困るしそれだったらいっそ仕事場として別の部屋を借りるだの何だのして貰ってそっちに缶詰で引き籠もってる間はこっちはのんびりー…なんて方がラクでよろし。(おい)大体作家っつー職業の人と結婚したとして真っ先にその書き下ろした物語が読める!っつー特典があったとしてもあたしはとてもじゃないけどいい読者たり得ないんじゃなかろうか??と思う。どうしたってそれはもう先入観なくして読めない代物ぢゃないか。(え?)全然知らない作家さんの書いた物語ならともかくとしてそれは目の前にいる旦那でもある作家が書いた物語なのでありそうなってみれば素直に「これは面白い!」だの「これは全然ダメだね…」だの無邪気に言えるものではなくてどこか気を遣って「こういうのも面白いと思うよ??」な当たり障りのない感想しか言えなくて「ここをこうやったらもっと面白くなるんじゃないのか?」とか「ここはこういう理由で面白い!」とかまたその無用な一言で書き直されてどんどんダメになっちゃった日にゃぁ首を括らなくちゃならなくなるわっ!(えー…)それだから悦世(村岡希美さんの役どころ)の「栄養になると思って…」っつー方向性は確かにドン引きだけれども(爆)イマジネーションを掻き立てるだのそういう働きかけみたいなものを健気にやってる姿にはほんつ頭が下がる。…ま、それも梨池(りいち。光石研さんの役どころ)には全く理解されてないし感謝の欠片すらもないのだけれど。(苦笑)

当の小説家はと言えばどうやら前作(これはタイトルは言われてなかったっけか??)と今作「サヨフケガタオドロキタン」で今までにない挑戦的な手法に出たって言うのに世の中的には全く理解されないどころかそれまでのファンにもすっかり見放されてしまう結果に陥ってる。だけど作家って職業の人は一体誰のために物語を紡いでるんだろう??(素)自分のため??作品を待ってくれてるファンのため??それとももっともっと途轍もない大きな誰かに書くやうに仕向けられて天からの啓示を写し取るかのやうに完全自動筆記で書いてるわけ??そりゃまぁ少なくとも売れて元は取れなくちゃいけないわけだから読者のためってのはままあるだろう。でもそれが全てじゃない。大体それで作家の全てを理解出来るわけもないし作家さんだって理解して貰おうと思って書いてるわけじゃなかろうし。例えば圭史くんらしい作風だとあたしが評したとする。だけどそこにある「●●さんらしさ」っつーのはあたしが思う全く勝手ないめいじなのであって他の全然違う誰かが思う「●●さんらしさ」とは懸け離れたものかもしれない。それに「●●さんらしさ」で決め付けられた枠の中に治まり切れないモノだって数限りなくあるわけだし。あたしはあたしを形成する様々な経験だの何だので「●●さんらしさ」を決め打ちしてるだけでそれだって全く分かったつもりになってるだけでぢつは全く分かってないのかもしれない。作家の伝えたいことを100%全部受け取るなんて出来ないもの。だってあたしはその作家当人じゃないのだし。大体国語の試験でずっと疑問だったことに「この時の●●の気持ちは次のうちどれでしょう?一番近いと思うものを選びなさい」とかって4択(ま、5択問題が一番多いけど絶対的に1つは「そんなわけないだろ??!!」な完全な間違いが含まれてるもんだから4つとする)になってたりするけどそれだって試験官の考える読み取り方なのであって作者がその通り主人公(ま、脇役でもいいけど…)がそういう風に思うやうに意図して書いたか??って言えば全然そうじゃないかもしれない。試験官としては「これでいこう!」っつー正解は1つあるわけだけどその問題を解く側の人間だって種々雑多なのであってその正解通りに全員が読み取るわけないじゃない??それって物凄くナンセンスだとおも。それだから葛河(梨池)ホラーと呼ばれる耽美でありながら慙愧的な読む側の人間をぞくぞくさせてくれるやうな文章を!って期待され望まれてするわけだけどそれだって作家には全く理解出来ない代物だったりするのだ。「サヨフケ〜」が全くどういう物語なのか??ってのは語られないわけだけどその前作はどうやら公園で名前のない男女が訳知り顔な会話を繰り返して行くお話なのだみたいなことが言われててそれは恐らくだてちん(伊達暁氏)演じる男と馬渕英俚可嬢演じる女が出て来るお話がそうなんだろうと思う。作家の思い描いた通りの公園に2人はいたのであり「俺たちにはあんたに文句を言う権利がある!」って言うぐらいなのだから物語の登場人物ってことになるんだろう。そりゃそうだよね??登場人物は全く意図してここにいるわけじゃない。言うなれば勝手に連れて来られて勝手に操られて物語を進めてるだけだ。それなのにファンと称する人たちから酷い言われ様をされ作家は作家で酷評された物語をすっかり見放す気分なのでありそれは登場人物にしてみれば全く堪ったもんじゃない!男は言う。「物語の途中からじゃ(この世界に)入って行けないだろう??」と。それは作家に対してどれだけ皮肉に聞こえたかは知らないけど男にしてみればいちいちごもっともなことだろう。ただただもうその物語の中で辻褄が合うやうに引き出されて来て過去も未来も自分の手の中には何もなく名前すらも与えられず自分が何者なのかすらも分からないそんな宙ぶらりんな世界に参加させられてるのだから。じゃぁあたしたちはどうだろう??(え?)自分は起きてこの世界に参加してると思ってるけどホントは誰かの夢の中で踊らされてるだけじゃなかろうか、と。あたしだけなのか他人もそうなのか分からないけど確かに夢の中でも実際に触れるし物も食べれるし楽しかったり悲しかったり感情もあるしそれでいて自分の目が覚めてる時の世界とそう大して変わらない場所でいたりしてるとどこまでが夢でどこまでが起きてる時の世界なのか分からなくなってしまう。それって分かってるつもりになってるだけじゃないのか??眠りに付く時だって「あ、今寝たな」って分かる瞬間があるわけでなしすーっと堕ちてくし目覚めればそれは夢の中じゃないと思うだけだ。区別はない。あたしのおばあちゃんなんかはもうすっかり認知症で夢の中のことも起きて過ごしてる世界のことも全くの地続きだったりで関係性もそのつど変わってちゃんとあたしが孫だったりすることもあるけど全然あたしの知らない誰かと間違われてたりはたまたお客さんだと思われてたりすることもあって対応するこっちもしっちゃかめっちゃかで今自分はどこの誰なのかが分からなくなることがある。や、あたしはあたしで全くそれには変わりはないのだけれどどこか不安で何だか心がざわざわする。その感覚とこのお芝居を観てる時の感覚は何だかとっても似てる気がするのだ。そういうのもあたしの中にある経験なわけだからもっと全然違う方向からこのお芝居を観てる人もいるだろうしこの感覚を押し付けようとも思わないんだけどそういう不安定で自分がどことも繋がってないんじゃないか??っつー感覚っつの??死んだこともないわけだから今もしかしたらこの瞬間にも自分はもしかしたらどこかで死んでいてそのまま夢の続きとしてこの世界を生きてると思い続けてるだけじゃなかろうか??みたいなことをね、何だかふっと考えてしまったことがこないだあってね。(えー…)それだから何だかこのお芝居を理解した気になったのだった。

でもさー…あたしは前回阿佐スパの「失われた時間を求めて」は観てないわけだけど何度も何度もこのお芝居の中で猫を探すということ、それは一体どういうことなのか??時間の流れみたいな思わせぶりな台詞で読む側を不安な気持ちにさせ…うんぬんだのって圭史くんは随分と前作の批評を気にしてるってことなのかな??(おぶおぶ)あたしは…批評だとかそういうのなんか全然気にしないでこれからもずっと書きたいものを書きたいやうに書いて提示してくれればそれでいいとおも。お前も全くの無駄なれびうを大量生産してるじゃないかよ??!!ってのはあるんだけど(苦笑)こんなの何にも気にしてくれなくてもいい。戯言だ。ファンを気取ってちゃらちゃらしてるけどこんなの狂った痛い女の妄想だと思ってくれていい。影響を与えてるだなんて偉そうなことは言わないし言えないけど黙殺してくれればそれでいい。満智子(小島聖さんの役どころ)は言う。「もっとあたしたちをぞくぞくさせて欲しいのよ!あなたには随分と期待しているのよ?」と。でもそんなの勝手な…全く思い上がったものでしかないぢゃないかっ!観客を想定しない。それはなかなかに難しいし全く誰1人客のいない空間でお芝居をやる現実なんてものはない。稽古場ぐらいだ。それだけどこんなにたくさんお客さんが入ってたとしても誰1人として心に響かない。そういうことはあり得る。でもそれでもいいぐらいの開き直りでもって魅せて欲しい。観客の思いだなんてプレッシャーに思わなくてもいい。「どうだっ!以上っ!」それでいいんじゃね??そうしてそうやって思い上がった女を作家は階段から突き落として殺してしまう。でもそれすらもどんどんとなかったことにされていく。だってこれはまだ起こってない事件だからだ。語られてない物語だから。作家の頭の中で構想はどんどんと膨らんで行き肉付けされて行く。悦世にも編集者の野口(池田鉄洋さんの役どころ)にも断片的に物語のアイデアを語って聞かせたことはあるみたいだけれどそのことを作家はすっかり忘れてしまってる風だ。でも作家だって何も経験したことばかりを話に書くわけじゃない。当然ながら人を殺したりアリバイを作ったり時刻表を解読してみたり(爆)崖に呼び出してみたり(だから2時間サスペンスばっかり書いてるんじゃないですってばっ!)そんなことをぜぇーんぶ作家がやってみてるわけじゃない。(当たり前)希緒(内田亜希子さんの役どころ)もぢつは人形で人形として自殺させられてて…っつーのまであってやっぱりこれって全部作家の頭の中で繰り広げられてる物語に強制的に参加させられてるだけじゃないのか??(おぶおぶ)そう言えばー。希緒役の内田さんってばナイロン(100℃)の水野(顕子)さんに似てる…っつか並べて見たら全然そんな感じじゃないのかもしれないけど声のトーンとか醸し出す雰囲気だとかお芝居の感じだとか空気感??みたいなのが似てて「あれー??!!水野さんって出てたっけか??や、でもナイロンから2人(村岡さんも出てるし)出てたりしなかったはずなんだけどー??!!」とか思っちまったい。(苦笑)ま、水野さんだったら「イヌの日」(観劇日記No.157参照)出たことあるし圭史くん作品に出たことあるからそんな気がしたのかもしれない。(内田さんは初めてだった…よねぇ??おぶおぶ)

そーんな中でも時空を超えちゃった(は?)刑事2人(若山(山内圭哉さんの役どころ)&安倍(中山祐一朗さんの役どころ))っつーのは和むわー。(え?)うーん、まぁそれが笑うところでは決してないのかもしれないけど少なくともこの2人に関してはちょっぴり笑えた…かな??っつーのも追加公演の時はこの2人のシーンですらくすりとも笑いは起きてなくてそれだからたぶん客の4割(その時は会場の6割ぐらいしか入りがなかったから。爆)ぐらいが笑うっつー方向でおるのじゃなかろうか、と。そういう「え?ここで笑ってもいいの??(おぶおぶ)」な感じも「ピローマン」に近い気がしたっつかー。(だから)にしても脳みそがずるりと割れ目から落ちてぬらぬらと血が滴ってる様子を残酷ではありながらもついつい写メで撮りたくなっちゃうその人間の(野口さんの??←爆)根源的な猥雑さっつか「…うわっ!」って目を逸らしたいのにその隠した手の隙間からちらっと見ちゃう下世話さっつか。あたしも大学の時東京行きの新幹線に乗ってた時にその途中の駅(全然新幹線が止まらない駅)で人身事故が起きて徐行運転してたもんだからまだまだホーム内を警察の人たちが黒いゴミ袋持ってうろってるとことかが窓から見えててあたしはそんなの気持ち悪いしとてもじゃないけど外とか見れなかったんだけどわやわやと半分以上の乗客が窓の外を見ようと必死になってるのを見ちゃってその野次馬根性っつかをまざまざと見たことがあるからこういう人もいるんだなっつかその心境は分からんでもないな、とか。や、でもそんなグロばっかりじゃなく(当たり前)なきゃやまさんが客席から登場して途中で帰っちゃう若山くんに心惹かれつつも「僕は諦めませんよっ!」っつってひらりと病院へ駆け込んで行く(つまりステージにひらりと飛び乗る)とこなんかもう席が近かったもんだからきゅぅぅぅぅぅぅっ!!!!!!かっけぇぇぇぇぇぇっ!!!!!!(は?)っつー感じで。(不謹慎)そうして足を怪我した女(馬渕嬢)をお姫様抱っこで病院に連れて行こうとする若山さんだの激萌えだっつのーvv(爆)ひゃー。お姫様抱っこされてぇぇぇぇぇぇっ!!!(お前だったら腰抜かされるわ…。黙)…とじゅるりなシーンも用意されてて嬉しい限り。(狙ってません)そうして作家はまた机に向かう。物語の、いまだ登場すらしていない物語の中の住人たちに見守られながら作家は物語を紡ぐ。結局のところ人形作りに没頭する奥さんですら作家の物語の中の登場人物で作家はただただ1人で書いてるのかもしれない。野口が途中プロットで聞いたことがあるっつって「奥さんは人形作りに没頭して作家はそれを気に入らないみたいなのをどこかで聞いたことがある気がする」みたいに言ってたし。…つかその野口ですら実在の人物じゃなくて作家の頭の中にしか存在しなかったのかもしれない。そしてその様々な物語は永遠に語られないかもしれない。そう、世界は「かもしれない」で溢れていてあたしたちもその世界の中を手探りで進んで行くしかないのだ。未来はまだ語られていないのだから。あたしは神様なんか信じてないし「生かされてるのだから有り難い」だの感謝したことも滅多にないし(爆)これからもそうやって過ごして行くんだろうけどどうやったって今はただもう「生きてる!」とこれが単なる勝手な思い込みだったとしてもそうやって行くしかないのかねぇ??みたいなさ。(苦笑)…あぁ何だかこのお芝居の核心にちっとも触れないまま自分の思いだけを振り翳して勢い余って訳の分からない文章を書いてしまったやうな気もしますがー…。(黙)だからどうか気にしないでくだせぇ。(おい)

そうして随分長々と書いてしまったのでアフタートークショーについては別枠で語ることにしまふー。(えー…)