標語掲示板
十夜法要 法話 新亡供養 新穀感謝 双盤念仏 25年11月10日
種もあり 土あり水あり光あり 春夏秋冬実りこそあう 25年10月
戦没者慰霊法要 9月15日午後2時 花びらは散っても花は散らない 形は滅びても人は死なない 25年9月
後の世の種を彼岸に蒔きに出る 25年9月
地蔵会式 8月24日 午後4時 御法話 双盤念仏 数珠くり 花火 ご供養 25年8月
自分が生きていることは 先祖様が自分の中に 生きていることだ 爺様婆様たちと共に 25年7月
道は近きにあり 迷える者は それを遠きに求む 25年6月
蒔けば生え蒔かねば生えぬ 善し悪しの人は知らねど 種は正直 25年5月
失ったものを数えるよりも残ったものを生かそう 25年4月
良い種をまいておきたし彼岸かな 25年3月
節分会 二月三日午後二時より
五穀豊穣 家内安全 交通安全 御祈祷 25年2月1日
日も月も軒端かくれはあるものを 弥陀の光は障りくまなく 仏の十二光 超日月光 25年1月
除夜の鐘 三十一日十一時四十分より
数々の煩悩を祓い感謝のできる心を育てましょう 24年12月31日
生かされて生きる命の尊さに 不平あるなし今日も楽しく 24年12月
十夜法要 法話 新亡供養 新穀感謝 双盤念仏 24年11月10日
戦没者慰霊法要 九月九日 午後二時より
ご先祖と天地の恵みいただいて今生きています ありがとう 24年9月
極楽の道に枝なし蓮の華 24年8月
蓮は泥中より成長するが汚泥に染まらず 24年7月
ふまれても根強く忍べ道芝のやがては笑う春は来るらん 24年5月19日
極楽は百萬億土と言うけれど 振り返り見よここも極楽 24年4月15日
彼岸会 傳法ざらえ お勤め 礼拝式 説教 仏様拝む姿が仏様 24年3月23日
節分会 24年月3日 国家安穏 五穀豊穣 家内安全 交通安全 ご祈祷
涅槃会 涅槃図開帳 24年2月14日〜17日
24年2月15日 お釈迦様入滅の日
恭賀新春
この一年 無事平穏な日々でありますよう 平成24年元旦
除夜の鐘 31日11:40〜
三毒五欲はちりほこり 南無阿弥陀仏は箒なり
百八煩悩を払い 新春を迎えましょう 23年12月
十夜法要 法話 新亡供養 新穀感謝 双盤念仏 23年11月10日
鮎は瀬に住み 鳥は樹に 人は情けの下に住む 23年9月
英霊戦没者慰霊会 響け念仏の声 届けこの祈り 23年9月
本山 ご回在 9月6日 お勤め 説教 ご祈祷 23年8月
見えなくてもお花を供えたい 食べなくても美味を供えたい 聞こえなくても話したい
見えざるものへの真心は美しい 23年6月
目で見せて 耳で聞かせて してみせて 褒めてやらねば人はできぬる 23年3月
どんな小さい行でもいい 積み重ねられたものは 木の実のように いつかその人を円熟させる 23年2月
十夜法要 法話 新亡供養 新穀感謝 双盤念仏 22年11月10日
今という今こそ今が大事なり 大事の今が生涯の今 一日一生 22年10月
花には散った後の悲しみはない ただ一途に咲いた喜びだけが残る 真民 22年7月
どんな小さな花でも精一杯咲いている だからかすかな自分でも精一杯生きていこう 真民 22年6月
小さい花でいい独自の花であれ 小さい光でいい独自の光であれ 真民 22年5月
信心に二心なきが故に一念と言う これを一心となづく 信巻 22年5月
玉琢かざれば器とならず 人学ばざれば道を知らず 求道 22年3月
一日一生 一日を大切に 22年元旦
除夜の鐘 身、口、心で犯した罪を清浄にして新春を迎えましょう 21年12月31日
鉄の錆が鉄から出て鉄を食うように 悪は人の心より出て人を滅ぼす 21年11月
鉄のサビは
鉄から出て鉄をむしばむ
私の悪心は
私から出て私をむしばむ(法句経)
とは、お釈迦さまの言葉です。
サビは鉄が空気に触れて生じるのですが、空気のせいだけではなく、鉄自身もさびやすい性質を持っています。
しかし、さびやすい鉄であっても、磨いていればさびることもなく、いつも輝いています。
それと同じように、私たちの心も油断すればすぐに悪い心が生まれてきて、自分自身をむしばんでいくのです。
この「悪い心」というのは煩悩のことで、煩悩は私たちの身も心もむしばみます。
古いことわざに「身から出たサビ」(梅若丸)とあります。
「身」は、もとは人間の体ではなくて刀の刃の部分、刀身のことですが、転じて自分自身をさします。
煩悩は、「身から出たサビ」なのです。
さまざまな煩悩の起きる原因には、環境状態もあるでしょう。
しかしすべてが環境の責任ではなく、鉄と同じように、最大の原因は自分自身にあるのです。
サビやすいもろさを持った人間だからこそ、常に磨きを怠らず、仏心を響かせたいものです。
十夜法要 法話 新亡供養 新穀感謝 双盤念仏 21年11月10日
髪かたちつくろうたびに先ず思え おのが心の姿いかにと 21年10月
布施をするものは福を得 慈心あるものは怨みを得ず 善をなすものは悪を滅ぼし 良くを離るものは悩みなし 21年8月
自分の前に立ちはだかる障害が自分を高める糧である 21年7月
失敗は前進している証です 何もしなければ失敗もしない 泰秀 21年6月
世の中が悪い 他人が悪い しかし自分も悪いところがある 21年5月
人の道は心にあり 人の心は行にあり 21年3月
してみせて 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人はできぬぞ 慈雲 21年2月
一切衆生悉く佛性あり 煩悩妄想の覆うをもって見ること能わず 涅槃経 21年1月
謹賀新年 丑 無事是宝 21年元旦
除夜の鐘 31日11時40分 鐘の音と共にこの1年の煩悩を除き心清浄にして新春を迎えましょう 20年12月
今という今こそ今が大事なり 大事の今が生涯の今 一日一生 20年11月
十夜法要 法話 新亡供養 新穀感謝 双盤念仏 20年11月10日
先に恩を施す人 恩を知り恩に感ずる人 これらの二人はこの世に得難し 20年10月
自分の行いの善悪は そのまま我が身に返ってくる 善因善果悪因悪果 20年9月
大字主催戦没者慰霊法要 20年9月13日
本山御回在 法要 20年9月6日
施餓鬼会 地蔵盆会 20年8月24日
8月24日午後2時、近郊の檀家総代の参列のもと施餓鬼会が盛大に行われた。興善寺は融通念仏宗の寺で都祁地区および隣接の山添村、室生地区、榛原地区、旧上之郷地区など30に近い村々に檀家を持つ、総代数は50数人に及ぶという。この日は、蔵福寺、光明寺、宗佑寺、西念寺、本願寺などの僧侶も加わり総勢9名の僧が読経をあげた。 (都祁地区社会福祉協議会「ふくし都祁」第13号「ふるさとの伝統、行事」より)
生死事大なり 無情迅速なり 心を緩くすることなかれ 正法眼蔵 20年7月
我が身は人に施して 善根功徳を積むときは みな身を照らす世の鏡なり 20年6月
岩もあり木の根もあれど さらさらとたださらさらと 水の流るる 20年2月
番外編 「煮野菜根喫過日専一己事究明」
(野菜根を煮て喫して日を過ごすとも 専一にこじ究明)
食べるものは大したことはなくとも 兎に角自分に厳しく一生懸命頑張る
大根を頂戴することに 頑張らなくっちゃと思います
手を合わせ 仏に祈り祖に誓い 踏みしめて行け 法の細道 20年1月
今年さえ いたくも暮れに近づきぬ 我怠りの日数つもりて 19年12月
十夜法要 法話 新亡供養 新穀感謝 双盤念仏 19年11月10日
家内中仲の良いのが宝船 心やすやす世を渡るなり 一茶 1 9年10月
今日彼岸 菩提の種を 蒔く日かな 1 9年9月
大字主催戦没者慰霊法要 1 9年9月15日
住職さんから9月1日から客殿、庫裡の立て替え工事に取りかかることができたとの報告があった。
英霊は大字内で47霊、英霊が現在の命を軽んじる風潮を見ればどのように感じられるか。
命の大切さ、命の尊厳について山本玄峰老師を例にとりお話があった
山本玄峰老師は昭和22年(1947)に臨済宗妙心寺派の管長となられた。
慶応2年、現在の田辺市本宮町に生まれたが、籠に入れられてお地蔵さんの横に捨てられていた。道行く人は籠の中に幼児が居ることは分かっているが自分の家族を守るだけで精一杯であり引き取ることもできない。中には見るに見かねて自分の乳を含ませ又そのままおいて帰る女性もいた。
そんな中、庄屋さんが見かねて引き取った。当時は誰でも4,5歳の時から畑や田圃に出て働いていた。彼も同じように小さいながらもよく頑張り、手伝いもよくした。時に庄屋さんの言い付けで、町までお酒を買いに行った。7、8キロの道程だ。真っ暗な中、畑仕事が終わってからのことである。大きくなってからは、 筏流しになり材木を運んでいた。
そんなとき19歳の働き盛り、突然悪質な眼病にかかり、目が見えなくなってしまった。3年にも及ぶ長い闘病生活を送ったが、全く治る気配がない。人から四国遍路を裸足で回れば治ると教えてもらい遍路にでることを決心した。1度目、2度目では治らず結局7度。その7度目の巡礼の時、明治22年(1889)であるが無理がたたって、土佐の雪渓寺の門前で行き倒れになってしまった。運良く、寺の山本太玄住職に助けられた。これは何かのお導きだと思い仏門に入る決心をした。お経は聞きながら覚えたが、文字が全く分からず、経典の文字一つ一つを先輩、同僚、住職に聞き、線香3本の光で書く練習をした。厳しい修行を経て、ついに心眼を開き、明治36年(1903)に雪渓寺の住職になった。その後も、全国の名刹の門をたたいて修行に励み、昭和22年(1947)に臨済宗妙心寺派の管長となった。
余談であるが「和歌山県情報館紀州人物往来」には、『終戦のおりの、「耐え難きを耐え、しのび難きをしのび」の文は彼の進言によるものです。また、終戦後、民主主義と天皇制との矛盾に苦しむ憲法調査委員会の相談に「天皇は空に輝く国民の象徴みたいなものだ」と示唆し、憲法第1条「天皇は国民の象徴であり、日本国民統合の象徴」の条項が生まれたことは有名です。』とある。
人は一度命をもらえば、どのような立派な人になるかは分からない。山本玄峰老師は何度死ぬ思いをしたか分からない。その度に生き抜いて最後は高僧にまでなった。命を軽んじるとはもっての他である。
楽せんと楽する楽は楽ならず 楽は苦の種 苦は楽の種
姿が心を写す 心又姿を写す 姿美しければ心美し 心美しければ姿又美し 1 9年8月
道は近くとも行かねば到達せず 事は小さくとも行わねば成就しない 1 9年7月
世の中は 仲の良きこそ菩薩なれ 人をも助け我も安楽 19年6月
己から出ずるものは己に戻る 19年5月
与えられた場所に生きる意味を見つけない人は 何処に行っても満足はない 19年4月
我が身の一寸は見えねど 人の一寸は自ずと見える 19年3月
先祖とは遠き昔にありて しかも現今に 子孫の上に生きている 19年2月
節分会祈祷 2月3日 家内安全 身体健剛 交通安全 19年2月
謹賀新年 十九年元旦 五穀豊穣 七難即滅 七福即生 19年1月
命はひとつ 蟻の命も 人の命も 一つの命 18年12月
与えられた場所へ 生きる意味を見つめない人は どこへ行っても満足はない 18年11月
一切衆生の災い 口よりいずる 18年6月
善を行うも隣人は知らず 悪を行えば百里の遠くでも知られる 18年5月
覚めたときそばに居るとは思うなよ 宵より守る母の手枕 18年4月
相手に指を指せば指先が死ぬ 自分に指せば指が生きる 手を合わせれば幸せになる 18年2月
長寿と福を願はば働けよ 流るる水に腐るはなし 18年1月
悲しいときは 泣くもよし 涙は心の眼を洗う 17年7月
忍の宝を持つ人は 身も心も安らかなり 17年6月
花咲けば 共に眺めん 実熟せば 共に食らわん 悲喜分かち 共に生きん 17年4月
右衆生 左仏と 合わす手の 中ぞゆかしき 南無の一声 17年3月
手を合わせ 仏に祈り 祖に誓い 踏みしめて行け 法の細道 17年1月
人に物を施せば 我が身の助けとなる 16年10月
例えば 人の為に火を灯せば 我が前明らかになるが如し
極楽は はるけき程と 聞きしかど つとめていたる ところなりけり 16年8月
他人が自分を苦しめるのではない 自分の考えが自分を苦しめるのである 16年7月
善因善果 悪因悪果 一切の罪悪は 因果を信ぜざるを 根本とす 16年6月
かかわらず とらわれず 大空は 心かろげに 白雲の行く 16年5月
生死大事なり 無情迅速なり 心を緩くすることなかれ 16年4月
布施 我が身は人に施して善根功徳を積むときは 皆世を照らす鏡なり 16年3月
布施 人に物を施せば我が身の助けとなる
人の為に火を灯せば 我が前明らかになるが如し 15年11月
御仏の 御法の道に 仮にだも 契る心は うれしからまし 良寛 15年10月
15年9月15日 大字戦没者慰霊祭
住職さんからツバメの話があった
ある日母親ツバメが猫に襲われた
折りあたかも三羽の子ツバメの成長期
父親ツバメは夕方からは巣から離れる
母親ツバメがいないことを知らない子ツバメはお腹をすかして夜になるとぴーぴーと鳴く
日中は父親ツバメが自分が食べるのを忘れるぐらい頻繁に子にえさを届ける
それでも夜になるとお腹がすく
住職さんが見るに見かねて、梯子を掛けて青虫を与える
でもなかなか食べようとはしない
一番の成長している子ツバメがついばむとせきをを切ったように
他の二羽も食べ始めた
夜の日課となった
そのうちに梯子を掛ける音を聞いただけで巣から頭を出すようになった
青虫を与えるときに頭をなでても恐がりもしないという
遂に成長して巣立ったということだ
新聞の社会面ではでは親と子どものことがよく載っている
自分一人では生きては行かれない
花の香りは 風に逆らっては 流れない しかし 善い人の香りは 風に逆らって 世に流れる 15年9月
我が目にて 月を眺むと 思うなよ 月の光で 月を眺むる 15年9月
明日あると思うな 心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは 15年8月
美しい姿は美しい顔に勝り 美しい行いは美しい姿に勝る 15年7月
堪忍は必ず人の為ならず つまるところは己が身の為 15年6月
人に施せども慎みて念うことなかれ 施しを受けなば慎みて忘れることなかれ 空海 15年5月
気もつかず目にも見えねどいつの間に ほこりのたまる袂まりけり 15年4月
栗柿に涙なしと思うべからず 栗や柿その涙内に流すなり 沢庵 15年2月
小正月祝う小松の七五三 癸未につけこむ十分の福 良寛 15年1月
濁る世を澄めともいはず我がなりに 澄まして見する谷川の水 14年盆
朝露に競いて咲ける蓮葉(はちすば)の 塵に染まざる人の尊さ 良寛 14年8月
人の善悪(さが)聞けば我が身を咎めばや 人は我が身の鏡なりけり 良寛 14年7月
ひとたびも南無阿弥陀仏と言う人は 蓮の上に登らぬはなし 14年6月
苦を抜くを慈という 楽を与うるを悲という 14年5月
道は近くとも行かねば到達せず 事は小さくとも行わねば成就しない 14年1月
今年さえいたくも暮れに近づきぬ 我おこたりの日数積もりて 13年12月
知足 苦しみは欲の多きがもといなり 足ることを知らば心安らか 13年11月
精進こそは不死の道 放逸こそは死の径なり いそしみ励む者は死することなく 放逸にふける者は生命ありとも既に死す 13年10月
今のみと思いて親に仕えよや 定めなき世の後は知れぬぞ 13年9月
祖先とは遠き昔にありて しかも現今に子孫の上に生きつつある 13年8月
雨霰雪や氷とへだつれど 落つるは同じ谷川の水 13年7月
たった一度しかない一生を本当に生かさなかったら人間に生まれた甲斐がない 13年6月
人に小言を言われた時に腹を立てるな 腹の立つとき小言を言うな 13年5月
家内中仲のよいのが宝船 心易々世を渡るなり 13年4月
堪忍は必ず人の為ならず つまるところは己が身のため 13年3月
善を行うも隣人はそれを知らず 悪を行えば百里の遠くにも知られる 13年2月
一切衆生の禍は口より出ず 12年9月
災難に遭う時には災難に遭うがよく候 死める時には死ぬがよく候 良寛 12年8月
破れたる着物を着ても足る事を知ればつづれの錦なりけり 12年7月
事足れば足に任せて事足らず 足らで事足る身こそ安けれ 12年6月
順境も迷えば苦 逆境も悟れば楽なり 12年5月