凍豆腐 

    

 

天空の道に戻る

 

ふくし都祁 第30号 都祁地区社会福祉協議会 の記事から

「この人に聞く」 都祁白石町 乾 万平さん

- 乾さんは、大和高原地域特産の「高野豆腐」つくり最後のお人だとお聞きしましたが。

そうですな。初めは、天然凍豆腐作りをしていましたが、終わり方は機会による冷凍豆腐でした。冷凍豆腐を作っていたのはこの地域では4軒だったと思います。

- 凍豆腐というのが正式な呼び名でしょうか。

そうですな。「小倉山凍豆腐工業組合」というのがありました。昔の針ケ別所村や都介野村を中心に冬季におけるこの大和高原地方の一大副業でした。

職人はたいてい兵庫県但馬地方から来ていましたが、それ以外に、薪を作る人、豆腐小屋で働く人、豆を運ぶ人、豆腐を売りに出る人など、地元の大勢の人たちがこの小売豆腐つくりに関わっていたわけで、地域経済に大いに貢献していたと思います。

「おまえとこで働かせてもらって100円儲けさしてもらった」と言ってくれた人もいました。

- 戦前の100円は今の100万円近い金額だと思います。ところで、材料の豆はどこから仕入れていましたか。

戦後は委託加工がほとんどでしたが、戦前は大体、朝鮮や満州からの輸入でした。満州からの品物は「ハクビ」とか「コンボウ」とか言っていました。

戦後は北海道や東北から仕入れていた工場もありました。

それを奈良の京終から索道で運ばれてきたものです。索道は小倉に発着駅がありました。

- そうですね。「索道」は、この地方独特の当時の懐かしい風景ですね。

 

 

 

 

大和高原の凍豆腐製造のおこり