第1回 伊賀線 西名張〜伊賀神戸間

■■■ 美旗新田〜伊賀神戸間 ■■■

さて、トンネル跡を後にし、廃線跡とほぼ並行して歩いていきます。先ほどの少年とは途中で別れ、しばらく歩いていくと、右手に築堤が見えてきます。何となく分かっていただけますか?
さらに歩いていくと、先ほどの地点よりもっとハッキリした築堤が右手に見えてきます。中央に白い軽トラが止まっていますが、ここから築堤に上がれそうだったので、行ってみることにしました。
うーん、右手は草木が生い茂っており、周辺を見ても特段何もありませんでした。このまま先へ進もうとしましたが、すぐ行き当たってしまい、やむなく元の道へ降り、一定の距離を保ちながら併走していきます。
さらに進むと、手応えの感じる築堤部分が現れました。築堤部分はきれいに草刈りがされ、人間の手が入っていました。築堤を挟むように水田があり、農作業用の道路として使われているように思われました。せっかくなのでこの築堤を歩いてみることにしました。
何となく不気味な感じがしましたが、轍もあり、道路として使われている様子がうかがえます。一気に抜けてみました。なお中央付近に見える鉄板は鉄道施設とは特に関係なさそうでした。
ひたすら進んでいくと、橋を渡ることになります。鉄道橋か!と一瞬心がときめきましたが、普通の道路橋でした。河川の護岸や擁壁にそれらしい痕跡はありませんでした。さらに進んでいきます。
線路跡は右方向にカーブしていきます。2610系の上本町行き急行が通過していきました。伊賀神戸はもうすぐだ!!
線路跡はさらに大阪線に近づき、先ほどの河川をもう一度渡ります。鉄板の下には当時の枕木が使用され、橋梁自体もガーター橋でした。
反対側から撮影してみました。現在も農道として使用されているようなので枕木がしっかりと並べられています。なおこの橋梁の前後は比較的角の取れた砂利が目に付き、線路跡だったことを物語っています。
さらに進むと、近鉄大阪線をくぐります。補強工事がされたのか、コンクリートの色に違いが見られます。写真は歩いてきた方向を振り返っています。さぁ、ゴールは目の前、既にスタートから6時間が経過していました。
伊賀神戸駅が目の前に見えてきました。今の伊賀線の架線柱はすべて近代化され、コンクリート柱となっていますが、手前の数本は木製であるのがお分かりいただけるかと思います。しかしこの辺りは近鉄の用地標も残っており、まだ近鉄の管理下なのでしょうか。昔は単行の電車がゆっくりとこのままホームへ滑り込んでいたのでしょう。
「まもなく、伊賀神戸です。大阪・伊勢・名古屋方面はお乗り換えです」という車内アナウンスが想像されます。今はさび付いてしまった転てつ機、スプリングポイントであるのが分かります。今は自動閉塞式の伊賀線、ATSの設備もあり、運転保安度は飛躍的に向上しています。大阪線ホームに停まっているのは上本町行き急行です。ホームでドリンクを買い、しばしベンチで休息を取ることができました。しかし来た急行は不運にも宇治山田発の快速急行。5200系だったのはありがたかったのですが、生憎満席・・・。結局大和八木駅まで立席でした。あまりにも疲れたので座り込んでしまいました。



[参考情報]

国土交通省ホームページで過去の航空写真を見ることができます。(画像の保存も可能)
下のアイコンをクリックすると別ウィンドウで初期画面が開きます。興味のある方はご覧ください。






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