37歳の誕生日、子どもと一緒に橿原市にある「万葉ホール」へ行く機会がありました。テレビでもおなじみとなった米村でんじろう先生の「一番弟子」というチャーリー西村氏の科学実験のショーを見に行ってきました。ホール内は撮影・録音禁止でしたのでその様子を紹介することはできませんが、「万葉ホール」のすぐ近くにある廃線跡「小房線」を歩いてみましたので紹介します。
この写真は別の日に撮影したものです。出張の帰り、畝傍御陵前駅で急行を待っている間に1枚。 左端に見えているホームの先端が下り(橿原神宮前方)ホームで、植え込みとの間に1線分のスペースがありますね。 これが吉野方面から続いていた小房線跡です。複線標準軌の橿原線と単線狭軌の小房線が併走していた名残です。 |
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さて、万葉ホールから南へ歩いて程ないところに、国道169号(左の道路)から北東へ分岐する細い道が現れます。 線路跡は住宅の建っている部分のようです。フェンスに沿って歩いてみます。 |
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分岐部です。 道路幅は結構狭いです。 |
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大型の車(クラウンなどのクラス)では走れないくらい狭いです。 そのまま進んでいきます。 |
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すると突然空き地が現れ、何やら構造物が見えます。近づくと・・・ | |
じゃーん! 水路を跨ぐ橋台です。一部は右隣の民家に取り込まれているような感じですね。 |
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背後には橿原市体育館があります。この左隣が万葉ホールになります。 | |
そのままさらに進むと、米川の堤防に突き当たり、一旦線路跡は途切れてしまいます。歩いてきた道を堤防上から撮影。 バックに畝傍山が見えています。 |
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米川の堤防から国道165号を渡り、対岸へ出ます。地図上でも確認できますが、上の画像の延長上の道が現れます。さらに進んでみます。 | |
特に遺構らしいものは見あたりません。さらに進みます。 | |
突き当たってしまいました。ここで線路跡は一旦途切れてしまい、地形も区画整理されたため、痕跡はありませんでした。 そこで、終点だったJR畝傍駅に行ってみます。 |
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JR畝傍駅の南端のホームです。線路が撤去されていますが、ここへ小房線が乗り入れていたと思われます。吉野の木材を積んだ貨物列車が発着する光景、皆さんも想像してみてください。 | |
上の写真の反対方向(東方向)です。痕跡は認められません。線路に沿って東へ歩いてみます。 | |
すると住宅地の間に、水路を跨ぐ橋台跡が現れます。 | |
逆向きで撮影するとこんな感じです。JR線から緩やかにカーブを描き、離れていく様子がうかがえます。橋台の幅から、単線だということも分かりますね。すぐ横に獣道ができていますが、これが吉野から直通していた線路跡の遺構と知っている人はどのくらいいるのでしょうか。もう少し歩いてみることにします。 | |
ちょうど軽自動車が止まっているところから右方向に緩やかにカーブしているのがお分かりいただけますか?奥に向かって樹木、居宅、工場と続いていますね。 これが廃線跡です。しかしこれ以上の痕跡はもう見つけることはできませんでした。 |