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2009年文明会長のお言葉



2月 日本では女子マラソンが盛んで、多くの有名選手を輩出してるが、そのさきがけとなったのがゴーマン美智子(73)〔旧姓諏訪〕だった。
彼女がいなかったら女子マラソンがこれほど盛んでなかったかも知れない。
1976年にランナーズ誌がマラソン好き女性の下条由紀子さん企画で創刊されたのも、ゴーマン美智子の活躍で日本でも男女問わずマラソンブームが到来することが予測できたからだといってよい。彼女が走り出した1969年に浴びせられた言葉は「You can?(あなたにはとても無理よ)」であった。 これに反発して頑張りぬき、
足に水ぶくれ、血ぶくれをつくりながら、限界まで練習を重ね、1974年4月ボストンマラソンで2:47:11で優勝、153cm、40kg、38歳の日系女性が世界を驚かせた。 それから10年後のロサンゼルス五輪で初めて女子マラソンが正式種目となった。
彼女は今はワシントン州で暮らしている。
3月 いま健康マラソンが静かなブームとなっている。景気が悪いから手軽にできるランニングが好まれたのか、手詰まり感の強い日常生活で何か発散させるものを求めているのか、メタボリック症候群対策として走りだしたのか、ランニングスカートのようなニューファッションの登場に後押しされたのか、理由は色々と考えられるが、とにかくランナーが非常にふえてきているようだ。
ニューヨーク、ロンドンのように大都会を走る市民マラソンが、07年から東京でも行なわれるようになり、3万人の参加者は抽選に当たった強運の人達という大会のありかたも、「それなら自分も参加してやろう」という心理を引きおこしマラソンブームに拍車をかけていることも間違いない。
過去のマラソンブームは中高年が起こしたもの、今は若い女性がブームの中心だから、きっと長続きするブームだろう。
4月 東京の都心部を走るマラソン大会も素晴らしいが究極のマラソン大会とは何だろうか?世界に目を向けるとまずは毎年2月にルクソールで開かれるエジプト国際マラソン。ハトシェプスト女王葬祭殿を出発、王家の谷、ルクール神殿等の遺跡めぐりコース、紀元前二十数世紀前に感覚が戻るフルマラソンで制限時間は6時間。次いでは、7月に開催のスイスアルパインマラソン。ダボスからアルプス登山道を走る78km、標高差2300m。余程高地トレで鍛えておかないと高山病でやられるが、この世のものとは思えない山岳の絶景を走る。とにかく凄みのあるのが4月に開催のサハラマラソン。灼熱のサハラ砂漠230kmを7日間かけて走る。水以外の食料、衣類等はすべて自分で背負う。砂漠は地形の変化が激しいから、コースは毎年変更される。時間と余裕と体力に自信がある人にはこれらがお勧め。一度しかない人生に最高の豊かさを感じる舞台となる。
5月 マラソンブームが到来しているようだが、不況になると走る人が多くなるという説は当たっているだろうか。
大正9年(1920)には第一次世界大戦後の不況が襲ってきていた。それこそ不況以上の言葉がふさわしい恐慌の襲来があった。
その時代にもマラソンブームが起きた。
大正14年(1925)には、東京では「外堀一周マラソン」、内堀五周マラソン」が開催された。現在皇居の周囲を廻っているランナーは、
内堀マラソンコースにほぼ近い。地方でも東京〜福島間の「70マイルマラソン」(112km)や「富士登山マラソン」、「駒ケ岳登山マラソン」が開催された。シューズも今のように衝撃吸収性、足へのフィット性、耐久性等の良いものがなかった時代によくもこんな過酷な大会ができたものだ。
参加者は余程の強い脚力の持ち主達だったのだろう。
6月 先月19日午後、フォーク歌手でランナーの高石ともやさん(67)が会員有志の案内で来訪された。高石さんは「西国霊場の巡礼ラン」を続けている。第一番の那智山西岸渡寺から第三十三番の岐阜、谷汲山華厳寺まで、991kmにも及ぶ距離。19日は第七番の岡寺への巡礼途上だった。

妻のてるえさん(65)が大腸がんで闘病中。今は週一の抗がん剤投与で、一日一万歩のウォーキングができるまで回復されているが、「巡礼は自分と妻の生死を見つめ直すため」であるという。ランニングそのものを目的化するのではなく、ランニングを通して人生に新しい価値を見出し、「陽気にゆこう」とする姿勢がそのまま素晴らしい。誰が、いつ同じような運命にあい、苦悩するかしれない、そんな時きっと生きる希望と勇気を与えられ、元気を得るだろう。それなのに、逆に高石さんから「ランニングの昔話ができておかげで元気になりました」との礼状を戴いた。

【合同練習会、会員の皆様ご協力ありがとうございました。】
7月 昭和時代に女子マラソンで活躍した佐々木七恵さん(53)が直腸がんの為に亡くなった。
同時期に活躍した増田明美さん(45)が早くから脚光を浴びていたのに比して岩手県大船渡で教員をしながら近くの山を駆け上がっている間に力をつけた彼女は地味な存在だった。
しかし東京女子マラソンに第1回から参加、実力を見せだした。 やがて瀬古利彦の恩師中村清の指導を受けるようになり、瀬古と同じSB食品に移って猛烈に鍛えあげ増田明美をしのぐ程のランナーになった。
1984年のロサンゼルス五輪で初めて女子マラソンが正式種目になった。
その五輪に増田明美と共に出場。
2:37:04で完走したが順位は19位であった。このとき増田明美は16Km付近で途中棄権し、気の毒にバッシングにあった。しかし今は解説者として大もて。これは彼女がとても礼儀正しく好かれているからだ。
七恵さんは五輪後に、中村氏の薦めもあって自衛隊勤務の永田氏と結婚。現性永田だった。祈ご冥福。
8月 60歳ながら今年の別大マラソンで2:36:30の高齢者として驚異的な記録を出したランナーが静岡県下田市にいる。
保坂好久さんだ。 この記録は60−64歳の男子Mの世界記録でもある。
彼の練習のあり方も凄まじい。早朝5時から山中の林道を走る。
上がり1km、下り1kmのインターバルを5本、しかも下りを全力で駆ける、スピード維持トレだ。 仕事を終えた夕方からは公園でゆっくりとしたジョグを12km、この遅いジョグが、体をほぐし、温め、集中力を高め、体を走るマシンに変える。
その状態で坂道インターバルを5本、最後にトラックでスプリントを数本。 なんと1日の距離は35kmを超えるから凄い。
普通なら飽きたり、嫌気がさしてくるが、彼にはこのメニューを変えずに1年中をほぼ無休でやりとげる。
普通に考えれば、体の疲労を省みない非常識なトレだが、彼は年代別世界記録の保持という大きな志に燃えているから、この非常識さが目的を達成するための常識ということなのだろう。
9月 私事ながら、次女が聖徳中で英語を教えている。日系4世のジェフ君と結婚したので、8/24〜31まで実家のあるサンフランシスコ(SF)を訪れた。
急坂の町、コートがなければ寒いが、ゴールデンゲートブリッジでは橋を往復する約5キロのジョギングで大汗をかいた。夜はSFジャイアンツ対アリゾナDバックスのメジャーリーグの試合を観戦、逆転また逆転の好試合で8回の裏の特大ホームランでジャイアンツが5-4で勝ったが鳴り物なしでも熱の入った3万8千の観衆の応援はすごいし、最後は皆が立上って声援していた。
SFからラスベガスへ飛び、ヘリコプターでグランドキャニオンを観光、自然の造形した巨大な渓谷のテラスに降り立った。
軽飛行機やバス利用もあるが、軽飛行機は着陸できないし、バスは一日掛かりで、崖に出来た展望台からしか見られない。
巨大ホテルの立ち並ぶベガスは砂漠の中の街で日中は猛烈に暑い。
ジョギングをする人もさすがにいない。 MGMホテルのシルクドソレイユ「KA(カー)」の公演をみたが度肝を抜く演出と命がけの演技が続いた。 さすが世界のラスベガス、半端ではなかった。
10月 8月にベルリンで開催された世界選手権陸上で南アフリカのセメンヤ選手(18)が800Mで金メダルに輝いた。
自己記録を8秒も短縮する1分55秒45の驚異的世界新だった。しかしこれには、男性ではないかとの疑惑が浮上した。なぜなら、筋骨隆々、低い声、青年のような顔付、逆三角形の体型で、最後の200Mで20Mの大差で圧勝、強豪揃いの800Mでは考えられないからだった。 実は2006年アジア大会で銀メダルのインド選手が疑惑を受け、性別検査で男性と判断されメダルを剥奪された過去の例がある。
セメンヤの性別検査の結果について、オーストラリア紙が男性と女性の性殖器を併せ持つ両性具有であることが分かったと報道した。
人間の両性なんて初めて聞く。 ギリシャ神話ではヘルマフロディトスが両性具有とされているが飽く迄神話の世界の話。
国際陸連は11月下旬の理事会で最終判断をするとの声明を出し「公式見解でない」とした。しかし黒人に対する人種差別とみる問題も絡み波紋をよびそうだ。
11月 欧州では常識を超えたマラソン大会がある。
4月に行われる欧州縦断マラソン。 イタリア半島の南端からノルウェーの北端まで約4500キロを駆け上がる。
今年68人中45人の完走者の一人となったのが、岡山県倉敷市の主婦貝畑和子さん(56)。
ウルトラマラソンが性に合うのか、02年に北米大陸(4900キロ)、04年にはシベリア横断(14000キロ)を走破。
そんな彼女に、襲いかかったのが昨年5月の大腸がんの宣告。しかも末期に近いものだった。
大腸を10センチ切除し、抗がん剤の副作用に耐えながら入退院を12回も繰り返し、これを乗り越えて欧州縦断マラソンに参加し、見事に完走した。今彼女は周りの人たちに支えられて走り続けている。欧州縦断マラソンの完走の力を与えたのは、闘病のなかでの自分のマラソンに温かい理解をくれた人達への感謝の心だ。
どんなマラソンであっても完走の喜びを分かち合える人達が一番幸せではないだろうか。
12月 今、新しいマラソン大会がうめれようとしている。 名づけて「エコマラソン」。
これまでの大概の大会は人と順位・記録を競うことにあった。だが人より速く走ろうとして、ボランティアに感謝することもなく、また給水コップを走りながらコース上に投げ捨てる多くのランナー、それを容認する大会運営。
そこにはエコ精神は存在しない。 こんな従来大会を反面教師とするのが「エコマラソン」だ。 H23年春開催を予定しているのが「印旛エコマラソン」。
紙コップは全廃、ランナーはマイカップ、マイ水筒で給水タンクから取水する。コース内にゴミを落として拾わなかった場合失格になる。
会場への交通は、自家用車による来場を禁止する。制限時間は環境を楽しんだりゴミ拾いをしながら走れるように9時間と破格。
しかもタイム計測はしない。 表彰は多くのゴミを拾い上げたりした人達だ。
マラソンにも新時代が到来する。
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