2017年文明会長のお言葉へ


明日香古京走る会のページへ


2018年文明会長のお言葉


 月  お 言 葉
 1月  走る会が永続できるよう明るく、楽しく、仲良く、を心掛けましょう。
☆たった一度の人生に不思議な縁で出会ったラン
☆躰と心を譲り鍛えてくれるラン いつまでも続けましょう
 2月  RUNブームは依然として盛り上がり、衰えを見せない。ではRUNブームはいつ迄続くのか考えてみよう。
①2020年には、東京五輪がある。五輪迄は、すべてのスポーツが盛り上がる。その余韻は五輪後も数年に亘り続くと思われる。 RUNも同じ。

②都市型Mの増加がRUNブームを増長したことは間違いない。参加確率が10人に一人なら、場合により十年間待たないと確実に参加できない計算になる。とにかく参加を希望するならRUNは10年は続けなけれぱならないことになる。この忍耐がRUNブームを支えることになる。

③スポーツも世の中の景気の影響を受けやすい。景気が悪いとお金の掛からないスポーツに人は流れ、景気が良くなるとお金が掛かるスポーツ、ゴルフ、乗馬等が人気となる。ずっと景気の悪い時期が続いたから、RUNが隆盛期を迎えた。これからも高齢化、技術停滞で景気が良くなると思えない。今はお金をダブつかせているだけの見せかけの好景気で、必ず行き詰まる。 RUN は今後も続いてゆくだろう。

④スポーツ企業の凄まじい努力で、シューズの進歩、ギアのファッション化でRUNも随分格好良くなった。これがより多くの人達をRUNに取り込む原動力になっている。

⑤RUNこそスポーツの原点。一人でもでき、勝負を求めず楽しむだけで満足できる。健康維持に最適のスポーツだ。結論:今後も支持されて静かなブームは続いて行くだろう。

 3月  走る人が増加してシューズ程進歩したものは他にはない。昔は足袋だった。マラソン足袋というもので、足袋にゴム底をつけたにすぎない哀れなもので、金栗四三はこんなマラソン足袋でも優勝した。
ローマ五輪
(1960)マラソンではエチオピアのアベベ・ビキラが裸足で走って優勝、東京五輪(1964)ではシュニズ着用での優勝に逆に違和感があったが、足裏の頑丈さは山野を日頃裸足で走って築いた、シューズ顔負けのものだった。走り始めた頃のシューズは飴ゴムの底が多かった。黄褐色の半透明の底ですぐに減ってしまい弾性はあるが消耗品だった。黒ゴム底のものは減るのはましだが底が堅すぎた。 昭和40年代にaゲルが開発され、耐衝撃性・クッション性7)素材で10数mの高さから生卵を落下させても割れないとの報道に仰天させられたもめだった。これが取り入れられた初期シューズは睡部分に液状のaゲルが入っているもので漆障害の防止対策が本格的に取りいれられるようになった。 市民ランナー向けにオニツカタイガー、ミズノ、ハリマヤ、外資系のアディダスのシューズが多く使用され、オニツカはその後アシックスになった。aゲル使用が看板のアシックスは王倒的なブランドに成長した。その当時ハリマヤもあり、金栗三の指導もありながら、金繰りがうまく行かずその後消えていった。プーマ、ナイキ等の外資系は世界的なランブームで日本に入ってきたものだ。昭和40年代には流郷ハイピッチあり、流郷のオッチャンが販売を兼ねてレースに参加、各地で見かけたが、一度も使用しなかったのが今では残念だ。
 4月  春彼岸の疲れを癒やすために桑名市郊外の長島温泉・なばなの里に2泊3日で滞在してきた。桜が満開で、願ってもない花見を満喫した。
 長島温泉は1963(38)天然ガスを探索調査中、温泉が見つかり開発されたもので、隣接する長艮川・揖斐川の豊富な水を利用して黒部峡谷や奥人瀬渓流の自然を再現した露天風呂が幾つも造られている。渓谷には巨石が必要となるが全国各地で探し当てた巨石を運んで配置し、山深い渓谷美を演出した努力と企画力・資金力には感心させられる。湧出量は1日1万トン、泉温60℃、アルカリ単純泉で硫黄や石灰分といった沈殿物成分が殆どないので、配管詰まりなどの恐れがなく、管理もやりやすいようだ。
長島温泉にはオリーブ、長島、花水木の三ホテルがあり、連絡通路でつながっている。宿泊料金はオリーブ、長島が少し安く泊まれるが、春休みとあって満杯、花水木しか空いていなかった。名古屋、大阪にも近く、日帰り客も含めて賑わっていた。隣り合って遊園地や大規模なアウトレットモールもあり、楽しむには時間の余裕が必要だ。 なばなの里は、長島温泉からバスで15分程北にあり、満開の桜と、見事に咲き誇る広大なチューリップ園、大温室ベゴニアガーデンに心を癒やされた。なばなの里は夜にライトアップがあり、昼間とは全く違う雰囲気の幻想的なイルミネーションで、ここでも中国語が一杯飛びかっていた。
 5月  今年も合同練習会が開催される。好天に恵まれることを望みたい。 奥明日香の栢森から、入谷、畑、冬野に到る集落は、人口が激減し続ける地域でもある。20年位前まではこれらの集落にも活気があった。昼間は畑で作業をする人の姿をよく、見かけた。しかし今では、人の姿は見かけずひっそりと静まりかえっている。畑集落は、下畑、上畑に分かれるがいずれも3戸しか住む大がなく、しかも高齢化しており、若人が戻って住むこともないのでいずれは消滅するだろう。 既に空き家となった古い屋敷は、もはや荒廃の途上にある。冬野に到っては2共誰も住む人がいなくなった。たまに身内の人が都会から戻って別荘代わりに楽しんでいる程度だ。入谷から下畑に到る山間部の道は、元々車一台が通れる幅の林道だ。かって一般車道が拡幅工事のため通行止めになり夜間に車でこの林道を使って下畑集落に出たことがあったが、野生動物が走る姿を見かけた程の山間部だ。
今時誰もこの道を使うことがないので荒れ放題。昼間だから動物に出会うことはないだろうが、落枝に足を取られないように願いたい。 奥明日香は、緑が鮮やかで山野草も楽しませてくれる。小鳥のさえずりを聞きながら楽しくランナーが走ってくれることを望みたい。
 6月  本年度の合同練習会も会員の懸命な努力によって成功裡に終了することができました。
多くの健康志向のランナーには、開会式の挨拶で次のようなことを呼びかけました。

①健康ランナーには、生涯にわたり引退はない。競技ランナーは体力の衰え、不成績等があれば、引退への宿命を背負っている。 健康ランナーは引退してはならない。引退したら、その翌日から不健康に向かう日々を送ることになるからだ。

②健康ランナーはマイペースで走ることが大切。マイペースは人により違うが、マイペースで走れば故障

  を防ぎ、心臓や他の内臓の機能を高め、生涯走り通すことができる。健康そうに見える競技ランナーが、  実は過度の肉体的負担により、筋肉、関節、内臓を傷めていることが随分多いのが現実である。

③故障を抱えたときは、徹底して直すことが大切。 故障中も走りたい欲望が強いことはよく分かる。しかし  完全に直しきらないと古傷となって歳を取ってからでてくる。体力低下と古傷に責められて悩みが絶えな  くなる。

④皆で走るときは明るく、楽しく、仲よくを心がけよう。 競技ランナーは周囲の全部が敵。健康ランナーは  、全員が楽しく走る喜びを感じなければならない。皆で明るく、楽しく、仲よく健康ランニングを楽しみ   ましょう

 7月  本会創設の1985年5月以来、毎月例会案内を送付してきましたが、本年7月1日付けで新会長と交代することになり、私からの最終の例会案内をお届けいたします。本職が日曜日に忙しい為、大会参加も逢か以前に卒業したこともあり、ネタに困りながらの作成で役立たずの内容に終始したことをお詫び致します。
 「明日香古京走る会」の会名は、私が「セキスイ」に在職中から大会参加の所属名として使用しておりましたが、当時は参加者も少なく、名簿を見た記者の目を引いたようで新聞記事に紹介されたこともありました。ただ、住所が京都府だったので、記者も不思議に思ったようです。またラジオ放送での電話インタビューを依頼されたこともありましたが、正式な会を創る以前で、しかも短波放送という誰も聴かない放送だったのでお断りしました。とにかく会名は印象に残るようです。
当会の運営に尽力し例会にも毎回参加していたのも、会発足後の五・六年間だけで、その後は仕事の関係もあり、運営を完全に任せきりでしたが、何事にも全員が協力し合うのが当会の特徴で、皆で創り上げてきた会であると確信します。

 橿原市、桜井市、天理市にも、かっては優れたランナーを擁する走友会がありましたが、いつの間にか消滅して行きました。いずれも内部の対立が禍いしてのことでした。会員全員が楽しく走る喜びを感じるように、「明るく、楽しく、仲よく」をモットーに、今後も運営されるようにお願いします。
新会長の下、一層の発展を願い感謝の中に筆を終えます。

   新会長にキーサンが就任のお言葉:「明日香古京走る会のモットー「明るく、楽しく、仲良く」を引き継ぎ、自然体でやっていきますのでよろしくお願いします。