2005年 明日香文明会長のお言葉

1月
新しい年の始まりです。今年一年間元気で走り続けらえれればこれ以上の幸せはありません。
飽くことなく努力を積み重ねられることを願っています。ランニングの継続によって皆様のご健康がいつまでも保たれるようにお祈り申し上げます。 

2月
橋は美徳を持っている。橋はあらゆる人を、あちらの岸からこちらの岸に渡す。そして橋はなんらの報酬を求めず、人を渡すことを天職と心得ている。
世間から認められなくとも、蔭にあって骨を折、しかもひたすらに耐えている。そして、耐えていることも、踏まれていることも意識しないところに橋の偉大さがある。 人を岸から岸へと渡せば自分の仕事は終わりであり、満足であると考え一言も不平を言うことがない。橋の美徳は縁の下の力持ちとなり、捨石となっていることである。 私達は道を走りながら名もない橋を渡ることもあれば、大河に架かる有名な橋を渡ることもある。
そんなとき、ひたすら人を渡してじっと耐えている橋の美徳を思い、人生の一つの灯火としたいものでである。

3月
「主人が悪い」と言えば「妻が悪い」と夫が返し、「嫁が悪い」と姑が言えば、「姑が悪い」と嫁が言い返す。だがお互いにその悪口が悪いことに気が付かないでいる。相手をおとしいれて、自分がよい人間になろうとする。
あるいは相手に対する恨みから悪口をいう。
でもその行為が自分の価値を下げている。
人を損なおうとする行いは、空を仰いでつばを吐くようなもので、相手よりも自分を損なってしまう。
人を傷つけようとする行いは、風に逆らって塵をまくようなもので、他人を傷つけるどころかかえって自分を傷つけてしまう。
声を出した言葉は瞬時に消えてゆく。 でも相手の心には時としていつまでも消えずに残ってしまう。
だから言葉は軽くない。
時として人を殺すこともあれば、人を救うこともあるのだ。
日頃仲の良い、何でも言い合えるランナー同士でも言葉には十分気をつけたいものだ。

4月
「小欲知足」ということに目を向けよう。「小欲の人は苦しみ悩む事が少ない」「足ることを知る人は、たとえ地面に臥すような生活をしていても安楽である。
足ることを知らない人は天堂に暮らすような生活をしていても、なお満足がなく、欲望に引きずられて哀れである。
とかく欲望には限界が無く次から次へと恰も雲が湧き出るように広がってゆく。
そしてその欲望に苦しめられるから決して幸せにはなりえない。
人が生きる時、完全に欲望から離れて仙人のような暮らしをすることはできない。
けれども、その欲に溺れて前後の見境をなくしたのでは不幸になるばかりなのだ。
常に欲望をコントロールし欲望を深めすぎず、足ることを知ることが大切なのだ。
足るを知る為にはどうすれば良いのか。「ありがたい」「もったいない」「おかげさま」と何事にも感謝の日暮をすればどんな場合でも不満がつのることがなくなり、貧欲な心が抑えられるようになるのである。

5月
今年も陽春の訪れとともに桜花が爛漫と咲き誇り、そして僅かな期間を経て散り果てていった。
唐代の詩人の劉梃之の一節に「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」とある。
桜の花は毎年春になると美しく咲く。やがて花が散り葉が落ちて冬枯れとなっても、春風の訪れとともに
また一斉に花を咲かせる。花は毎年同じことを繰り返すので「年々歳々花相似たり」なのである。
これに対して人間の場合は年とともに老いてゆき、この世を去って来年の花を見られない人もいる。人間は毎年毎年変わってゆくから、「歳々年々人同じにからず」なのである。
花は来年もきっと咲くに違いないが、自分が来年も元気で再びこの花の下に立てる保障はどこにもない。しかしこのような人間の真実の姿に目覚めたときに人生の尊さを知り、一瞬一瞬に生きることの重さを知り、無駄にはできなくなるのである。




6月
シドニー五輪女子マラソン金メダルの栄光のランナー高橋尚子(33)が5月9日佐倉アスリートクラブ代表の小出義雄氏との師弟関係を解消し、自立することになった。師弟関係は親子の関係と同じ位に重い筈だし、過去に世話になって栄光を勝ち得たご恩は忘れてはならない筈だから、師弟関係を解消するようなことは弟子の側から普通には言い出せないし、もし弟子がそんなことをすれば秩序を乱す勝手な行動としてこの世から干される覚悟が必要なのだ。
それにも関わらず高橋尚子が行動に出たのは、年齢的限界が近い中での栄光への最後の挑戦をどうすれば出来るかと考え悩み思いつめた末の最後の結論であるにちがいないし、これを認めた小出氏の対応は高橋尚子という栄光と挫折を背負った逸材に対する小出氏の指導者としての愛情の深さがあればこそだろう。
そこに世間のしきたりを越える位に深い人間関係や思いやりが見えてくるのである。

7月
近年糖尿病や脳卒中などの生活習慣病が深刻な問題となってきた。これを防ぐには薬に頼るよりも運動が良いことが周知である。
でもジョギングやマラソンを誰にもやれという訳にはいかない。89年厚生省(当時)は年齢や健康状態に応じた「運動所要量」を作成した。
例えば20歳代なら1週間の合計運動時間は180分、運動時の心拍数は130、60歳代ならそれぞれ140分、
110などと定められていたが具体的にどんな運動をどの程度やればよいのか示されなかった。
93年には「運動指針」を作ったが、「歩くことから始めよう」「一日30分を目標に」といったスローガンが並ぶだけで実用性が欠けていた。そこで厚生労働省では、どんな運動をどれだけ行えば生活習慣病を防げるかとの立場から、階段の上り下り、自転車に乗る等の日常行いやすい運動、カロリー消費を示して急増する肥満を防ぐことになった。今年中に指針がでる予定である。

7月〜9月はサマータイム(7時30分集合)
8月
夕蝉(セミ)の今日のいのちを鳴きしぼる

セミは地中で7年、地上で七日のいのちを送る。いま盛んに鳴いているせみも僅か一週間のいのちしか持たない。でもそれを知ってか知らずか今日一日を懸命に鳴き続けている。
今日一日にすべてをかけているかのように必死で鳴き続けている。 私達人間はセミに較べて遥かに永いいのちに恵まれている。しかし人生を振り返ってみれば「人生は白駒(はっく)の隙(げき)を過ぐるが如し」(十八史略)
とある通り、戸の隙間から白馬が通り過ぎるのを見るように、ほんの一瞬に過ぎないと感じるのだ。
人生は一瞬のごとく短くいつの間にか過ぎ去り、今という一瞬は再び戻ってこない。
でも私達はそのことを意識してこの人生を送っているだろうか。日常の仕事に追われている私達は、それをつい忘れて時間を過ごし、ただ漫然と人生を送りがちだ。
懸命に鳴くセミの姿からも私達は懸命に生きることを学びたいものだ。

9月
70歳でエベレストに登頂し、100歳でスキーを楽しむことが出来ればその人生は活力に溢れた素晴しいものになるだろう。これを実現したのがエベレスト登頂最高齢を記録した冒険スキーヤーの三浦雄一郎、父親の敬三の親子だ。
 こんなことが出来るためには心肺機能が強いことが必要だ。
心肺機能が向上すると、筋肉により多くの酸素送り込むことができ、強い運動にも耐えることが出来る。極めてまれに、筋肉に通常の倍以上の酸素を供給できる特殊ヘモグロビンを作る遺伝子変異を持つ人がいるそうだ。だけど、三浦親子は決してそんな遺伝子を持っていないし、三浦家の家系の人達の遺伝子を調べてもそんな遺伝子は見つからなかった。
結局は弛まざる体の鍛錬の成果であろう。
私達も三浦親子への羨望だけに終わらず、普通の遺伝子しかないひとでも、絶えることのない鍛錬によって、普通のひとからは想像を超える大きな能力を生み出せることを三浦親子から学びたい。

10月
キリンビバリッジからスポーツ飲料「903」が販売されている。「903」の商品名は「クエン酸」飲料だからつけられた。レモンや梅干しには有機酸の一種であるクエン酸が多く含まれているが、疲労の元になる老廃物を分解し、汗や尿にすばやく変えて体外に排出する働きをもっている。50年以上前の1953年に英国の生物学者クレプスは、クエン酸が体内で循環し食べ物をエネルギーに変える仕組みを解明しこの「クエン酸サイクル」の学説でノーベル賞を受賞した。ストレスや不規則な生活で血行が悪くなると細胞内が酸欠状態となって体内でクエン酸が作られず、エネルギーが効率的に生産されない。しかしクエン酸を摂るとエネルギー生産回路が活性化して体内の老廃物の分解が促進されるので疲労回復ができる。ただしクエン酸は熱に弱いので加熱してはいけないし、疲労回復には一度に摂取するより一日数回に分けて摂取したほうが効率的であるとされている。

11月
勝ちと負け、善と悪、幸福と不幸、光と影のように正反対に思えるものが、対となり、根幹ではつながっている。
この幸福と不幸の対の原理を姉妹に例えた話がある。男の所へ尋ねてきた美しい女性が「泊めてください」と頼むので男は喜んで引き受けた。しかし、その後ろには、醜い女性が立っていた。男は美しい女性に「あなただけお泊りください」と勧めたが、この女性は、「私達は姉妹ですから、二人一緒に泊めて頂けないないなら私もこの家には入れません」
と言って去った。不幸を入れたくないばかりに、幸福も入ってこなかったというお話である。
幸福と不幸は背中合わせであり、良いことの中にも悪いことことがあり、悪いことの中にも良かったと喜べることが必ず見つかるものなのだ。
人生は楽しいことばかりでないが、苦しいことばかりでもいない。両方を受け入れる大きな心を持てば、対の原理を理解して喜びを深め辛苦を小さくできるのだ。

12月
シドニー五輪金メダリストの高橋尚子(33)が11月20日の東京国際女子Mで右脚の軽い肉離れを克服して2:24:39で優勝した。
2年間の屈辱を見事に晴らした鍛錬、根性、闘う姿勢に心から拍手を送りたい。
シドニーの女王も、度重なる故障、アテネ代表洩れ、恩師からの独立といった逆風続きで、並みの神経なら挫折してしまうところだったが、「一日24時間は誰にでも平等に与えられている。この時間を誰よりも有効に使えば必ず目的を達成できるのだ」 という信念を貫き通した。
高橋尚子の「0か100」かに掛ける執念をみていると、ゼロになった場合の惨めさを勘定せずに、ただ燃え尽きることに自分を追い込んでいった凄さを感じる。
そして私達に対して、生活にも、仕事にも、勉学にも、趣味にも、スポーツにも、ありとあらゆる場面で懸命に努力し燃焼しきることの尊さを教えてくれたのではないだろうか。