おはスタ感想ページ

2023/03/31(金)

出演:木村昴、NUWARA、ロバート 山本博、サンシャイン池崎
おはガール:後藤花、ちゃおガール 泉沙和香
スポンサー:小学館、バンダイナムコエンターテインメント、yonekyu、ダンジョンズ&ドラゴンズ/アウトローたちの誇り
おはスタ増刊号:なし
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今回の見所

 ポケモンの文明化が始まっているのではないかと考えた点が見所でした。 今日はポケモンの新アニメを紹介。 新アニメの主人公達には普遍性があり、ポケモンが文明化されているのかもしれません。 2023/03/30放送の「奥森皐月の公私混同」を視聴。番組によるとさつきは進学せず、芸能活動に専念するとか。 女子アナの可能性がなくなった点は残念ですが、「お笑い大好き女」として食うに困った後、アイドルデビューするかもしれません。 あるいは、わざわざ困難な道を選んださつきは、岡本太郎のような闘いの人生なのかもしれません。

・ポケモン文明化の始まり
・さつきは「お笑い大好き女」後アイドルデビューか?


●ポケモン文明化の始まり

 ポケモンの文明化が始まっているのではないかと考えました。 今日はリニューアルされたポケモンアニメを紹介。 旧アニメの主人公は日本人の男子でしたが、新アニメの主人公は男女の二人で、しかも男子は黒人のような外観でした。 これはポケモンの文明化を意味しているのではないでしょうか。 文明とは普遍的であり、新アニメは「いつでも、どこでも、誰にでも*1」として、世界中の誰もがすぐに参加可能です。 一方、文化とは慣習的であり、旧アニメは日本人の男子しか参加できません。 アメリカなら文明だけで良いのですが*2、日本には文化があり、文明だけのアニメは見ていて疲れるはずです。


*1 小川仁志, 哲学史 見るだけノート, 43, 普遍:いつでも、どこでも、誰にでも当てはまる特徴

*2 司馬遼太郎, 司馬遼太郎全集 53 アメリカ素描・ロシアについて, 90, アメリカは文明(普遍性)だけで文化(慣習)はない。


●さつきは「お笑い大好き女」後アイドルデビューか?

 さつきが「お笑い大好き女」で売れなかった場合、アイドルデビューするかもしれないと考えました。 2023/03/30放送の「奥森皐月の公私混同」を視聴。番組によるとさつきは進学せず芸能に専念するとか。 進学よりも問題なのは、「お笑い大好きJK」から「お笑い大好き女」への、価値減少です。 「お笑い大好き女」として売れれば良いのですが、そうでなかった場合、食うに困ってアイドルデビューする可能性もあります。 ただ、どうなるにせよ、さつきの人生は岡本太郎のような闘いの人生のようです。

 「お笑い大好きJK」と「お笑い大好き女」とでは、周囲の評価が全く異なります。 2023/03/30放送の「奥森皐月の公私混同」を視聴。同番組と QJWeb によると、さつきは進学せず芸能に専念するとか。 進学の有無よりももっと大きな問題は、さつきが「お笑い大好きJK」から「お笑い大好き女」へと、価値を毀損した点です。 本人は「気持ちは変わらない」「肩書だけが変わる」との事でしたが、周囲の評価は全く異なり、 さつきの価値はJK時代より1/10、JC時代より1/100に減少です。 「お笑い大好き女」は侮辱的な意味合いもあり、さつきの評価と周囲の評価は、大きく乖離しています。

 しかしながら、今後アイドルとしてのさつきを見る機会ができるかもしれません。 例えば、あいは高校卒業後バイト生活をしており、22歳を過ぎてアイドルデビューしています。 あいは個人撮影会も実施しており、アイドルとなったさつきを撮影する機会があるかもしれません。 さなは怪しげなコンカフェで元アイドルとして接客し、あいみは地下劇場でアイドル役をしています。 さつきの女子アナの可能性はなくなり、「お笑い大好き女」としてこじるりやイノサクのように売れれば良いのですが、 食うに困ってアイドルデビューする可能性もあります。

 あるいは、さつきは岡本太郎のような闘いの人生なのかもしれません。 岡本太郎は、誰でも青春のある日に人生にまともにぶつかり、その異様な映像が自分自身の姿である事に戦慄すると言います*1。 さつきも「お笑い女」を選んだ自分自身の姿(すなわち運命)に戦慄しているはずです。ただ、それで良いのです。 なぜなら、「お笑い女」は己を死に導く黒い道だからです*2。女子アナでなく黒い道を選ぶ理由は、社会と対決し通すためです。 社会の現実と不条理な対決をし、汚されても、あくまで対決し続けることにより、単なる正当性を超えて本物になるのです*3。 わざわざ黒い道を選ぶさつきは、闘いの人生かもしれません。


*1 岡本太郎, 岡本太郎の本1 呪術誕生, 3, 誰でも、青春の日、人生に初めてまともにぶつかる瞬間がある。その時、ふと浮かび上がってくる異様な映像に戦慄する。それが自分自身の姿である事に驚くのだ。それはいわゆる性格とか、人格とかいうような固定したものではない。いわば自分自身の運命といったらいいだろうか。

*2 岡本太郎, 岡本太郎の本1 呪術誕生, 5, 人間は生きる瞬間、瞬間、自分の進んでいく道を選ぶ。その時、いつでも、まずいと判断する方、危険な方に賭ける事だ。極端な言い方をすれば、己を滅びに導く、というより死に直面させるような方向、黒い道を選ぶのだ。

*3 岡本太郎, 岡本太郎の本1 呪術誕生, 205, 社会と対決し、芸術家として傷つかない限り、近代芸術として本物ではありえない。鉄斎と対置して考えられるセザンヌやゴッホが、生涯、芸術家として悪戦苦闘した事を考え合わせてみれば、この違いははっきりと浮かび上がってくる。彼らは芸術を通してあくまでも現実と対決したのである。画以上の問題に賭けながら、しかもあくまでも画にこだわり、惨めに落選させられながら、何度でも展覧会に出品したし、画が売れず、正当に認められない事に残酷に苦しみ通した。このような俗な現実との不条理な対決、そしてその泥に汚されるという事は、確かにそれ自体としては無意味だし、ちっとも芸術的な課題ではありえない。だがあくまでも対決し通す事によって、彼らの芸術がオーソドックス、単なる正当性を超えて、本物になっているのだ。これが芸術の秘密である。



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