おはスタ感想ページ
2025/01/24(金)
出演:木村昴、中原みなみ
おはガール:安保心結
スポンサー:小学館、タカラトミー、ShoPro
今週のおはスタ!:こちら
今回の見所
神ゲーとはオリジナリティではないかと考えた点が見所でした。神ゲーを作る企画として消しゴム落としゲームを製作。
VTRによると神ゲーとは「シンプル」との事ですが、これが「誰でも遊べる」という意味なら、それは神ゲーとは言えないような気がします。
なぜなら、誰でも遊べるゲームは単なる「心地よいゲーム」だからです。
岡本太郎いわく芸術は「うまくあるな、きれいであるな、心地よくあるな*1」であり、その本質はオリジナリティです*2。
消しゴム落としは「シンプル」だからというよりも「オリジナル」だから神ゲーではないでしょうか。
Dwarf Fortress(マインクラフトの元ネタ)はシンプルではありませんが、そのオリジナリティゆえ、神ゲーと言えます。
*1 岡本太郎, 岡本太郎の本1 呪術誕生, 55, 今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない。と、私は宣言します。それが芸術における根本条件である、と確信するからです。今まではそれなしには「すぐれた芸術」とはいえないとされていた絶対の条件が何一つなくて、しかも見るものを圧倒し去り、世界観を根底からくつがえしてしまい、以後、その人の生活自体を変えてしまうというほどの力を持ったもの、・・・私はこれこそ、本当の芸術だと思うのです。(初出「今日の芸術」1954年8月)
Ibid, 65, 芸術は「うまく」あってはならない。生きているようだとか、いかにも本物がそこにあるように描いてあるという事で関心するというのは、実際には芸術の本質とは無関係。(例えば、丸山応挙の鯉の絵は、毎夜、庭の池に泳ぎ出すので、逃げられては困るからと後から網を描き入れた(注:修学院離宮の鯉の事)。この網があまりにも綺麗に、こころよく調和して描いてあるところを見ると、これはユーモラスな趣向だったのかもしれないが、いずれにしてもそれが世間に伝えられると、もはや洒落ではなくなって、かえって芸術の問題を歪めてしまう。学校の先生はこういう類の話を教材にしていたが、子ども心にバカバカしかった。)いつの時代でも、本当にすぐれたものは、けっして「うまい」という作品ではない。むしろ、技術的には巧みさ見えない、破れたところのあるような作品の方が、ジカに、純粋に心を打ってくるものを持っている。美術史を貫いて残されているものも、結局、そういう作品である。
Ibid, 63, 芸術は「きれい」であってはならない。きれいさは芸術の本質とは無関係。「きれいね」と言われるような絵は、絵そのものの価値ではなく、たいてい、中のモデルによって関心をひいている。あるいは、単に心持ちの良いモダニズムに過ぎない。
Ibid, 64, 「きれい」と「美しさ」は本質的に違う。「美しさ」は気持ちの良くない、汚いものにでも使える言葉。みにくいものの美しさというものがある。
Ibid, 65, きれいだと思わなくても、その人がすばらしい女性だったら、つきあっているうちに、内の方から美しさが輝いてくる感じで、ついには本当にきれいである気さえする。そんな人は美しい。きれいな女の人の方は、かえって、つきあっていればいるほどなんでもなくなって、すっかり魅力を失ってくる。きれいにさえみえなくなってくる。このように、美しさと、きれいさというのは、質的に違っている。ゴッホは美しい。しかし、きれいではない。ピカソは美しい。しかし、決してきれいではない。
Ibid, 56, 芸術は「ここちよく」あってはならない。優れた芸術には飛躍的な創造があり、時代の常識に逆らって、全く独自のものを生み出しているゆえ、必ず見る人に緊張感を与える。
Ibid, 67, うまいから、きれいだから、ここちよいから、という今日までの絵画の絶対条件が全く無い作品で、しかも見るものを激しく惹きつけ圧倒しさるとしたら、これこそ芸術の本当の凄みであり、恐ろしさではないでしょうか。芸術の力とは、このように無条件なものだという事です。これからの芸術は、「自覚的に」、そうでなければならないのです。
*2 Ibid, 7, 共通の価値判断が成り立たない、自分一人だけにしか働かないマジナイ。芸術(絵画)はそういうものであっていい。

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