満鉄の乗車券(その4)

 下の急行券は朝鮮半島釜山からの連絡急行券(軟券)です。使用済みのものは       
で展示しておりますがこちらは未使用の1等・3等の急行券です。1等は地紋が退色により
判別しにくくなっていますが3等のものは鮮明です。これらは朝鮮総督府交通局から委託を受けた
東亜交通公社発行のものです。東亜交通公社は上記のあじあ号特急券を発行していた東亜旅行社
が1943年に社名変更したもので旧ジャパン・ツーリスト・ビューローと同じ会社となります。
 この券は満鉄終焉期に使用されていた急行券で急行の”興亜”や”大陸”で使用されていたものです。
3等は3円ですが1等は3等の4倍もして12円と高価です。”大陸見物”に掲載した昭和18年7月の
3等切符は2円75銭(税込)でしたのでそれ以降に25銭値上がりしていることになります。
この頃の戦時中に大陸に渡った人はどの様な人だったのでしょうか?

鮮鉄からの連絡急行券(鮮華)

↑ 3等急行券

↑ 1等急行券

社員用乗車券

下の乗車券は社員とその家族限定で発行されていた海水浴用の往復乗車券です。
通用期間も7月1日から8月31日までの限定で社内の営業課で発行されていた様です。

夏家河子は星ヶ浦と並んで大連近郊の有名な海水浴場でした。
大連本社勤務社員の福利厚生の一環として発行されていたものと思われます。
硬券は満鉄地紋に社の朱色マークが印字されています。

右下は軟券の回数券です。本来10往復の
ものですが4枚は既にありません。
価格は1円となっております。
6枚分が無効印を押されて残っています。
上の無効印と下の印はインク色だけでなく
印影も異なっている様です。

あじあ号特急券

満鉄”あじあ”号の1等車用 未発行特急券です。
満鉄の代理店として東亜旅行社により発行されて
いた軟券となります。

東亜旅行社は旧ジャパンツーリストビューローで
1941年〜1943年に使用されていた社名です。
この切符はあじあ号の終焉期頃のものになると
思います。

満鉄地紋にあじあ号が描かれています。
機関車は満鉄株券にもなっているパシナ型の最終
製作機981号になっております。

上から801km以上、800kmまで、500km
までの3種類(第3種〜第1種)となります。
他にも同様に2等用、3等用がありました。
それぞれ等級別に地紋の色が異なっていた様です。

下の写真はこれらの裏面です。

1等車はあじあ号のシンボル的な最後尾の
展望車が有名ですが後に多客時増結用として
2両追加製作された中間車も運用されておりました。