京都からSunny Side Up(2004年2月16日発表) 京都のSunny Side Upを紹介します。男性2人と女性1人の「コーラスポップユニット」として、1999年5月に結成されたサニサイ、自主制作CDの発売は翌々年4月でした。サニサイのテーマソングとも言える「一番星」が入ったこのCD、詩人の近所の京都有名レコード店で、インディーズ(アングラではない)コーナーに置いてありましたよ。 その後、京都国際建築専門学校のCMソングを作ったり、各種イベントに出演していましたが、有名になったのは、2002年9月発売のマキシシングル「京都慕情」から。ベンチャーズもびっくりのハーモニーで、京都インディーズCD売り上げ1位になりました。同年12月発売の「snow love song」は、某スポーツ用品量販店のCMソングとして、TVで流れました(広瀬香美もびっくり)。更に、2003年7月の「彼女の夏」、同年12月の「Snow Party」と、いい曲が続いています。 サニサイは、広島出身でリーダーの村井君(キーボード)、京都出身のわかちゃん(パーカッション)とりゅう君(ギター)姉弟の3人組です。曲は「ポップ」で片付く軽いものではなく、引き篭もりの「フォークソング」でもありません。思わずほっこりと笑ってしまう若者の明るさと、涙を見せずに胸の奥をじーんとさせる切なさが詰まっています。キャラクターは、両口和史の描くジャケットそのまま。AM神戸、岡山シティエフエム、京都αステーションの喋りを聞こう。 3人の演奏を生で聞いて心地よい理由は、リズムの安定です。村井君のRD-700を弾く左手の確かさと、わかちゃんの発音の歯切れよさがいい。メジャーの人でも危うい人がいるのにね。それにりゅう君のギターカッティングが隙間を埋めて、かっちりとした3人の音になります。これがあるから、ベース、ドラムスが重なると、ますます心地よくなります。 それから、歌の音程の正確さ。ちょっとプロらしくない歌い方でも、3人とも音質がまるで違っていても、ハーモニーはぴったりと決まります。クールな村井君の落ち着いた低音と幅広い音域、ちゃきちゃきわかちゃんの浮付かないキュートなハイトーンボイス、どちらのリードボーカルもごっつええ感じ。ラグビーで鍛えた体に似合わない(失礼)りゅう君のかわいい声は、ライブでリクエストしましょう。詩人は、タンバリンを叩くわかちゃんの仕草が、かわいくて好きです(なんじゃそら)。 サニサイのホームページはこちらから。(注:Sunny Side Upは、2005年6月にSANISAIへ改名しました) |
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荒振る魂・近藤等則(2003年2月12日発表) 戦うトランペッター、近藤等則氏のことを話します。彼は、70年代後半ニューヨークに住んで、ヨーロッパ辺りをうろついてはレコーディングにどんどん参加していました。日本人であることにこだわりながら、外国受けのする、けったいなおっさんでした。 彼が爆発するのは80年代。Tibetan Blue Air Liquid BandやIMAで、「空中浮遊」、「大変」、「コントン」、「337」、「HUMAN MARKET」と、次々と傑作を発表しました。彼のど迫力ステージは何回も見ましたが、おもしろかったのは何かの無料招待公演の時。いつもの様に、大音量で「四股立ち吹き」(詩人命名)をやっていましたが、どう見ても客は「近藤」より「無料」で集まっている!「僕が立って演奏しているのに、ただで見ている君たちが座っているなんておかしいじゃないか。さあ立て。」と怒鳴りながら降りてきて、客に向かってブギャブギャ吹き始めました。事情を知らない無垢な人たちは、卒倒しそうになっていました。 CMや映画音楽で有名になりだしたのも、この頃です。「資金面では助かった。」と、彼は書いています(「骨男」より)。そういえば詩人も、ライブビデオを買ってサインをもらいましたよ、近藤さん。ただし彼はかなり屈折していたようで、「モノばかり売る時代に、日本人の魂をプレゼンする俺たちは受け入れられなかった。」と書いています(「骨男」より)。90年代前半に、彼は拠点をアムステルダムに移しました。 NHK、「世界わが心の旅」と「地球を吹くBlow the Earth」は、いい番組でした。エルサレムとペルーで、地球に響く彼の音を、美しい映像付きで楽しめました。アンデスの山の中で、彼の「仁王流電気ラッパ」(これも詩人命名)は、素敵に鳴り響いていました。こうして、90年代から新世紀へと、彼は大爆発中です。「極北の夏を駆け抜けて 〜大自然のパノラマ・アラスカ鉄道〜」を見ましたか?2001年には「世界聖なる音楽祭・広島2001」を総合プロデュース、舞台はいよいよ世界どころか宇宙です。 彼のラッパは、生音をマイクで拾わずに、マウスピースの横に開けた穴に三つのピックアップを差し込んでいます。その後3チャンネルのプリアンプを通し、ディレイでステレオ化して、更にマルチ・エフェクター、ハーモナイザー等を使っているとか(「イズラエル」より)。確かに、生音から聞こえる唇の震えは聞こえませんが、人工音の後ろで揺らめく彼の宇宙は伝わってきます。2002年発表の「NERVE TRIPPER」を、聞きましょう。 いっちょかみのおっさんのこと、気になる発言は数知れず。本としては、「悲しい恋の物語」、「ラッパ一本玉手箱」、「我かく戦えり」、「骨男」、「世界は音楽でいっぱい!」、「イズラエル」が出ています(在庫は知りまへん)。彼の関係者は数知れずですが、浅川マキとBill Laswellは押さえておきましょう(中毒に注意!)。ついでに、オランダにいる彼のファンのHPもどうぞ。 |
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尊敬しますJoni Mitchell(2002年2月1日発表)
Joni Mitchellは尊敬しています。1943年生まれの彼女、「Both Sides, Now」や「The
Circle Game」のお下げ髪の頃から、すっかり貫禄が付きました。人が成熟する、ひとつの理想の姿です。 |
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甦るRENAISSANCE(2001年9月9日発表) RENAISSANCEの復刻盤が、発売されています。「PROLOGUE」、「ASHES ARE BURNING」、「NOVELLA」、「A
SONG FOR ALL SEASONS」など、過去の遺産どころか21世紀になってますます新鮮です。音の古さは仕方がないとして、Annie
Haslamの「水晶の歌声」、Michael Dunfordの「英国伝統・癒しのギター」など、聞き応え十分。
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音楽自動販売機 (2001年1月29日発表)
Digital Contents Terminal(DCT)をご存じですか。大きなCDshopに行くと置いてある、おもしろ機械です。「Music」、「Digital
Photo」と「Digital Print」の三つの機能があり、そのうち「Music」とは、「音楽ソフトのMDへのダウンロードを誰でも簡単に24時間可能にするシステム」です。入手可能な音源は現在約1200曲あり、J-POPを中心にJAZZ、HIPHOP、歌謡曲など盛りだくさんです。
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お菓子にCD? CDにお菓子? (2000年10月21日発表)
2000年10月24日に、ブルボンよりスティックタイプのビスケット「ジ・オーデイション」が発売されました。箱には2人の女の子の写真が印刷され、中には何とCDが入っています。CDには2人分のオリジナル曲が録音されており、お菓子はカカオ、セサミ、ベジタブルなど5種類あるので、女の子は計10人います。
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頑張れ、谷村新司 (2000年6月3日発表)
「なみだながし、つかれたとき〜」と、純情フォーク全盛の1970年代前半に、いかにもいかつい3人組の歌が流れてきました。歌詞のかわゆさはともかく、野太い声のハーモニーの分厚さにはびっくり。「明日への賛歌」なんて和製「Love
The One You're With」じゃないかと思ったものです。
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山下和仁のこと、guitaristのこと (2000年2月16日発表)
山下和仁が元気に活動しています。同時期の録音を日をずらして発売することは、商売ですからしかたありませんが、それにしても発表量がすごい。領域の幅がすごい。
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小林桂の色気 (2000年1月27日発表)
小林桂(Kei Kobayashi)の「So nice」を聞きました。艶のあるtone、Beatにからむintonation、楽器の音符の隙間を縫うvibration、いやあ、心地よいです。優等生の臭さが無く、好きで楽しくやっているのが伝わります。何といっても色気があります。「My
Funny Valentine」をChet Bakerと聞き比べると、まさに陰と陽。片や遠巻きにこわごわ見ている、片や「おもろかったですわ」と握手したく(手を触りたく?)なる、この違い。
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追悼Grover Washington Jr. (1999年12月24日発表) (東芝Blue Note Club会報 No.16に掲載されました) Grover Washington Jr.が逝きました。Jazz
Giantの早すぎる死でした。Sonny Rollinsが、存在として音楽を鳴らしているのに対し、彼は生きる中で音楽が鳴っていました。僕等の生き方に、音楽を鳴らしてくれました。彼は、音楽の楽しさを模範で示してくれる偉大な教師でした。楽しいラッパを聴かせてくれて、吹き方を教えてくれる、かっこいい近所のお爺さんの様でした。 |