第3話 ハーレーダビッドソン/前編
僕は、とあるバイク屋へ向かっているところだった。
今年の梅雨は雨が少なく、中休みというには長過ぎる好天が続いていた。駅から500m歩くだけでも汗が顎から滴り落ちる。横を通り過ぎる車たちが熱風をまき散らして、この街を救いようのない、熱帯のパラダイスに変えてくれているようだ。
僕は暑いのは得意なほうである。ちょっとしたコツがあるのだ。それは耳をすます感覚に似ている。その感覚を僕はオーストラリアで学んだ。
しかしこの暑さは別物だ。あきらかに不純物による蒸し暑さだ。それはこの空気に溶け込んだ塵や振動のようなものだ。この暑さのせいで、僕はそのバイク屋へ行くことを少し後悔し始めていた。いや、もともとそんなにも期待をしていたわけではなかった。
高速の高架道路を右手に見ながら、8年前にここを歩いた記憶をたどっている。

大学を卒業して10年が過ぎていた。入学当初の、絶対写真で食っていくぞという、強く、そして青い思いに反し、この10年はとりあえず因縁でぶら下がっている状態で写真と付き合ってきた。今となってはそれが悪かったとは思っていないが、計画からは紆余曲折してここに至ったといえる。10年目にして、ようやく僕はプロカメラマンとしてデビューしたのだ。といっても、そんなに華々しいものではない。メジャーな媒体で活躍する同じカメラマンと呼ばれる彼らと比べれば、非常にアンダーグラウンドで安い仕事である。独立してすぐに入ってきた仕事。今はこれ一本しか仕事はない。生活水準は、驚くほど学生時代と変わっていない。

午後2時を過ぎていた。今日は前回撮影した分の写真を納品しに会社へ行く日だった。今日中であれば何時でもいいということだったのだが、特に今日は何かをする用事もなく、家でごろついていても暑いばっかりで、こんな中途半端な時間に家を出たわけである。夜には僕がこの春に辞めた専門学校で教員として、最後に教えた卒業生と会う約束をしていた。それまでに仕事を終わらせなければならない。こんなに晴れているのに、夜からは雨という天気予報を信じ、いつもならバイクで向かうところの会社へめずらしく電車で行くことにした。
そこでふと、最近何気なく見ていたテレビにそのバイク屋が映っていたのを思い出した。今僕が契約している会社のひとつ手前の駅が、そのバイク屋の最寄りの駅だということに気がついたのだ。なつかしさと、かつて僕がそいつの吸引的な魅力に狂った挙げ句に断念したこの世界のひとつの極みをもう一度見たくなって、会社へ向かう途中で下車し立ち寄ることにしたのだった。

 ハーレーダビッドソン。

10年以上、僕の心の中に君臨し続ける頂をあらわす言葉。そのバイク屋はその頂を、ひとつの確固たるルートをもって極めた日本でただひとつのバイク屋だった。

前にそのバイク屋へ行ったのはちょうど8年前。新聞社にいたころだ。新聞社は大学を卒業してから2回目の転職だった。人生の転機だった。僕は乗っていたバイクを手放した。維持する金が無かったこともあったが、その転機に際し、自分をおりこうさんの常識人に仕立て上げようとしたからだとも言える。いや、その時はそうしなければならない必然性があったのだ。
以来、今年250を買うまで僕はバイクに乗っていなかった。今思えば信じられないことである。
あのバイクを売る時に、僕にはひとつの決意があった。いつか必ずハーレーに乗ってやると。
言葉にすると非常に安易である。バイクに乗る多くの人間が「いつかはハーレー」と言う。それもおやじになったら、とか金に余裕ができたら、とか…。
その気持ちが理解できないわけではない。運動能力が低下し、それでもなおバイクに乗りたくて、しかしその時の自分にふさわしい、ちょっと若いやつには手が出せない、速さや力とは別の優越感を求め、それであんな神輿のようなハ−レ−に手を出してしまう。あんなぶよぶよの、成り金おたくおやじとは一緒にされたくはない。
また、逆に今若いやつらがハ−レ−を乗り回しているのも目につく。まったくの誤解のもとに、彼らは国産バイクの延長のような選択でハ−レ−に乗っているようだ。カタチ先行型、必ずそこには誤解がある。マスメディアからの情報に左右され、自分の言葉で「何がいいのか」を説得力をもって語れるやつは少ない。
しかし彼らのようなユーザーがいるからこそ、今日のハーレーダビッドソンがこの不況のおりに、バイク業界としては異例の躍進的な企業たり得るのも確かである。
 
8年前、僕はバイクにおけるある価値観に傾倒していた。それは学生時代、自分がバイクに求めるものが何であるかが分かってきたころ、僕にとってのその頂点となるバイクを知ったところから始まった。まさにそれがハーレーだった。
 フォルム。車体全体が造形美を有しながら、各部にわたる機能美。美しいということが、ハーレーの開発史上、常に追求され続けてきた要素であるということ。
 音。排気音はハーレーを選ぶものにとって重要な要素である。アイドリング時、加速時、図太い音程とリズムは、聞いただけでハーレーと分かるものであり、なぜか一度聞くと忘れることができない魅力を秘めた至上の音楽である。
 力。実際、現代においてはかなり時代遅れの空冷OHVのVツインエンジンは、性能上そんなに馬力があるとか速いとかではない。しかし、1000ccをこえる大排気量。そのひとつひとつの爆発によって加速していく感覚は、今のどんなバイクよりも勝っている。それはあのエンジンの構造からしか得られないものである。
 そしてそれを裏付ける100年もの歴史。何より、これらのことから得られる「テイスト」という形のないものをハーレーは最も重要視し、作り続けてきたのだ。それを理解した上で語られる言葉がある。
「この世には2種類のバイクしかない。ハーレーとハーレーでないバイクである」と。そして知れば知るほど「ハーレーでないバイク」には興味がなくなり、ハーレーの中でも年代を追って時代ごとのモデルの比較をし始め、究極の論題「ハーレーはOHVかSVか」に到達するのである。もちろんそれは、8年前僕が傾倒した価値観、「ヴィンテージ・ハーレー」に基づく場所である。
 
そう、僕が向かうバイク屋とは「ヴィンテージ・ハーレー」専門の老舗で、日本では当然のことながら、その筋では本場アメリカでも幅広いネットワークを持つショップで、ストックしているハーレーはどれも博物館ものという凄さなのだ。前に来た時はちょうど展示会で、そのコレクションを一望できた。まばたきするのも惜しいくらい、すべてがかっこよかった。胸が締め付けられるような美しさを一台一台が秘めていた。
販売しているものでおよそ500万から700万、一番安いものでも300万。当時の僕の生活からして当然諦めざるを得なかったのは言うまでもない。もちろん今だって条件はなんら変わりはない。しかしその時、これ意外に乗りたくはない、とも思った。だから、今まで他のバイクに手を出せなかったのだとも言える。
 
はじめてハーレーを意識したのは20歳の時だった。まだばりばりオフ車で走っている時だった。日々バイクとともに生活していながら、バイクについてはほとんど無知で、はやりの新型バイクやオンロードオフロードぐらいの区別はついたが、その表層的な知識で満足できるレベルでしかなかった。玩具や道具としてそれ以上のものを求める必要性もなかった。
しかしある時、妙に排気音が気になり始めた時期があった。バイクは当然音をたてながら走る。同じバイクでも、レーサーと市販車では音が違う。それはサイレンサーの違いによるものではあるのだが、その時気になったのはそんなことではなく、確かにかっこいい音がするバイクとそうでないバイクが存在するということだった。
街の中を図太い低音を轟かせて走り抜けていく、族や走り屋のようなブォーブォーいうのではなく、連続したひとつひとつの爆発音のつながり。思わずそんな音を聞けば目で追ってしまうような。また、信号待ちで隣につけたバイクから聞こえるアイドリング音。そのバイクがシングルなのかツインなのか、はたまたマルチなのか。音を聞けば大体の排気量まで分かる。その中でも、他のバイクとは違う何かをその裡に秘めたバイクがあった。
リズムが単調な爆発音の繰り返しではなく、あきらかに 生き物のそれであった。振動が伝わってくるような、大排気量から発せられる鼓動。それが次に鞭を入れられ、爆発的に走り出す瞬間を予感させながら静かに待っているかのような落ち着いたリズム。ただの鉄の塊であるはずのものが、ゆらぎをかもしだしていた。それがハーレーだった。それが僕とハーレーとの出会いだった。僕はハーレーに耳から入った。
 
街の喧噪の中に、微かにあの鼓動が混じっていた。もう数十メートル先にそのバイク屋のビルの横っ面が見えている。
今では日本車があの音をまねて似たようなのがうろちょろしているが、この音はあきらかに違う。
ハーレーの中でも84年にデビューしたオールアルミのブロックヘッドエンジン、エヴォリューションと、ヤマハやホンダのいじったやつは聞き分けにくいが、この音はむしろ耕耘機や発電機の音に近い。
それを聞いた瞬間、僕の心臓は回転数をあげた。暑さにうだっていたのも忘れ、ついでに寄ったことも忘れ、ひさしぶりに初恋の女に会うかのような期待感が、僕の足を速く進ませようとも、そこに向かわせまいともさせるようで、混乱した歩き方になっていた。それでも数メートル手前で減速し、そのビルの横にある3on3のコートなんかを見やりながら気を落ち着かせ、できるだけ平静を装いつつ、そのビルの前の駐車場に入っていった。
と、そこに、今まさに走り終えてきたという感じのWLAがアイドリングしながら止まっていた。またがっているのは、白いつなぎを着たそこの整備士の人だった。客のオートバイを整備し終えてちょっと試運転、といったふうであった。それに対峙して立っている男がひとりいる。このオートバイの持ち主ではないようだ。その男の後ろには、緑色のロードパルが止まっていた。フレ-ムにステップの付いた、スクーター以前の原チャリである。多分それに彼は乗ってきたのだろう。二人は何か話しているようだが、僕の耳はすでに、WLAの音しか認識できないようになっていた。
彼らが振り向いた。目が合い、「こんにちは」と僕は言ったような気がしたが覚えていない。
彼らからすれば、少し変なやつに見えたかもしれない。ひさしぶりに見たヴィンテージ・ハーレーを目の前に、僕の表情はどんなだったろう。肩からは今夜卒業生と遊ぶために持ってきたディジュリドゥの袋を下げ、かくかくと近づいてくる猫背の男。
そんな僕に向けられた視線がふと僕の背後に流れた。同時にWLAのエンジン音も止んだ。
振り向くと、アロハシャツにジーンズ、キャッツアイグラスといういでたちの男が立っていた。歳は50前後、だが、充実した人生を好きに生きている男が放つ、青年のような匂いを発していた。
彼は笑顔で、僕とそのロードパルの男を見て、
「いらっしゃい、今日は何かお探しで」と訊いた。そして「まさかその肩のものはライフルじゃないやろうね」と僕に冗談まじりに言った。
「いえ、違います。これ楽器なんです」と僕は答えた。自分の発した言葉が妙にマジっぽいのがおかしかった。
「ちょっと見せてもらいたいんですけど、いいですか」と訊くと、彼は笑顔のまま僕らに背を向け、駐車場の奥の整備工場の手前にあるドアを開けて、
「どうぞ、2階がショールームなんですよ」と言った。

……つづく

第4話へ
motor cycle
home