第4話 ハーレーダビッドソン/後編
 
僕ら二人は彼について階段をのぼっていった。重い金属製のドアを開けると、そこには10数台のヴィンテージ・ハーレーが整然と、あたかも展覧会の美術品のような空気を漂わせながら静かに並んでいた。
こんなにかっこよかったっけ、僕は自分の記憶力を疑った。
イメージよりも多少小柄なこれらのオートバイたちは、新しいもので40年前にアメリカで製造されたハーレーダビッドソンである。そしてすべてが走行可能。それらにとって、何人目になるのかわからない次のオーナーを待っていた。
一台だけでも珍しいのに、この世界にこんな場所があるなんて、信じられない光景だった。
フラットヘッド、ナックル、パン、ハイドラグライド、デュオグライド。どれもそれぞれの時代を築いた伝説を背負っているオートバイたちだ。僕は一台一台を吟味するように眺めていた。
ロードパルの男と案内してくれた人が、ある一台の前で話をしていた。それはさっき下で見たのと同じWLAだった。
「電話で聞いてた人やね、WLAほしいっていう」と、その店長らしき人は言った。「音聞いてどうやった」
「よかったです、」とその男は満面の笑みで答えた。「知り合いにナックル乗ってる人がいるんですけど、OHVとは違ったやさしい音ですね」
そう、WLAは現代のハーレーのOHVとは違い、SV(サイドバルブ)といわれる構造のエンジンで、トラクターなんかと同じ、シンプルなエンジンだ。御当地アメリカではこのサイドバルブにこだわるバイカーが多いと聞く。OHVはドイツ人が考えたもので、アメリカが生み、アメリカのエンジンと呼べるのはサイドバルブなのだと。そしてWLAはハ−レ−が作った、第二次世界大戦軍用モデルである。
「まあ、じっくり考えてみてよ。それまたがってもいいから」と店長が言うと、
「え、いいんですか」とその男は喜びをかくしきれない様子だった。20代半ばだろうか。これを現実的に手に入れられる境遇がうらやましい。彼の喜びが伝わってくるようであり、また少し切ない気持ちが僕の中に生じた。
僕は赤いパンヘッドを眺めていた。すると「何か探してるんですか」と店長が声をかけてきた。
「いえ、特に。 でもいずれ必ずビンテージに乗りたいんですが、知れば知るほどハーレーってどれを選べばいいかわからなくなるんですよね」
ハーレーの各モデルは、時代によって大きく6世代に分類される。しかし、その時代背景や製造年ごとの細かなマイナーチェンジや、限定モデル、生産台数まで言いはじめるともう何が何やら選べなくなってしまう。
「そうだねえ…、何年生まれ?」と店長は訊いた。こういう客は多いだろう。しかし、その人に合った一台を見つけるのがこの店長の楽しみのようだ。いろいろ選択のためのキーワードがあるらしい。訊かれて僕は、それが何を意味するのか分かった。
「1969年です。だからアーリーショベルかなとも考えたんですが」と僕が言うと、
「ああ、やめとき。あいつはよくない」即答だった。「すぐ調子悪くなるし、作りも材質も悪い。うちで取り扱ってるのは64年までなんやけど、それっていうのはわけがあって、65年にハーレーにオートメーションの機械が入って、作りが雑になったんやね。コストを下げるために材質も悪くなって。
それまでは手づくりで、手作業でエンジン積んでたから隙間なくぴた−っと入ってる。経営も好調な時やったから、エンジニアやデザイナーがいいバイクを作るためにとことん好きなことできた時代なんや。だからいまだに現役でストレスなく走れるし、なんといってもかっこいいしね。今こんなオートバイ作ろうと思っても作れないやろうね。」店長はそう言って、赤いパンヘッドにおもむろにまたがった。
「こいつはね、パンヘッドの、最初で最後のリジッドフレーム・スプリンガーフォークなんや。1948年製で通称ヨンパチ。グライドフォークも性能はいいが、スタイルはこれが一番かっこいい。この後タンクがどんどん幅広になってかっこ悪くなっていく。今のツインカムなんてでかいばっかりで、人間が乗らされてるって感じやろ。」
確かにそうだ。それを国産のメーカーはそれがかっこいいんだと勘違いして、まねして。
それは大きな誤解である。ハーレーの堕落を理解せず、バカみたいにただまねして、アメリカンなんて日本でしか通じないカテゴリーまで作って。誰があんなもの乗りたいものか。 だがしかし、それでこそ本物がマイナーでいられるので、僕としてはこの状況が悪いとも言えない。みんなで楽しむには、これらの世界的遺産は現存する台数が少なすぎるからだ。
「ここがクラッチ、ハンドシフト、アクセルは今のオートバイと同じやね」僕に話しているようでもあり、独り言のようにも聞こえる。愛おしむように、店長はそれぞれの操作系を説明していった。
「それで、左のグリップが、」
「進角調整ですね」僕は思わずその謎めいた言葉を口にした。そこが進角調整であることは知っていたが、はたしてなぜそこにあるのか、何のために付いているのかが長年の僕の中での謎だったのだ。
「そう、いわはるとおり、このオートバイはここで進角を調整するんやね」店長は、そこに僕がいたことを確認するように、目だけで少し見上げた。その目は微かに笑みを含んでいた。
「だけど、なんのためにそこに付いてるのかは知らないんです。どう操作するのかも」その笑みに応えるように、僕の声の調子も僅かに明るさを帯び始めていた。先生になつく頭の悪そうな学生さながらである。
「進角っていうのは、ピストンの位置に対してのプラグが発火するタイミングのことで、エンジンは回転数に合わせてどのあたりで爆発させるかを調整してやることで効率良くスムーズに回る。それは知ってるよね」ときかれて、僕はうなづいた。そこまではわかるのだ。ということは、速度に合わせてアクセルと進角を調節しながら走るってことか。フットクラッチでさえ大きな難関なのに、これで店長の言うようにストレスなく走れるのだろうか。
「今のバイクはこれをコンピューターがやってるんやけど、昔のオートバイには付いてないからね。だから自分でする」店長はバイクとオートバイを言いわけていた。「だけど、そんな難しいことではなくて、始動時に全閉から少し開いたあたりに合わせ、走り出す時には全開。あとはずっと全開でいいんや。細かいこと言ったらいろいろあるけどね。
で、停止時。このとき、そのままやったら回転数が高いままなんやけど、ここでこいつを戻してやると回転数が下がって、止まるか止まらんかっていうあの、どどっどっどっどどっていう音になるってわけ」言いながら、店長は、左グリップをもとの全閉に戻した。その動作によって僕は、ゆっくりと夢の世界から現実へと引き戻されるような気がした。見つめながら、僕は静かに興奮していた。長年の謎が解けたのだ。いや、正確に言えば違うのかもしれない。自分なりに納得ができたと言った方がいいのかもしれない。しかし、間違いなく、

 あの左グリップは音のために付いている!

あの至上の音楽は、開発者によって作曲されたものだったのだ。なんということだろう、この事実をこの店長によって知らされることになるとは。

90年代、日本でハーレーのコピー商品がヒットし始めたころ、ハーレーダビッドソンがその排気音に著作権を主張したのは有名なエピソードである。その後それがどうなったのかは、現状を見ればわかるとおり。だが、その主張は正当であった。分からないやつにはそれはただの騒音でしかなく、そこから振動を共鳴できる者にとっては、それは魂を揺さぶる鼓動であるのだ。僕は逆に、大多数が理解できなくて良かったと思っているが。
「この進角調整とハンドシフト、前輪ブレーキ、フットクラッチ。この時代のハーレーは操作系が左に集中してるんや。その上左折時はウィンカーは押しっぱなし、だから実際は大忙しなんやけどね。コーナー手前で減速して、シフトダウンして、その間ウィンカーを点灯させてて出口で加速、となるとね。反対に右手はアクセルだけ。これはウエスタン乗馬に通 じてるんやけど。でもそれを優雅に乗りこなす、そんな喜びがこのオートバイにはある」店長は言って、そのヨンパチから降りた。彼の僕を見る目は、なぜこのオートバイを愛さずにいられよう、と語りかけるようだった。
 

すでに僕の感覚は、完全に8年前のあのころに戻っていた。
かつて街でエボリューション(1984-2001)に出会い。ハーレーを初めて意識し。
近所のショップでカスタムされたスポーツスター1200に乗らせてもらい、始めてアクセルを開けるのが恐いと感じた恐るべきパワー。
ソフテイルやダイナグライドに憧れていたころ、ショベルヘッド(1966-1983)の存在を知る。
ローライダー。その名のごとく、低く長いスタイルは、エボにはない魅力を秘めていた。
どうしてショベルからエボになるとこんなにバランスが悪くなるのだろう、と思っていた時に見た映画「イージーライダー」で、ピーター・フォンダの駆るパンヘッド(1948-1965)のチョッパーが、ハーレーはただの乗り物ではないことを教えてくれた。
軽快なチョッパーから、重厚なFLHのストリップドレッサーに興味がうつり、エンジンの造形を考えればやはりナックルヘッド(1936-1947)OHV創世記に到達し。
創世記と言えば、74TWINの誕生(1922)から始まるSVフラットヘッド(-1952)の歴史こそ、ハーレーの歴史であり、アメリカの歴史と言えるのではないかと思いをめぐらせ、ついに僕はビンテージから抜けだせなくなってしまっていた。
その時だった。この店を知ったのは。ハーレーの雑誌に連載でビンテージの記事が載っていた。それがすべてこの店のコレクションだったのだ。展示会があることを知り、8年前この店に来て僕はその時誓ったのだ。必ず乗ると。
その時とりつかれたのはUL。SVの1200cc。フレームはナックルと同じものでありながら、あのフラットヘッドの整列したフィンがたまらなく美しかった。
しかし、その値段500万円。聞いたとたん、どうにかならないものかと、あらゆる手立てを1秒間の間に何千通 りも考えてみたけれど、そこには何の答えも見つからなかった。
それから8年。錆び付いていた感覚は今ここに蘇ってきた。しかし、
 

「君が持ってきた、あの楽器。ちょっと見せてくれへんかな」
心に沸き上がる切ない思いと欲求を、どう処理すべきか。目の前のパンヘッドを呆然と見つめながら放心していた僕に、店長は言った。僕は我に返り、
「あ、いいですよ」と言った。
「なんていったっけね、その楽器」
「ディジュリドゥです。オーストラリアの楽器で」
僕は袋から最近買ったユーカリでできたディジュリドゥを取り出した。アボリジニの職人が作ったというもので、細身のスタイルとシンプルなペイントが気に入っていた。店長は興味深げにそれを見ていた。とにかく面 白そうなものには何にでも好奇心を示す、子供のような目だった。
「ほう、ちょっと吹いてみてくれへんかな、なんやったっけ、ディ?」
「ディジュリドウ。でも現地の人はイダキって言うそうですけど」言いながら僕はマウスピースを口にあて、唇の位 置を確かめながら試し吹きをした。こんなとこでハーレーを前にして、なんだか緊張してしまう。うまく音が出ない。
「ふうん、イダキね。メモしとかな忘れそうな名前やね。ディ、ジュ、リ、ドゥ…。」店長は部屋の真ん中にある机のメモ用紙に、大きな字でその楽器の名前を書いた。僕は試し吹きから切れ目なく、いつものリズムに入っていった。
この楽器の不思議なのは、吹きはじめると周りが見えなくなるというか、関係なくなろところである。僕は最初の緊張を忘れてしまったかのように、ひとしきり吹いてみせた。そして、最後にちょっときめるつもりで高音を出そうとしたところ、失敗して空気が抜けてしまい、どうにもしまらない音で終了した。
「なかなか、いい音するんやね。それ、中は空洞?」
「はい。生えてる木をシロアリが食べて空洞になったやつを加工してるんです」と言って、僕は店長にマウスピースを向けた。店長はしげしげと中を見た。
「しかし直管ではないんやね。シロアリが食った後が複雑に凹凸 を作ってる。人間がドリルであけた穴やったらこういう音は出ないはずや。あの、最後の音なんかはサイドバルブの音に似てたなあ」
初めて見る楽器を、店長は自分なりに、また的確に理解していた。
「いや、あの最後の音は失敗だったんですよ」失敗したところを褒められて、僕は少し恐縮した。しかもサイドバルブだなんて。
「こっちは初めて聞くからね、失敗なんてわからなかったよ。むしろ、あの乾いた感じの低音の振動が、まさしくWLAの音なんやけどなあ」店長はそういいながら煙草に火をつけ、机の向うにあるゆったりとした椅子に腰を下ろした。
僕はそれを聞いて、そこにあるWLAのほうに目をうつした。そこには僕と一緒にここへ来た男が、WLAに向かって立っていた。いや、立ったりしゃがんだり、いろんな角度からまじまじと眺めていた。
ひとしきり見て満足したのか、その男は僕らの方に歩いてきた。そして、ひとことふたこと店長と話し、僕に軽く会釈して、扉の方に向かった。その後姿に向かって店長が、
「あのロードパル下取りするからね、壊さんように乗りや」と言った。男は振り返り、少し笑ってうなづき、ドアから出ていった。
「あいつは買うね」まだドアの方を見ながら店長は言った。
「うらやましいです」僕は言った。
「いやあ、あの人もすごく欲しそうやったんやけど、問題は金でね。だけど、乗り出し330万のうち30万をなんとか用意して頭金にして、あとの300万はローンにするかって話を今しててね。まあ、多分…。
ぼくもね、WLは好きなオートバイで、ナックルよりもひとまわり小さくて軽くて、確かに750やから馬力じゃあOHVに負けるけど、峠の下りやったら負けたことない。バンク角があるからね。どっか行くっていったらこれやね。自分で操ってるっていう感覚がある。
そして、あの音。さっきも言ったけど、かすれた感じのやわらかい音が、まるで母親の胎音のような優しさがある」
いつのまにか、二人の視線はWLAに向けられていた。
オリーブグリーンに塗られた全身に、タンクの白い星印が大きく光っている。サドルバッグ、サドルシート、前輪に取り付けられたサブマシンガン用のホルスターは赤茶色のオイルドレザーだ。そして、その中心に空冷SV750ccのエンジンが納まっている。ベビーツインと呼ばれたこのエンジンは1937年に生まれ、第2次世界大戦を経て1952年まで生産された。構造がOHVに比べてシンプルなため、軽量 で丈夫なエンジンである。OHVが発売されてからも製造が続けられ、戦争で軍用車に選ばれたのもその信頼度からであろう。そのフラットヘッドに整列するフィンは、実用以上の美しさがある。まるで貝殻かなにか海洋生物のようだ。
「さっき、ディジュリドゥとサイドバルブの音が似てるって言われましたが。確かに似てる部分ってあるかもしれません。ディジュリドゥは吹き終わったあと、その振動で頭がぼーっとする感覚があるんですが、それってバイクに長時間乗ったあとのライダーズハイと似た感覚ですね。僕はバイクに求める重要な要素として、音と振動があるんですが、今のバイクってそれを消す方向に向いてるじゃないですか。ハ−レ−もどんどん振動を消そうとして、それを売り文句にしてたりする。今言われた音についての話、よくわかります」
僕がそういうと店長は、机の向い側にある椅子に僕をうながした。僕は持っていたディジュリドゥを床に置き、その椅子に座った。
「その例えはよくわかるね。そうか、振動か。確かに今のハーレーは昔と違って、誰でも乗れるように開発の方向が向いている。それであんなに売れてるんやからいいんやろうけど、ぼくらは誰でも乗れるようなバイクには乗りたくない。誰も乗ってないようなのに乗りたいんやからね」そう言って店長は、その部屋のハーレーたちを見渡した。僕も同じように視線を移動させていった。
「たとえばね、」店長は入り口近くにある、黒いヨンパチを指差して言った。「あのヨンパチは新車なんよ」
「え!」僕は驚いて振り返った。
1948年、パンヘッドがデビューし、ナックルから時代を継承していく。新機構油圧式のタペットをはじめ、リニューアルされたOHVエンジン。ハーレーの歴史上すでにパンヘッドをもってOHV Vツインは完成されていたといわれる。その年に1万台を超える台数が生産されているはずではあるが、50年以上前の話である。もしそれがここにあるとすれば凄いことである。
「といっても、うちで作ったやつなんやけどね。オリジナルをもとに、うちで復刻したパーツなんかを使って、新車ってこんなんちゃうかなーって、考えて作ったやつなんよ。だけど、正真正銘の新車。きれいやろ」
ちょっと騙された気がしたが、それでも、こんなにきれいなヨンパチに乗れる人は幸せであることは間違いない。
「そこのもすごいよ」今度は僕の真後ろにあるULを指差して言った。「ナックルのシャシーにサイドバルブがのせられてULになるんやけど、そいつはその一番最初の車体。エンジンに刻印されてる番号が001なんや。そいつはマジで、ハーレーの博物館にあってもおかしくない、というよりあるべき代物なんやけどね」どうやら店長自慢の一台らしい。
「僕が昔欲しかったのがULだったんですよ」振り返ると、笑みを浮かべた店長が僕を見ていた。
「サイドバルブはいい。まさに原動機って感じがする。どう?もう一度WLAの音聞いてみる?」そう言って店長は、机の上の電話に手をかけた。
「はい」
僕の心臓はまた回転数を上げた。その音を聞くことに、僕はここへ来る時とは違った期待感を感じていた。
「もう一度WLAのエンジンかけてくれ」店長は内線で下へ指示をした。「1分で準備できるから」と僕に言いながら受話器を戻した。
「金の問題は誰もが言う。だけど待ってたって値段は下がらない。むしろどんどん上がっていく。台数はどんどん減っていくし、ほしいって言ったって出てこない。あんまり言うと商売じみてくるけど、できるだけ早く踏み切るにこしたことはない」浮き足立つ僕を見ながら、そう店長が言い終えると、電話が鳴った。
「わかった。今から降りる」店長は立ち上がって、「さ、いこか」と僕に言った。まるで今から走りに行くぞ、と言われたような気がした。
 
彼は僕をどう見たのだろう。客?それとも同じ思いを共有できる仲間として見てくれたのだろうか。僕は彼に続いて階段を下りながら考えていた。
僕のバイクの趣味はかなり偏っていると思っていた。もっと簡単に、単純にバイクは楽しめるものだ。そんなにこだわらなくても、様々な楽しみ方を受け入れることもできるだろう。いや、理解しないわけじゃない。彼らのように速さを求めたって、彼らのようにパワーを求めたって、雑誌で紹介されるファッションとしてだって、乗ることが楽しいことには変わりはないはずだ。そんなに深く入り込まなければ。そこでとどめておけばいい。
しょせんは道具であり、乗り物であるのだから、自分が主体で当たり前。速く走りたいのは自分、力を誇示したいのは自分、かっこよく見せたいのは自分。それでいいのだ。何も間違ってはいない。
だが、それだけではすまされないものが、道具を超えた何かがそこに秘められていると感じてしまうと、それが最高のものでなければ満足できなくなってしまう。物質ではなく、存在として認められるものでなくては。
そしてそれとの同調。
モーターサイクル以前、この世界にはそれを表す言葉があった。
「人馬一体」
僕はそれを満たしてくれる、この世に一台の鉄の馬を探しているのか。
目の前を、階段を下りていくこの男は、それを理解してくれるような気がした。
 
ドアを開けると数台のナックルが置いてあった。ここの整備士の人のものらしい。そしてその向うにさっき見たWLAが僕らを待っていた。
その前で白い作業つなぎを着た整備士の人がヘルメットを被ろうとしているところだった。僕らが降りてきたのを確認すると、慣れた手付きで始動の儀式を行った。イグニッションスイッチをいれ、進角調整をし、アクセルを数回あおって、キックを踏み込む。と、一発であっけなくエンジンは始動した。
ばたばたばたと、あたりに響き渡るサイドバルブの排気音。調子はすこぶるよさそうだ。
「ちょっと走ってみてくれ」
そう言われてその整備士の人は、駐車場から道路際へとWLAを移動させ、またがった。サドルシートが少し沈みこむ。
フットクラッチを踏み込み、ギヤをローに入れる。進角は全開、アクセルをあけながらクラッチをつないでいく。流れるような動作だった。なんの迷いもない。WLAは滑り出すように道路へ出ていった。
「加速の時の音を聞いてみて」店長は僕に言った。
目の前をWLAは、あの店長が言っていた、優しく、少しかすれた、しかし力強い排気音を轟かせながら走り抜けていった。アイドリングとは違った旋律が、走り去った後も、僕の心のなかで反響し続けていた。
「はあ、かっこいい」僕は思わずため息が出た。
店の周りを一周して、WLAは帰ってきた。遠くから近づいてくる音もまた違う気がした。しかし、WLAのそれであるということはあきらかだった。
僕らの目の前でそれは停車し、整備士の人はギヤをニュートラルにしてそれから降りた。店長はそれに近づいていき、左のグリップをひねった。すると、
どろろろろろどっどっどどっどどっどっどっどどっどっどっどっどっどどど…
まさに、僕をかつてこの道へ引き込んだあのリズムが、駐車場の空気ごと僕を包んでいった。
車体に近づいて見てみると、リジッドフレームに搭載されたフラットヘッドエンジンは、爆発ごとに、車体ごと振動して揺れていた。
 
どっどっどどっどどっどっどっどどっどっどっどっどっどどど…
 
今もまだあの音が、あの時の映像とともに鮮明に蘇る。
僕は決してあの音を忘れることはできないだろう。
あの日僕は、僕を構成する細胞のひとつひとつ、水分や無機質にいたるまで、
ある振動によって、「印し」を付けられてしまったのだから。

……つづく

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