第7話 オーストラリア3/エアーズロック
月夜。月が眩しいほど明るかった。しかし、思ったよりも辺りは明るくはなく、ただ、いつもの星空が無く、空がのっぺりと黒い。
遠くで犬の遠吠えを聞いたような気がした。野犬か、それともこのオーストラリアにだけ生息するというハイエナに似たディンゴなのか。彼等は、僕らがここで野営していることに気付いているのだろうか。それに対する呼び掛け、威嚇、反応を伺っている。
野生に生きるものたちからすれば、僕らはほんの仮初めの存在なのではないだろうか。彼等は、僕らが去っていくのを遠くから、じっと眺めているのではないだろうか。そんな気がする。
だとすれば、何処までが本来のこの世界の姿なのだろう。僕らが日常を生活している人の街は、社会は、宗教は、経済は、建造物や交通手段、階級や職業、知識はいったい、この野生にちゃんと由来しているのだろうか。
人の力では動かし難い、いや、どうしようもないこの大地。ただそこにあり、時間や距離には単位 など無く、ただただそこにあり、この天体が回っているがゆえに訪れる、明るい時と暗い時。本当は、この世界とは、何も無い赤い土の大地で、月の夜、ディンゴが遠吠えしているだけなのかもしれない。
僕はこの月が、どの方角から昇るのかという法則すら知らない。
 
オーストラリア大陸を南北に縦断するスチュワートハイウェイから、大陸のほぼ真ん中に位置するエアーズロックに向けて、西へと分岐する道があった。僕と北川と2台のバイクは、目指すエアーズロックへ向けて、進路を西へ。
しかし、そこを曲がったからといってすぐにエアーズロックが見えてくるわけではない。その分岐点からさらに数百km走らなければならなかった。
パースを出発してから日々赤道に向かって走っているのだから、次第に日中の気温は上がっていくような気がしていた。また、さらに乾燥の度合いも増したような気がした。ここはほぼ、大陸の中心なのだ。

気温や湿度の他に、もうひとつ明らかな変化があった。それはハエである。街で見かけるハエではなく、砂漠適応型のハエで、米粒に羽がはえているような大きさだった。それが街を出て走りはじめると現れ出し、いつのまにやらいつもまとわりつくようになった。本当に「いつも」なのだ。
休憩しようとバイクを路肩に止め、降りると、生き物の気配すらない場所で、どこからか一匹のハエが現れる。その一匹が顔のまわりを飛び回っているかと思えば、いつのまにか2匹になっている。煙草を巻いたり、水を飲んでいると、あっというまに顔中ハエだらけ。もう数えきれないほどのハエが、ものの数分で湧いて出てくるのだ。
いったいどこから。見渡す限りの砂漠、地平線までである。不思議だった。北川と二人、このハエの出所についても話し合ったが、確証がない。あまりに鬱陶しくなってくると、もうその場を離れるしかなかった。走り出しても、何匹かは荷物や服にしがみついていたが、50kmごとの休憩まで耐えているやつはそうはいないだろう。と、思っていても、止まる度にハエは現れ、僕らの目や鼻や口の水分を、その小さな舌でぴとぴと舐めに来る。ハエの舌は冷たかった。灼熱だからそれが気持ちいい、とは決して思えず、持っていた防虫スプレーで応戦するも、そんなものは一時的なものでしかなかった。
ある時道すがら出会ったツーリストが、ハエ専用の防虫スプレーがあることを教えてくれた。まさに顔に向けて噴射するのである。早速買って試してみるとこれが効果てきめん。ハエ達が顔によってこなくなった。この効果は休憩の時間くらいは充分もっていた。それまではハエに話し掛けたり、怒鳴り付けたりして対処してきたのだ。こんなスプレーが砂漠の必需品であるとは、予想もしていなかった。
しかし、内陸部に行くにつれその状況は悪化していった。内陸に行けば行くほど環境は過酷であるのは間違いないのに、ハエの数はどんどん増えていくのだ。もうスプレーだけでは対処しきれず、ある街で僕は「フライネット」というハエよけの頭から被る網を買った。北川は僕より少しの間がんばっていたが、ある時ハエを吸い込み、鼻からだか口からだか「たん」と一緒に吐き出しては、この分岐点の手前で愛用の帽子の上から被れるものを探して買っていた。
 
その道は、それまでで一番光が溢れ、暑かったように思えた。進む方角が変わったせいもあるのかもしれない。昼を過ぎ、天頂から次第に太陽は、僕らの正面から照らすように角度を下げていく。道端の立ち枯れした木には、暑さによってバーストしたタイヤが鈴生りに引っかけられている。誰かが遊んだあとなのか、危険を警告するものなのか。ここでバイクが壊れたら、燃料がなくなったら、水がなくなったら。分岐点からエアーズロックまで補給地点はない。
無理はせず、日が傾きかけると僕らはその道の途中でキャンプ地を探した。
夕陽は毎日見られるすばらしいドラマだった。朝日もそうだった。地平線から昇る太陽、地平線に沈む太陽。僕らは何をしていてもその時は手を止め、その瞬間を見つめた。そして、満月の日はその太陽と反対側の地平線から真っ赤な月が昇ってくる。地平線から昇る月、沈む月。毎日くりかえされることがこんなにも美しい。
ただ、それを受け入れればよかっただけなのに。
夕陽を見ながら、僕はふと今日が満月であることを思った。
「今日は満月だから、もうすぐ月の出が見られるぞ。あっちの方角からだな。」といって、今朝太陽が昇った方角を指差した。すると、
「いや、今太陽があっちに沈んだから、今の時期だとこっちだと俺は思う。」と、北川は僕と90度近く違う方向を指差した。
僕は、東西南北は確認したつもりだったが、北川があまりにも違う方角をいうので、どちらが正しいか月を待とうということになった。
結果は、北川が正しかった。ほぼ奴が指差した方角から、赤い大きな月が昇りはじめた。僕は少し悔しくて、なぜあんな方角から月が昇るのか、なぜそれがわかったのか、北川に聞くことができなかった。そのわかるわからないが即ち、僕と北川の違いであるように思えた。
その法則は、未だに僕には理解できない。学校で習ったような気もするが覚えていないし、何度考えてもわからない。日本に帰ってから色んな友人に聞いてみたが、ちゃんと説明できる者はいなかった。
 
翌朝、いつものごとく日の出とともに起き、テントを畳む。太陽はすでに熱線を放ちはじめていたが、夜の冷えた空気や朝露の湿り気なんかがまだ、ものの影に凝っていた。じっとりと濡れたフライシートも、砂がへばりついたそのまま畳んでザックにしまう。ザックの中にあっても、一日走り終わる頃にはぱりぱりに乾いているのだ。
バイクに荷物を積み込む作業はもう、何か別の意味を持つ儀式のようになっていた。その荷があるべきところに適格に納まっていく。僕のひ弱なバイクが本来の姿に戻るには、あと僕が跨がるだけになっていた。僕と北川はヘルメットを被る前に冷えた水を一口飲み、RIDERを一本ずつ巻いて、
うまい空気とともに吸いこんだ。いよいよ、エアーズロックだ。

……つづく

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