■縄文〜弥生時代の民族的変化の実態

まず、縄文期に関する一般的に定着したイメージを列記しておこう。縄文時代とは如何なる社会か

・国のような組織はなかった
・小集団で移動生活をしていた
・住居は一時的なもので岩陰や洞穴を利用していた
・食生活は主に狩猟や木の実の採集によって賄われていた
・物々交換による交易が行われていた

これらの縄文イメージは、集落規模や住居跡の状態、またそこから出土した木の実、貝塚から出る貝殻や動物の骨などから生活の様子を推量し、描き出したものであるようだ。ただ、この縄文観には、どうも原始時代の延長といった空気が付き纏っているような印象を受ける。縄文晩期にあたる紀元前6〜5世紀頃と云えば、ヨーロッパでは三平方の定理が発見されている。そんな時代に、かつては土器文明の先進国であったはずのわが国がまだまだ石器時代と変わらない原始生活を続けていたらしいのだ。
そして、ようやく日本が文明化するのは弥生時代だそうだ。渡来系弥生人がもたらした稲作は定住生活と共同作業の必要性を生み、その結果大きな集団、つまり国というものが徐々に形成されていったと云う。そしてその過程で、稲作による安定収入に支えられ、「国家」を形成していった弥生人によって、原始的で組織を持たない縄文人は東へ東へと追いやられて駆逐された、とされている。
これが、縄文期から弥生に移行する時期の社会進化プロセスの定説であるわけだが、そのイメージが実は現在変わりつつある。

そのひとつは、縄文人が弥生人に駆逐されたという定説に関するものである。近年、それを覆す研究結果が公表されている。
ここでは、まず縄文から弥生人にかけて、民族的な入れ替えが起こったのか、を探ってみる。


■DNA研究が示す現代人と縄文人の関係

発表を行ったのは国立遺伝学研究所である。日本を中心にアジア諸国から収集してきたDNAサンプルの分析研究の過程で、縄文遺跡から出土した縄文人の歯や人骨などのDNAを調べ、比較照合を行ったところ、弥生期に大陸から流入した民の後裔と考えられてきた現在の日本人は、むしろ列島原住の縄文人の血を引くことがわかったというのだ。

研究により判明した日本人のDNA組成パターンは、ロシアのバイカル湖地方から南下し華北に住んでいた北方系の型であるD型のY染色体と、長江流域から朝鮮半島にかけて住むO型が混じった形で、割合はD型が約3割、O型が約5割ということであった。しかし、この組成は意外にも他のアジア諸国には見られない、まったく日本固有の型であったようだ。そこで、従来から考えられてきた「日本人の起源は弥生人である」という考えを一旦白紙に戻し、縄文人にこそルーツがあるのではないかという仮説のもと、縄文人のDNA解析を行ったところ、中国・朝鮮地域にはないD型のタイプが表れたのである。
この結果が示すのは、現代人とは、朝鮮半島から流入した人々によって形成された人種ではなく、列島の元よりの住人である縄文人の直系であるということなのだ。つまり、それは、縄文人であるとか、弥生人だとか、別種に区分けされる人種などは存在せず、交流による混血は起こったであろうが、縄文期と弥生期を人種的に分断するほどのものではなく、弥生時代とは、縄文人自身が弥生人として新たに築いた時代であったことを物語っているということなのある。

この結果は、云われてみれば確かに納得できるものである。
そもそも何を根拠に、弥生人が縄文人に取って代わったと考えたのだろうか。
主な要因は形態人類学による弥生人と縄文人の骨格研究だと思われる。人骨の身長や体格、頭蓋骨等の形状の比較で弥生人と縄文人の間に特徴的な差異があったのである。



だが、体型や骨格など、外見上の違いは「種の違い」を証明する材料にはならないことは、すでに早い段階で気付かれていることである。
同じ勘違いは、進化論を唱えたダーウィンも著書「種の起源」の中で犯している。ダーウィンは「ダーウィン・フィンチ」という鳥の嘴の形状の違いを、環境による進化(原文はevolved=発展した)だととらえた。しかしそれは種を分けるような「進化」ではなく、「変化」なのである。同じような例は身近なところにある。例えば、近年顕著な日本人の形態変化だ。明治・大正の日本人は短躯で顎が大きく張り、四角い顔をしているが、現代の若者は長身に小顔で顎が細く、スレンダーである。もし今それをダーウィンや昔の形態人類学者が見たら、違う人種だと勘違いするほどの大きな変化だろう。時代や生活が変わると短期間でも生命は変化を遂げるのだ。縄文人と弥生人の間に起こった形態の変化は、まさに一昔前の日本人に起こった変化と同じく、食生活と生活様式の変化がもたらしたものなのであろう。

もちろん、朝鮮半島や中国との交易など交流によって混血は時代を経るごとに濃くなることはあるだろう。それが、海外との窓口となる九州地方により濃度が偏ることも自然なことではある。しかし、ヨーロッパのように地続きの環境であれば征服による人種(系統)の盛衰が起こることもあるだろうが、島国という条件の我が国においては、流入した渡来人が、現住人を駆逐する(した)ことは考えにくい。現に、我々が確実に知り得る範囲の日本の歴史で、他国から侵略を受けたことは一度もないのである。軍事技術が発展した後代にも起こり得なかったことが、航海技術もまだ未熟だと考えられている古代に起こったなどということは、そういう意味でも可能性は皆無に近いと言えるだろう。



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