縄文時代の再考によって、日本列島が縄文期から変わらず同じ人種によって営まれて来たことを示すデータを紹介したが、未開のイメージを被せられた縄文人と文明を有するとされた弥生人に区別がないとすれば、縄文時代に対する考え方も根本的に変えなければならないことになる。
このコーナーで確認することは、縄文期が本当に未開社会であったかどうかである。
文化・文明というものは、新しい技術の誕生で大きく変わるが、人の質(知的レベル)までをも変えたりはしない。未開であるかどうかは「人の質」を云うもので、文明度合の高低から生まれるものではない。産業革命が起こる以前の人類とその後の人類で何が変わったか。何も変わっていない。そのことを思えば、土器の形状、稲作の導入、金属器の利用といった程度の変化では、人(縄文人)の本質は特に左右されなかったと考えるのが理性的な判断であろう。
それは未開の縄文人がそのまま未開のまま弥生人になったという意味ではない。むしろその逆で、縄文人は弥生期と何ら変わらない社会的な生活を送っていたのではないかと云う意味である。
縄文人の社会レベルとはどのようなものであったか。これは重要なテーマである。
定説では「縄文と弥生の間には大きな社会構造の差があった」とされているが、そのことに私は少なからず疑念を抱いている。特に同調出来ないのが「弥生期になってはじめて国家が形成された」という考え方だ。
縄文期に国家なしという考えの根拠となるのは、集落跡に残る共同墓地の存在や食料生産が採集・狩猟というスタイルをとっていたからだと言われている。稲作のように集団で生産を担う形態でない狩猟生活などはやはり「原始的」だと言うイメージが浮かぶのだろうし、誰もが共通の場所に埋葬されたということは、身分格差のない平等な社会、つまり国家形成につながる支配体制が確立されていなかったことが想像できるからなのであろう。
しかし、あくまでそれらの根拠は縄文期のほんの一面に過ぎない。そして、当然その根拠のどちらもが国家がないことを示す十分条件になり得るものでもない。現に、採集社会と言われながら、縄文人は栗など木の実の栽培を行っていた形跡もあり、それは集団で行われたであろうし、稲作だけが国家形成の要因となるわけではないことは明白であるのだ。
我々はついつい日頃聞かされ続けてきたことを信じてしまう傾向がある。縄文期のイメージもそうである。「縄文時代にも国家があった」というのは、これまでの固定観念を通して眺めると非常識な考えに映るが、縄文期の実態を直視するとむしろ国家がないことのほうが非常識に見えて来るという事実に目を向けていただくために、この章では縄文期の経済活動から伺える社会構造を論じることにする。
■黒曜石と翡翠の流通
縄文時代に国家が形成されていたのではないかということ伺わせる事象は、石器時代から盛んに行われてきた「流通」の存在である。
日本列島に産する物資が旧石器の遠い時代から、国内だけに止まらず、ロシア、朝鮮、中国という隣国を含め、海外までもダイナミックに移動していることは考古学事実として誰もが認めるところだろう。物資の移動とは単に「物が違うところに移動した」だけのように考えられがちだが、物事の表層だけしか見ていない解釈に過ぎない。物が動くということはどのようなメカニズムがそこに隠されているかを考えなければならない
。特に、流通という活動はその構造やシステムは複雑である。個人または小グループが単独で行えるようなものではなく、広範囲な地域を結ぶ組織的なコンセンサスによってようやく成り立つものである。縄文期にはその流通が近隣ではなく、海を越えた海外まで及ぶ。その実現に要したものは労苦だけではなく、無事に取引を成立させる隅々まで練られたシステムがあったからと考えるほかない。
ひとつめの左証として、旧石器時代からの黒曜石の移動を採り上げよう。
黒曜石の産地は国内に70か所ほどある。その分布には、偏りこそ見られるが、特定の地方だけの特産物ではなく、全国各地に産地が広がっていることが次の表からも見てとれる。

上図は各産地から黒曜石がどこに運ばれたかを示したものだが、このように産地が各地に分布しているのであれば、地域ごとにその近くにある産地から比較的短いルートで入手する方法を選ぶだろう。わざわざ遠い産地へは行かない。普通はそう考える。しかし、実際に出土する黒曜石の原産地を調べると常識的な考えから外れた面白い結果が浮かび上がる。
たとえば、北陸地方で出土する黒曜石だが、この地域にはもともと「能登半島の比那」「富山の魚津」この二か所に自国の黒曜石産地を有しているのであるが、発見される多くの黒曜石は地元産ではなく、他の地域から手に入れたものなのである。時代別では、旧石器時代の遺跡からは長野・秋田を原産地とするもの、縄文中期では長野・山形産となっている。地域での消費を十分補える資源を近隣に有しながらもわざわざ遠くの地域から取り寄せて使っていたというのである。
その状況が如何に重要であるのか、そこに気付くすべきである。近くに産地を有するにもかかわらず、黒曜石がわざわざ遠く離れた地から入手されていたことを物語る出土状況は、その一つの事実だけでこれまでの先入観を一変させるのである。交易をおこなった旧石器・縄文の人々は明らかに石器の質を理解し、上質の石材がどこに産するのかという情報を持ち、遠方と手を組み、流通を行っていたのである。その広がりは、国内だけでない。海外にも日本の黒曜石は流出している。北海道の白滝や隠岐の黒曜石がロシア、朝鮮半島にまで及んでいるのである。
黒曜石の産地と移動のルートを照合してみれば明白であるが、バケツリレーのように意味なく物が移動したのでないのだ。これは明らかに「意図的な流通」である。そこから必然的に導かれるのは、その時代にすでにどのような物資がどこにあり、それを安全に目的地に送り届けるシステムを構築した「国家」が出来上がっていたということ、それ以外に考えられないのである。
■流通から見える国家成立の必然性
縄文時代に国家などありえないと思われる方は大勢いるのではないだろうか。いや、ほとんどがそうかもしれない。また、国家を「流通」の存在だけで何故証明できるのかと疑う意見も当然あるだろう。
しかし、物流業務を経験した方ならわかるであろうが、流通とは隅々まで行き届いたシステムのもとでしか成り立たない行為なのである。それが理解できれば「国家」が必然であることをすんなり納得できるはずである。現代社会に暮らす我々は、社会の仕組みを洞察する態度が希薄になりがちである。例えば日常的に利用している宅配便という便利なサービスも、それがどのように実現されているかなど考えずに、当たり前のように利用しているはずである。そうではなく、宅配サービスというものが国家から民間までを巻き込んで綿密に設計された壮大な構築物の上に成り立っているものだということを理解されている方は、おそらく流通業に関わる方くらいではないかと思う。
それを垣間見ていただくために、たとえば以下のような、物を運ぶというシミュレーションを頭の中で行っていただきたい。
◎和田峠産の黒曜石を集積地の諏訪湖から三内丸山遺跡まで届けるプロセスをシミュレーションせよ。
さて、結果はどうだろうか。
「意図的な流通」というワードが提示された時、流通を熟知している方であれば瞬時にそこに要求される仕組みを思いつくはずだ。すでに高度な文明社会に暮らす我々には中々実感できないことであるが、「物を目的地に運ぶ」ということは、無秩序な原始社会で実現できるようなことではなく、「厳しく管理されたシステムを有する社会にのみ成り立つもの」なのである。
たとえば定説は、国家成立の素因として「稲作」を挙げるが、「稲作」が必要とするプロセスと「流通」のそれとは複雑さの次元が違うのである。稲作そのものは共同と云ってもせいぜい親戚や小さな村落程度内で完成するシステムでしかない。我々の周りにある水田で、国が毎年常に関与して作業を行っているような光景があるだろうか。そんなものは見たことがない。稲作は一定範囲内で農家の方が一家族、或いは親族で経営できるいわゆる「家業」レベルの業務なのである。
稲作に国家が関与するとすれば、税の徴収システムや生産管理・不作や有事に備えての備蓄米・兵糧、また耕作地の認可・進んだ耕作技術の導入推進など、稲作と云う「財源の管理」において初めて国という制御・統括する機関の介入が必要となるのである。
しかしその「財源管理」は稲作に起源を持つものではない。「食糧」を集団の共有財産であると意識した段階、それが小集団であれ、そこに生きる一家に安定した食料を供給してゆく必要性が生まれた時にはすでにそのシステムの必要性も生まれているのである。そういう意味でも国という組織体の関与は、稲作導入時どころか、遥か旧石器から縄文期にかけて行われてきた木の実・果樹栽培、漁労、鉱物採掘・貿易など、稲作以前に営まれ、生産されてきた財源確保の段階ですでに国家政策として発生しており、その完成された運営システムの発展の歴史が弥生期の稲作導入に繋がっているのである。
ただ、まだ早計に先走ってはいけない。今云った財源管理、確かにその構築には国家の関与が必要条件であるが、今問題として取り上げている「国家の発生メカニズム」においては、決して財源管理の必要性が関わっているわけではない。食糧の安定確保だけであれば、それもまた一家族、また、ひとつの村単位だけでも成り立つものである。
国家の成立を促すものとは、もっとグローバルで大きな力を持つ組織の関与がないと成り立たないもの、つまり流通のようなメカニズムを指すのである。
何故なら、そこには避けることのできない過程として必ず「他地域との利害が伴う接触」が発生するからである。歴史研究者は「物々交換」を人類が最初に行った初歩的な取引として簡単に口にするが、考えなければならないのはそれに伴う運搬経費、交換レート、仲介構造など取引上避けられない諸問題をどう解決するのか、そしてそれにかかる労力に見合う「利益」が確保できるかである。その解決策の最終案こそが「国家」という形態であるのだ。つまり、国家と流通は切り離せない関係にあると云えよう。
先に提示したシミュレーションをもう一度振り返ってみよう。
ここで最初に考えなければならないこと。(最初と言うだけに、初歩的な条件のことであるが・・・)
物を届けるということは、届ける相手が「いる」ということ。そして、相手に届けるまでの道程には、当然、行く先々に村があり、その集団が土地(縄張り)を所有していることだ。
その条件は様々な障害を生み出す。例えば、荷物を運ぶために仮に牛や馬などの駄載獣を使ったとしよう。その駄載獣の餌はどうするのか。道端の草を食わしておけばいいじゃないかと現代人にありがちな甘い考えを持つかもしれないが、性善説に基づいた運任せでは部隊の命は守れない。他集団の縄張りで無断での現地調達が如何に危険な行為かを考えていただきたい。相手にしても家畜の食糧確保は自らの生活維持には欠かせない貴重なものであることは同じなのである。見知らぬ集団が自分たちの土地で勝手に家畜に餌を喰わせていたならばどうするか、簡単に想像できるだろう。
それだけではない。他人の領域を通過するとなると、峠や河川、港など交通の要衝では通行料を徴収されることもあるだろう。また彼らは必ずしも友好的だとは限らない。至るところで賊が待ち構え、荷物を奪われる危険もあるかもしれない。そのため、いつでも戦闘が出来る心づもりも必要だ。戦いは村を過ぎるたびに発生する恐れがある。戦いで亡くなるクルーもいるため、それを見越した多めの商隊を編成する必要がある。これは、仮想世界で繰り広げられるRPGゲームの話をしているのではない。現実の話をしているのである。
「そんなことはない、当時は平和で誰もが心優しき住民ばかりだった」などと考えるのは非現実的な考えである。現実を甘く見すぎている。
西アフリカで発生したシエラレオネ内戦は私たちの記憶に生々しく残っているはずだ。
悲惨な内戦の元となったのは政治思想などのような崇高なものではなかった。それは国の資源であるダイヤモンドの利権だ。10年に及ぶ紛争により7万5千人もの民が犠牲になった争いであるが、それは彼らが「野蛮」だったからではない。かつては自然に寄り添って穏やかに暮らしていたのである。しかし、ダイヤの交易が始まり、そこに貧富の差が生まれた。一度生まれた格差は彼らに野蛮な心を目覚めさせ、殺し合いに発展したのである。「欲」が成せる業だ。それはどの時代でも同じだろう。黒曜石はまさに古代のダイヤモンドである。旧石器〜縄文であっても、人が活動すれば必ずそこに貧富の問題が発生することは避けられない。そのことを看過してしまっているようでは正しいシミュレーションなど出来はしないだろう。
道中の危険性を一つ目の問題点だとすれば、次の障害は移動手段であろう。
遠くに物を必要量届けるためには、その対象物だけでなく、掛かる日数分、人員分の食料や宿泊設備など多くの荷物の運搬が必要となる。それをどのような手段で、どのような工程で実現するかという問題だ。
大きな荷物の運搬には船が力を発揮する。だが問題は、その船をどのように調達するかである。まさか、村から担いで行くわけにはいかない。川船を所有する集団がいたならば、彼らから借り受けねばならない。船だけではない。船頭も各船にひとり必要である。ただし、片道というわけにはいかない。その船頭が船を遡上させ元の場所に戻ることも考慮する必要がある。そしてもちろん、借りるには往復の手間に見合うそれなりの対価を差し出さねばならないが、何を出せばいいか。当時、貨幣制度はないため何か代替物を渡さねばならない。いわゆる物々交換である。古代においても、何をするにも「費用」は発生するものだ。この費用は、海を渡る場面でも発生し、旅を通して、あらゆるポイントで延々付き纏う。まだ出発前の準備が半ばだと云うのに、物々交換のための荷物も加わり、荷は膨らみ続けていく。
そして、そこまで荷物を背負わせてきた駄載獣はどうするのか、もまた悩ましい問題である。一度、船に乗り換えてしまえば、もう駄載獣は使えない。預かってもらうにも餌代などが掛かるであろうし、戻ってきたときそのまま存在しているかも疑問である。また、船を乗り継ぐ際に再び陸路を移動するとする時、荷物はどのように運ぶのか。このように問題は泉のように噴出し続ける。
一体、黒曜石一つ運ぶのに、どれほどの負担が強いられるのだろう。
■物々交換システムとは
今、「物々交換」という言葉が出たついでに、少し横道に逸れるが、「物々交換」の仕組みについて話をしておこう。
一見原初的で単純な取引のように思われているようだが、「物々交換」だけを考えたとしても、実は国家の存在が自ずと現れるのだ。そのことに気づくためには「物々交換」のメカニズムを理解しなければならない。
物々交換には「成り立つ距離」があり、「成り立たせる管理」が伴うことはご存じだろうか。
緯度経度の差で地域特性が比較的大きい日本においてさえ、本当にその土地にしか育たない木の実、獲れない魚、生息する獣などがどれくらいあるかを考えてみた場合、物々交換が近隣はもちろん、一地方という範囲では成り立たないことは常識的に分かる。近隣地では気候も植生もほぼ同じでどこも同じものしか得(獲)られないのだから、交換に値する価値のあるものがないのは当然だ。
では、地域が違えば成り立つのか、という点も保証がない。それらは状況で変わるからだ。先のシミュレーションに当てはめてみても、山の民が貨幣代わりに準備した物資が、海側の民にとって対価として魅力あるものかどうか。また、海の民は運搬と云う無形の財産を交換物とし、有形の物資を手に入れているため、すでに他の客から同じものを十分多く得ているかもしれない。当然、交換を拒否されることも、足元を見られて、安くたたかれることもある。海の民が知恵を絞れば、山の民から得た産物を他の地域に卸す商売を始めるかもしれない。そうなると山の民の産物は販売ルートを悉く失う恐れもある。交換するものがなければ、商いのための運搬すらできないことになる。
それが「成り立つ距離」という考え方だ。
そして、物々交換とは「付加価値という貨幣」による売買であること。ここも重要なポイントだ。
仮に非常に希少な特産品であっても管理されることなく自由に取引が行われていると価値は変動する。原油価格はOPECによって供給調整が行われることで安定しているが、もし管理が行われず、われ先に大量供給されると値崩れが起こるだろう。経済の基本である。
古代において交換物が「貨幣」の役割をすることを考えれば、それを恒久的に維持するためには、誰かの手によって供給調整が行われるといった価値を崩さない「成り立たせる管理」が必要になる。アパレル業界のようにカラーやディテールを変え、常に鮮度を保つ工夫を行うことができるのであればいいが、工業品以外の自然の産物はそれが出来ないのである。
「成り立つ距離」がある以上、それを必要とする離れた地域との交易を考えることになる。そこで自分だけ生き残ろうとすれば、恐らく戦いが発生する。それを避けるために、販売競争などは止め、むしろ地域が一丸となり生産量を調整し、安定した取引を「成り立たせる管理」の下で行うことが賢明だと自ずと学習するのだ。そのひとつの方策だけで地域全体の発展が図られる方向へと自然と向かう。逆に、その流れに逆らったグループは自ずと淘汰される。
このように「物々交換」も流通と同じで、それを制度として平和に維持し続けるためにはまず地域という小国による管理が発生することがわかるだろう。そして連鎖的にもっと広い範囲での制度となり、各小国をひとつにまとめる組織が要求されることになる。つまり「物々交換」を示す考古学事実が存在する限り、どの場面においても「国家の成立」は疑えないということが、その一点だけでも主張できるのである。
先ほど提示したシミュレーションは、まだまだ荒っぽく、幼稚で、表面上のものだ。もっと現実は複雑である。
たとえば、情報収集のシステム(必要としているユーザーを見つける機能)、また生産体制(鉱脈の管理と人員確保、給与制度や規範)、「届ける場所」を特定するための全国に共通認識としてシェアされたアドレスルールなど、これらの管理も個と云う単位の話ではない。そして取引には必ず「相手(買い手)」がいる。往復に要する莫大な経費を費やし届けたとしても、それに見合った買値(物々交換品)が得られるのかどうか。もし競合する商売敵が安い価格を引っ提げて現れたならばどうするのか。適正な販売価格を実現するためにどのようなコスト削減策を実施できるのか等々、シミュレーションはまだこの先気が遠くなるほど深い領域のさらに奥へ奥へと入って行くのである。
以上のように、流通とは国家という組織の全面的な支援なしでは、経費などすべての点で到底割に合わない行為なのである。国家が周到な地盤を敷き詰め、そしてそれが各地の国々と協定を結び、共通した交易システムを組み入れ、物から運搬作業に至るあらゆる単価設定も話し合われ、分業的な職業が創造され、それぞれ固有の契約が取り交わされ、それが簡単に反故にされ無に帰すことのない法整備の確立など、信頼できる管理体制を実現出来てこそ、ようやく一個の黒曜石を目的地に届けることができるのである。無秩序な世界で「戦い」によって獲得するものよりも、管理社会で「協調」によって得られるものの方が遥かに利益率が高いということ。時代が古代であっても人々は、協調こそがポジティブ・サムゲームを成り立たせる要であることを十分理解できるものなのである。
システムとは、安全であり、安定的であり、もっともコストを抑えることができる方法に必ず収束する。費用対効果を求めるというのは、現在の企業だけではなく、いつの時代においても経済活動の原則なのである。そしてその実現は国家と云う存在なくして成立しない。行動と同時に自然発生する経済原理こそが国家を生み出したモメントと云ってよいだろう。
そして石器時代から続くこの高度な流通ネットワークに、縄文期には「翡翠」が加わる。この翡翠にも国家の姿が顕著に現われてくる。
■翡翠が示す階級社会
翡翠というものは暮らしにおいても、戦いにおいても、まったく役に立たない無用のものである。翡翠が移動したことの歴史的重要性はその「必需品でない」ものが、糸魚川という地から、ハイリスク、ハイコストも厭わず日本全国に運ばれたという事実にあると言える。
物の移動(流通)が「国家」の存在を示すことに対し、翡翠は「権力」「階級」の存在も示唆してくれる。発掘される翡翠は主に勾玉などの「装飾品」であり、副葬品としての出土であることから、高い階級の人物が権威の象徴として身に付けたり、祭祀目的で制作されたものであったろうと想像できるのだ。
共同墓地ごときで身分差はないと貶められた縄文期であったが、翡翠の流通は明らかにそれを否定している。縄文時代に階級が発生していたというのは、国家成立とセットで捉えれば特に驚くにあたらない。国とは階級=組織を伴って初めて機能するものである。国家が形成されると云うことは同時に階級制度があるということである。そして、流通ネットワークの流れが磁場のように生み出す収益に、国々の王者の覇権・利権が絡んで歴史が動く。それが弥生期には、素盞嗚神と天照大神、ヤマタノオロチ伝承の越と素盞嗚神、八百万神と大國主、大國主と高皇産霊、そして後の倭国大乱など、争乱の歴史となって伝えられてきたのであろう。
■「専売制」というもうひとつの国策
そしてもうひとつ、翡翠によって自ずとその存在が浮かび上がる国策がある。それを紹介しよう。
翡翠はわが国だけでなく近隣諸国までの領域を加えても、唯一、糸魚川の地のみで産する資源であるが、その一か所から発信された翡翠が北海道から九州各地にまで広く移動しているのである。
その広がりからすると、どの地方の権力者であっても代金さえ支払えば自由に手に入れることができた交易品であるようにも見える。
ただし、重要なキーポイントがある。それは、この翡翠が日本を越えて朝鮮半島からも多く見つかるということだ。翡翠の産地である越の勢力が独自に朝鮮の国々とも交易をしていたのだろうというような単純なことではない。縄文期には、長い流通の経験を持った統一国家がすでに存在していた。その国家を担う勢力が翡翠算出国の「越」であったかどうかはわからないが、誰が担うにせよ、当然、翡翠が我が国にしか産しない固有の資源であることも十分承知していたはずである。その希少な財源を産地の自由に任せて、放出し続けることなど、断じて許さないであろう。流出を制限していたが故に、翡翠は装飾品として利用され、権威の証とされたわけだ。価値の維持のためにも、外交手段の隠し玉としても、国家は自ら翡翠という資源を管理していたはずである。現代の制度で云うといわゆる専売制というものだ。
この専売制を物語る状況は、さらに縄文世界の国の体系を鮮明にしてくれる。
専売の制度は各地の産物を国の共有資源とすることを意味するが、それを実現できるのは各地方国家の頂点に立つ盟主国が存在する場合だけである。いわゆるピラミッド型の支配体制である。だが考えてみればそれも当然の帰結なのだ。国の中に階級があるように、複数の国が集まればそこにも、統治形体としての階層が生まれる。一強国が他国を従える形か、あるいは大王擁立による合議政治か、そこまでは読みとれないとしても、少なくとも縄文期のわが国が大枠で見て、統一国家であった可能性が、翡翠の出土状況を見るだけで予想されるのである。
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