吉外井戸のある村
M'S CLINICAL SOCIOLOGY
1998年6月号
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■サッカーWカップの敗戦分析に注目しよう■
予想に、いや期待に反して日本チームは予選リーグを三連敗に終わった。世は早速、敗戦分析モードに入っている。
今のところ、ラモスが頭一つ飛び出しリードしている。第二戦のクロアチア戦が終了の際、NHKテレビでゴーマンを一発かましたからだ。いわく「ヤル気のない奴がいる」「必死さが足りない」「失敗しても笑っている奴がいる」(注:これは城のこと)「中田は本気を出してない」等々。
一方、今日の朝日新聞にリトバルスキーのコメントが載っているが、彼はWカップのレベルの高さと現在の日本チームの実力を静かに説いている。もっともで穏当な意見だ。
民衆の潜在意見を代弁する(?)週刊誌は、今のところ、ラモス支持だ。「戦犯はだれだ」なんて物騒なタイトルの記事が出ている。世間では、「こんなことなら、カズを出しとけば良かったんだ」という意見さえ聞こえる始末だ。
ところで「日本の敗戦」と言えば、第二時世界対戦での敗北だ。このとき、日本人は一億総懺悔をした。その後は、連合国の極東軍事裁判で裁かれた戦犯を「一部の軍国主義者」に仕立て、責任をすべてなすりつけた。
もし今回の敗戦をこれになぞらえてみるとすれば、「チームみんなの責任だ」とか「頑張ったのだけど、世界の水準には届かなかった。今度こそ頑張ろう」とかいうのが懺悔論。「あいつとあいつのせいだ」あるいは「岡田監督の責任だ」というのが戦犯論ということになるだろうか。果たして「敗戦」分析について、どれだけわれわれは進歩したのか注目しよう。
世界対戦での敗北理由を冷静に考えてみよう。日本は負けるべくして負けたのは今では明白であろう。今回のサッカーもそうだ。ただそれだけのことにすぎない。神風は都合良く吹かないのである。
厳に慎みたいのは精神論である。戦争もサッカーも別に根性がないから負けたわけではない。根性があれば勝てるわけでもない。合理的実際的に戦力を高めた者だけが勝利者となれるのだ。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」(孫子)
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■「地球にやさしい」人は生きていけるか■
「地球にやさしい」は環境保護運動のキャッチプレーズだ。環境保護と言ってもいろいろあって、その問題は地球温暖化、オゾン・ホール、森林、河川敷、野鳥、クジラ、ゴミ処理などと多岐にわたるが、一言でいうと、人間の身勝手な行動をやめて大気・自然・生物・大地などを守ろうということだろう。
さて、人間中心主義という言葉がある。近代ヨーロッパの思想だと言われている。中世の神に代わって、人間が動植物を含めた自然を自由にできるという考え方である。自然に溶け込む、調和するというのが東洋的な考え方で、自然に強制する、強要するのが西欧的な自然観だと言われている。ここではその当否は問わない。東洋圏に属する日本も含めて、起こっている現実の方が問題であるからだ。
実にわれわれは人間中心主義的である。少なくとも日本人はそうだ。人間にとって都合の悪い生物には殺戮をも辞さない。たとえば、ゴキブリに対する殺虫剤や捕獲装置の開発と使用に懸ける情熱はどうだ。同じ生き物に対して、まさに戦慄せずにはいられない残虐行為である。その一方では、天然記念物と称され、生存を保護されるトキなぞという鳥もいる。人間にとり、無害であるからだ。なんという身勝手さだろうか。自己中心主義の極みである。
環境保護運動の偽善性は、この人間の身勝手さに無自覚であることにある。生物保護を徹底すれば、ハエ・ゴキブリ・カは愚か、回虫や病原菌を含めて殺せなくなってしまう。なぜクジラやイルカなどばかりに特権的な立場が許されるのか。この論理矛盾、不公平さ、不平等さは森林保護やごみ処理でも同様だ。なぜこの森林は保護され、あの森林は伐採されるのか。ごみはなぜここに捨てられ、あそこには捨てられないのか。
では、ゴキブリと人間は「共生」すべきなのだろうか。われわれはゴキブリのために自らの活動を制限すべきなのだろうか。「地球に非常にやさしい」人はおそらく生きていけないだろうし、「地球にやさしい」人でも相当生きにくい。
われわれは、自覚的に人間中心主義を貫くべきなのだ。環境に人間が責任を持つことだ。環境のためにではなく、われわれ人間のために。このことをはっきりさせておかなければならない。「環境のための環境保護」ではない、あくまで「人間のための環境保護」だ。偽善や見栄やすりかえ(ゴミの北から南への置きかえなど)ではない、地球と人間の能力を見極めた環境という資源管理を行なわなくてはならない。われわれは環境なくしては、一日たりとも生きていけないのだから。
もう正直に、地球に告白しようではないか。われわれ人間は地球を傷つけなくては生きてはいけない存在なのだと。だから、「地球にやさしい」というような偽善的な文句はよしてほしい。
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