吉外井戸のある村
M'S CLINICAL SOCIOLOGY

1998年7月号
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「青少年問題」とは社会道徳の問題か

 今日の産経新聞の記事だ。

 ---ナイフを使用した殺傷事件など凶悪化する青少年犯罪、非行問題への対応が急務となっている中、橋本龍太郎首相や町村信孝文相が諮問した各種審議会の答申ラッシュが続いている。議論は青少年の心の問題から学校・教育制度に関するものまで幅広い分野にまたがるが、「規範意識の徹底」「開放社会・人間関係の実現」といった共通のキーワードが浮かび上がってくる。(後略)---

 「青少年問題」とは、どうも倫理や社会道徳の問題、ひいては教育の問題ということらしい。本当にそうだろうか。文中にある「規範意識」って、しつけのことだ。よく「変わらない道徳を教える」と言うが、本当にできるのだろうか。

 罪と罰。たとえば昔には、古事記に出て来る「天つ罪」なんて、いまでは考えられないようなことが罪ではなかったか。そうそう、戦前まであった姦淫罪はどうだろう。現代の死刑廃止論というのも、倫理意識の変化ではないだろうか。

 いまの倫理や社会道徳が変わらない、と考えていることが問題なのだ。いまの倫理や社会道徳は昔のままではないし、これからも変わっていくのだ。したがって問題は、社会がいま至っている状態とそれを保障する社会制度のずれにある。で、その社会制度は社会意識によって作られている。故に、これは社会の状態と意識のずれの問題だ。

 ところで、青少年は社会の即自存在である。身体的に「現在」の社会状態(以下「現状」)を知っており、そのレベルで生きている。それに対し、制度を作っている大人は社会の対自存在である。現状を生きている身体とは別の「意識」のレベルで考えている。

 その意識は現状を後追いしがちだ。だから、制度は現状に遅れる。われわれは錯覚しがちだ。時代遅れの「制度」が正しく、「現状」が間違っているのだと。いわく、「乱れている」。でも、その制度を作っているのは、われわれ大人の意識であり、大人の考えている倫理や社会道徳であることを忘れてはならない。

 学校制度は現状に見合っていない。家族制度も見合っていない。個々の生徒、先生、学校、また、ある父、母、息子、娘に問題が全くないわけではない。しかし彼らが異常なのではない。本当に問題であり異常なのは、現状を認めない制度の方だ。それは制度を作っている意識の問題であり、大人が異常であるということに他ならない。われわれ大人が「吉外井戸の水」を飲んでいる。
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7月12日参院選に思う

(「自民大敗」に終わった参院選であるが、この結果が明らかになる前のことを忘れてはならない。自民楽勝というのが大方の見方であったのだ。あとから予定調和的に語ることは容易く、かつ軽薄だ。)

 さて、日本人とは、よほど他人の言葉が気になる、つくづくお人好しの国民らしい。

 昨日の参院選は、予想に反して(!)約59%の高投票率となったが、これは前回1995年の45%を14ポイントも上回る数字である。前回棄権した人々や無党派層が帰ってきたせいだという。

 その、棄権・無党派層とはどんな人々であろうか。自民党、いやそもそも政治そのものに期待や批判をする人々であろうか。そうではないだろう。選挙なんて無意味、政治なんて誰がやっても同じという思いだからこそ、いつもは「安心して」棄権するのである。

 では、彼らはなぜ今回に限っては投票所に足を運んだのであろうか。彼らは組織コネや利権で動いているのではないから、かえって誠実な政治意識をもっているとさえいえる。そんな彼らを動かしたものとは何か。

 ズバリ、これは外圧(脅し)を感じたのである。米国・中国を主とした「国際世論」は言う。円安をなんとかしろ、不況を打開しろ、不良債権を処理しろ。このままでは世界恐慌を日本が招来することになるぞ、中国は日本のおかげで元の切下げをするぞ、と。

 これに対し、棄権・無党派層は危険回避行動に出たのだ。このままでは日本は世界に嫌われる(あるいはヤラレル?)、これが深層の政治意識だ。表層では、不況脱出。この表層の「不況脱出」のレベル程度では、棄権を投票行動に変えるだけのプレッシャーとはならない。外圧(脅し)が、「国際世論」のおっしゃる通りというお人好しを14ポイントも作ったのだ。高投票率も選挙結果も、これ以上のものでは決してない。国民の政治選択なんていった種類のものではない。

 政治について一言いっておこう。外交を除く内治(国内政治)とは、表現はともあれ、その本質を端的に言えば、支配、統治の思想と技術である。「みんなのための」公共事業や福祉政策ではない。もちろん、土木利権をばら撒くことでもない。もっともっと冷徹な国家統治の思想であり技術である。

 国家はその国民にふさわしい政治をもち、その意識にふさわしい政治家をもつ、ということだ。
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Copyright(c)1998.06.27,Institute of Anthropology, par Mansonge,All rights reserved