吉外井戸のある村
M'S CLINICAL SOCIOLOGY
|All Index|Top Page|
■日本の危機を放置するニュースを疑え!■
日本のニュース報道のあり様については、以前から「和歌山砒素殺人事件」報道等に関連して取り上げてきた。しかし近頃、ますますもってそのお粗末さを感じる。いま一度、皆さんには「警告」として注意を促しておきたい。
テレビのニュースでは時間枠というものがあり、新聞では紙面という制限がある。当たり前のことだ。しかしながら、ついついこのことを忘れてはいないだろうか。つまり、テレビや新聞で報じられたことが起こり、報じられていないことは起こっていないと、ともすれば見るまま読むまま安易に受け取ってはいないだろうか。
そうではなくとも、そこで取り上げられたことこそが重要度が高いもの、と見るまま読むまま安易に受け取ってはいないだろうか。さらにそうではなくとも、そこで加えられる批評や論調を見るまま読むまま安易に受け取ってはいないだろうか。キャスターなり編集委員なりが一切指摘しないような事実や観点や意味なんかない、と見るまま読むまま安易に受け取ってはいないだろうか。
▼「ガイドライン」は新「米日軍」の常設構想である
たとえば、日米安保の「ガイドライン」(米呼称:War Manual!)問題である。やれ「周辺事態」、やれ「後方支援」と国会論戦(?)とその報道だけは盛んだが、肝心なことは何も語られも伝えられもしない。この安保「改定」(!)は、日本国土を専守防衛する日米軍事同盟を、ただの正真正銘の米日軍事同盟にすりかえるものだ。
おっしゃる通り「地理的概念ではなく、日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」であるといったん認めたのならば、「自衛」の旗のもと、米軍とおててつないで「グローバル」にわが自衛隊は活躍できるわけだ。「周辺」という地域限定なんてあったものじゃない。ただ、そのときの日本の役割分担が前線を担う米軍への武器や弾薬の補給等の後方支援ということにすぎない。しかし、戦争は前線活動とこれを後方で支援する兵站活動があって初めて成り立つものである。前線と後方は戦争行為において不可分のものなのである。
すなわち、このような活動は明らかに憲法第9条に反する。これについても誰も何も言わない。いつからニュース報道はお行儀よく、善し悪しは別として吐き出された言葉という「事実」だけを伝えるようになったのだろうか。他のつまらないことについては饒舌なままなのであるが。
アメリカという国、米軍については皆さんもよくご存知のはずである。仮にも独立主権国家であるイラクに対して、宣戦布告の代わりに「警告」だけを突き付けて、正義の「国連軍」然として堂々と一方的に戦争行為をしかけて平然としている国である。しかも、後になって攻撃軍事目標のいくつかは誤爆であったと開き直る始末である。(日本はだた一国、これを無条件に支持した国家である。)
さらにスーダン爆撃もご記憶に新しいだろう(しかも、これまた誤爆である!)。「報復」を他国にミサイルを直接打ち込むで行なう国は、世界ひろしと言えどもこの国だけであることは言うまでもない。アメリカにとっては世界が戦場なのである。アメリカの「自衛」は日本の「自衛」でもあると言いくるめられ、こんな国と行動を共にしようというのが「ガイドライン」である。もはや「憲法改正」レベルの話ではない。
日本の専守防衛の自衛権は、平和主義とともに憲法に明記すべきであろう。しかしながら、どうして国際暴力国家・アメリカと行動を共にする必要があるのか。新・安保は、アメリカの対日軍事政策の最終段階と言えよう。(安保条約は10年ごとに改変されてきた。)
これらをすべて国内において取り仕切っているのは、政府(及び高級官僚や大企業トップら、野党も同様)である。彼らの称する「国益」とは国益とは似ても似つかぬ、自分たちの利益(地位や金銭)に他ならない。エスタブリッシュメントたちこそグローバルである。つまらない国境なぞ、とうの昔に乗り越えているのである。
▼北朝鮮と日本の危険度、軍需産業という税金の行き先
これに続けては、北朝鮮テポドン騒動、そこから「たなぼた」の偵察衛星とTMDミサイル防衛構想、これらと並行しての防衛庁=富士通等水増し請求問題である。これらは相互に関係がある。しかも前記の新・安保とも関係がある。
テポドンについては、ミサイルではなく人工衛星なのかどうか、日本国内ではよくわからないままだ。いずれにせよこれらは同一技術であり、日本への脅威だということになった。また、これに核弾頭が積まれれば、核ミサイルとなるということで大騒ぎなわけだ。
しかし冷静にわが身を振り返って見るとどうなるか。種子島からガンガン人工衛星を打ち上げているのはわが日本だ。核技術についても、原発はもちろんのこと、世界最新の高速増殖炉「もんじゅ」で核兵器に利用可能なプルトニウムを作り出してきたのはわが日本だ。日本は、核兵器製造の技術と材料をすでに高い水準で持っている、北朝鮮以上に「危険な国」なわけだ。
北朝鮮は金正日という独裁者の国で何をしでかすかわからないが、わが日本は民主国家で勝手なことはできるわけがない、マスコミが見過ごすわけがない、ということになっている。本当だろうか。人工衛星=ミサイル技術を取り仕切っているのは宇宙開発事業団、プルトニウム=核兵器材料を製造してきたのは旧動力炉核燃料開発事業団(あの悪名高き動燃)だ。どちらも科学技術庁の特殊法人である。これまでこの二つの「事業」についてどれだけ明確な説明が国民になされてきただろうか。何もない。北朝鮮と少しも変わらないではないか。
言うまでもないが、この二つの特殊法人も税金によって支えられている。そしてそこへ新たな税金となる偵察衛星とTMD構想である。ご存知の通りだが、日米安保体制はこれまでから「専守防衛」システムを固めてきた。自衛隊に何十兆円という税金を注ぎ込み、また在日米軍にも資金援助をしてきた。三沢基地は米軍でも有数の情報基地だとも聞いてきた。ところが、今回のテポドンでは日米のその「専守防衛」システムは屁のつっぱりにもならなかった。防衛費は無駄だったということだ。
それで無駄遣いの反省をするどころか、「もっといいものがありますよ。買い替えませんか」と、安物のセールスマンの如き武器商の声に耳を傾けているのが政府・防衛庁である。そしてそのまがい物を売りつけているのが富士通以下の国内軍需産業であり、アメリカの軍需産業である。まったく、よくできている。ここから考えると、北朝鮮もサクラではないかとさえ思ってしまうのは筆者だけだろうか。
日本の軍需産業はこれまで三菱重工や石川島播磨などハードメーカーがリードしてきた。それがこのところのハイテク化の流れを受けて、NECや富士通の鼻息ががぜん荒くなってきている。彼らの力なくしては、偵察衛星もTMDも不可能なのだ。そういう中での防衛庁=富士通等水増し請求問題なのである。これは富士通に利益を与え、防衛庁は天下りを確保するというバーターだった。防衛庁といっても役人である。役人は自分の私利を求め、企業は利益を食いあさっていたのである。どこにも日本の防衛という国益なぞない。
それから、偵察衛星とTMD構想については、対北朝鮮戦略にとどめることはできない代物だ。それは自ずから対中国戦略ともならざるを得ない。中国を「仮想敵」視することになるのは必然なのである。そしてそれこそがアメリカのもう一つの真のねらいなのである。あと一つのねらいとは、日本の防衛費という税金をアメリカの軍需産業に貢がせることである。このように日本の金を使って、東アジアでの世界戦略(最後の反米帝国・中国への対抗)をまた一歩進めようというのがアメリカのTMD構想なのである。
▼情報かく乱、目くらましとしての過剰報道
ニュースは何も伝えない。少なくとも「全体図」は、国民には見せない。知らないのだろうか。いや、仲間なのだろう。ニュース時間枠や新聞紙面の割り振りをお決めなさるような方々は。
そこで「ノーパンしゃぶしゃぶ」である。これは何の事件だったか、覚えておいでであろうか。大蔵省役人が銀行のMOF担当に過剰接待を受けていた事件である。そんなことは忘れて、ただ「ノ…」という言葉だけが頭にこびりついていよう。筆者はこの言葉を書いているだけで恥ずかしい。それをテレビのキャスターは大声で連呼し、大新聞はこの言葉を見出しに躍らせていたのである。
これを言うことにどれだけの意味があるのか。役人の低俗ぶりを突いているつもりなのだろう。しかし問題は役人のこの手の「低俗ぶり」なのだろうか。第一に公僕たるに反する行動(情報漏えい等)が問題なのだろうし、次に過剰接待ということだろう。「ノ…」なぞという低俗な言葉を避けて報道することは十分可能なのである。それをこうしたのは、時間や紙面の制限をもつ報道機関が別の意図をもっているのではないかと勘ぐりたくなる。
お粗末ぶりはいくらでもある。たとえば、地域振興券である。「天下の愚策」とこき下ろした報道機関はその同じ舌で、いま各地の振興券の特色や使用方法について相当な時間と労力を割いて、報道している。なかには、「結構いい策ではないか」とのたまう御仁さえそこに登場させる始末である。(二枚舌、五枚舌と報道しているのは誰だ)。結局、もらえるものはもらっておこう、という「常民」レベルにおもねっているのである。なぜ、その使い方ではなく(せめてそれ以上に)、振興券とは実は払わねばならぬ税金(つまり増税)なのだ、借金をさせられて商品券をもらっているのだと強調しないのか。
ニュースの時間つぶし、紙面つぶしには事欠かない。その典型とも言えるのは、五輪招致疑惑問題だ。こんな報道に毎日、時間や紙面を割くことに何の意味があるのか。どうでもいいではないか。新聞なら3行で十分だ。実はオリンピックやスポーツ番組はマスコミが虚像を作り出し、それで稼いできた十八番であり切り札だった。それで怒っているのだ。自分たちで勝手に思い込んだ(また国民にそう信じさせた)幻想が破られたと騒いでいるのだ。
オリンピックとは徹頭徹尾、私営事業である。公的なものでも何でもない。それをあたかもそのようなものとして伝達し盛り上げ、視聴率を稼いでいたのは他ならぬマスコミ自身である。長野五輪でも、その招致までの苦楽を伝え、応援してきたのはマスコミではないか。唯一言うべきは、そんなヤクザ団体に日本はこれまで税金を注ぎ込んで、五輪招致をしてきたのだという事実そのものである。これは長野以前も含めてだ。いま騒ぐなら、あらゆる国際ヤクザ団体(スポーツ〜BIS〜国連)に対しての警告を同様に、国民に対して絶えず発すべきだろう。
せっかくだから、本疑惑に関して一言だけ述べると、今回の「不正」で解雇されたり辞任したりした委員は、すべてアフリカや中南米からの選出委員たちである。サマランチ(と「影」の委員たち)は健在である。ここには私営団体である国際五輪の欧米白人主義が垣間見える。もともとそういう組織構造であり、こんなことがなくとも切られるべきトカゲのしっぽなのである。なお、サマランチはスペイン・フランコ帝国の生き残りである。ファシストだと言いたいのではない。エスタブリッシュメントたちは体制を越えて生き残るのである。
▼経済支配されつつある日本
とまあ、以上のような情報かく乱、目くらましとしての過剰報道があり、真に重要なニュースは断片的にしか語られない。最後に経済ニュースについて述べておこう。経済ニュースは「経済のニュース」と受け取ってはならないことが最近は特に多い。しかし、ついぞそんな観点で伝えられることはない。そして残念ながら、これについてはすでにカタがついている(だろう)。その上での、日本のマスコミを使っての、情報かく乱、目くらましならば、敵も大したものだ(おそらく、その通りなのである)。
大型合併や提携が引き続いている。国内企業同士はもちろんのこと、相手が国際大手銀行や企業であることも多い。破綻する前に、長銀がスイス銀行と提携した。実はこのスイス銀行のルートを通じて、長銀の債務実態が国際金融資本側にもれたのだ。低迷する長銀株を買い叩きトドメを刺したのは、なんとスイス銀行傘下に数年前に取り込まれたばかりのウォーバーグという国際投資会社だった。
(注:正確にはウォーバーグを吸収したのはスイス・ユニオン銀行で、これとスイス銀行が合併した。)
また、日本が誇る四大証券の一角だった山一の人材と支店を引き継いだ世界一の証券会社メリル・リンチとは、実はロスチャイルドの血を引くものだった。少し前には、あのシティバンクが日本の最終最大の牙城・郵便貯金と、自動機オンライン業務で提携したとの報道もあった(最後に少し触れるが、これは恐ろしいことである)。大型国際資本が日本で動いたという報道はいつも単独だ。しかしそんな単純なことは絶対にない。裏のつながりがあるし、日本と海外との提携は必ず国際資本の主導のもとになされている。
詳細は省くが、日本包囲網はすでに完成していると思われる。彼らはどう日本の富を収奪しようとしているのか。直接的には日本国民の預金や投資を通じてである。そして間接的には日本国家の税金を通じてである。税金とは「打出の小づち」なのである。国民は、税金を通じて国内と国外の守銭奴から富を奪われるのである。(「景気対策」云々と称する何十兆円、またそのための膨大な国債はすべてこうした「税金」となる。)
なぜそんなことがそんなにうまく行くのか。彼らは仲間だからだ。いま日本で進んでいることは、日本社会を「国際社会」並みにすることだ。「国際社会」とは、欧米社会のことだ。すなわち、大金持ちと重税にあえぐ平国民に分けていく作業なのである。そして大金持ちたちはいつもどこでも仲間なのである。「すべては商売のために」、これが彼らの合い言葉だ。
(注:「大金持ち」とは一種の「貴族」だ。なぜ貴族かと言うと、世襲というか何代にもわたって富や地位が引き継がれるからだ。一代限りの金持ちは「貴族」ではない。)
(おまけに、2000年問題)
2000年問題の前に、「コンピュータ」という恫喝がある。「コンピュータ」は使わねばならぬものとなった。これは車と同じだ。本当はなくてもよいものだ。しかし一度使うと便利で止められない。使っていると、維持費がかかる。メンテもいる。買い換えもする。こういう永続的で累積すれば壮大な無駄遣いが「コンピュータ」の本質としてある。
しかもこれはネットワークである。価値の同一化、均質化、そして情報の共有化(実は漏えいだ!)を永遠に極限まで追求する。たとえば、電子マネーとはそういうものだ。金が電子化された瞬間(将来のことではなく、今あるオンライン機に入れたときがそうである)から、それはもうあなたの金ではなく、国際金融資本(エスタブリッシュメントたち)の金庫に納まったと考えた方がよい。
2000年問題とはそういう「コンピュータ」社会に対する恫喝である。誰が脅かしているのか。「コンピュータ」によって利するものたちである。車で考えればよくわかるだろう。このままでは事故を起こしますよ、と誰が言うのか。そして、その部品交換と整備によって、ますます国際規格(グローバル・スタンダード!)によくのっとった「コンピュータ」環境が整うのである。誰のために、何のために? 「ノストラダムスの1999年予言」以上の馬鹿馬鹿しさではないか。
head
Copyright(c)1998.06.27,Institute of Anthropology, par Mansonge,All rights reserved