吉外井戸のある村
M'S CLINICAL SOCIOLOGY
|All Index|Top Page|
■在中国・日本総領事館への北朝鮮人駆け込み騒動について■
▼事件の全貌は「映像」によってむしろ隠された
まあ、次から次へといろんなことが起きるものだ。さぞやマスコミは一人ほくそ笑んであろう。彼らは揚げ足を取っていくら、騒ぎを大きくしてなんぼである。分析もしなければ、解決もしない。政治家は言うに及ばず、賢明なる国民はこれと同次元で「事件」を判断してはいけない。事件の顛末そのものはご存知だろう。日中関係に手榴弾を投げ込んだような騒ぎを引き起こした亡命希望の彼ら彼女らは、めでたくフィリピン経由で韓国へと逃げ込んだ。
今回の事件の大きな特徴は、北朝鮮脱出の一家が日本総領事館へ駆け込み、これを阻止しようとする中国官憲と揉み合う様子の一部始終が映像に収められ、それが国際配信されたことだろう。お陰でわが日本政府も真正面から中国政府に向き合わねばならなくなったわけだ。この事件は複合的な要素を孕んでいる。少なくとも、日中両政府の面子問題、つまりは「日本の主権が侵されたか否か」という問題であるなぞと単純に早合点してはならない。
これもそれも、「明白な証拠」として繰り返し放映されていた「映像」のせいである。皆さんもご承知のように、映像は出来事のありのままを人の眼に訴えつつも、その四角い画枠以外に関してはあまりにも無責任だ。報道映像は意図的に切り取られた「制作物」にすぎない。日本の主権侵害問題だと騒げば騒ぐほど全体像からは遠ざかる。あの映像は、本来目的からは予期せぬ副産物であっただろうが、日本人の眼を盲目にさせたとさえ言えるだろう。
▼亡命を仕組んだ者とその背景
では、あの映像によって何が伝えられ、また隠されたのだろうか。中国官憲との揉み合いは重要要素ではない。推理小説よろしく、あの映像によって誰が得をし損をしたのかを考えよう。日本や中国は被害者であることは言うまでもない。北朝鮮政府の国民への抑圧ぶりを、亡命希望者の姿とその声によって喧伝することこそがあの映像の目的である。あれは金正日の北朝鮮がうわさ通りの「悪者国家」であると国際的に糾弾するための一証拠として「制作」されたのだ。
得をするのは「自由主義」を標榜する「人権国家」、ブッシュのアメリカである。この亡命劇と映像配信は誰がプロデュースしたのか。韓国の北朝鮮人亡命支援NGO(非政府組織)だと報じられているが、むしろ「人権派」国際ネットワークNGOだと考えた方がよい。そしてその活動は背後でアメリカの支援を受けているのだろう。少なくともブッシュ米大統領の言う「悪の枢軸」戦略に沿っている限りは。北朝鮮の孤立化とその政権崩壊の促進があの映像の真の狙いだ。
つまり、映像は国際的に指弾されるべき北朝鮮の金正日の姿を映し出していたのだ。映し出されなかったものは? これを撮影した者たちだ。何もカメラマンのことを言っているわけではない。この映像の「制作・放映」を企画し実行した者たちであり、それを背後で支えた者たちのことである。圧倒的な映像は、事件の背景について私たちに思考することを停止させたのだ。
▼21世紀の戦争は「人権」が口実となる
本事件のキーワードは「人権」である。「黒幕」のアメリカにとっても、一方の当事者にはめられた中国にとっても、わけが分からず事件に巻き込まれた日本にとっても。そもそも日本人にはこの「人権」(human rights)という術語への政治的痛覚がない。これはアメリカの外交戦略用語である。特に昨今では、「テロ国家」および「悪の枢軸」諸国、そして終局的には、アメリカと唯一対峙できる超国家となる可能性がある中国に対しての。
戦争は大義(理由)なくしてできない。クラウゼウィッツが説いた外交の延長としての戦争は第一次世界大戦で終わり、以後は自国や同盟国の「防衛」(安全保障=自衛)としての戦争の時代となった(注)。それも冷戦でおおよそ終わり、もはや自衛戦争もあり難く、「国際規律」違反国家への懲罰やNGOが起こす「テロ」(「内乱」や小「戦争」)への自衛こそが戦争理由となっている。
(注)第一次世界大戦よりはイデオロギーのための戦争ともなった。その合い言葉は「デモクラシー」(民主主義)擁護という大義のための戦争である。
前者を理由に引き起こされたのが湾岸戦争である。後者すなわち、テロを口実に行なわれたのがアフガンのタリバン戦争である。そういう中で、無関係の不特定多数を殺傷するようなテロは、まさに人権侵害の最たるものであろう。映像つきの「9・11」テロはアメリカにとって何とオイシイ口実であったことか。「非政府戦争組織」とでも言うべきアルカイダは「NGO」(この言葉に善悪はない)である。アメリカは「21世紀におけるあるべき(可能な)戦争」のお手本を世界に見せたのである。
▼誰が火をつけ、薪をくべ、火事にしたのか
日本での主問題は、と言ってもマスコミがそうしたのだが、日本総領事館員らの対応ぶりについてであった。そのマスコミには二つの錯誤がある。一つは、マスコミは結果論からものを言っていることに全く無自覚である。その結果とは、駆け込んだ男女が北朝鮮の亡命希望家族だったということである。事件があの映像から報道されたので、あたかもそれが自明であったかのように錯覚しがちだが、マスコミはタネ明かしを見た後にその手品はインチキだと言っているようなものである。
もう一つは、「人権」に正論としての側面しか見ないことである。だからこそ、事件をありきたりの、あるいは「グローバル・スタンダード」として流行りの「人権」問題の流れに位置づけ、挙げ句は日本の外務政策として亡命援助施策が遅れていると難じることで、日本の報道機関として国際責務を果たせていると考えている。マスコミは(そして日本人も)「人権」という日本語を「普遍的」に翻訳可能な言葉と思い込んでいるが、前述のようにそうではない(注)。
(注)日本人はありもしない「普遍」を求めている。「国際連合」も「国際規律」も「国際標準」も、「陰謀」をたくらむ一部欧米国家や一部NGOが世界支配(経済支配から始まる)を進めるための布石であり、それらの実体は自分たちに都合のよい偏った組織やルールにすぎない。
今事件をめぐっての報道番組では、話の中で百年前の義和団事件(1899年、北京の欧米日各国公使館が暴徒に包囲された事件)を引き合いに出すバカがいた。歴史になった事件と現代をミソクソにしてはいけない。むしろ、在イラン・米国大使館占拠事件(1980年)や在ペルー・日本大使公邸人質事件(1996年)を想起すべきである。確かに在外公館はテロの危険に常に晒されている。民間人あるいは亡命者の風体であっても決して油断はできない。
これに対して中国官憲が警護活動をしていることに何ら不思議はない。敷地内「侵入」にしても、杓子定規に言うことではない。事実、「ウィーン条約」(注)第31条への違反を言う当の日本の官憲も、1998年に在東京・中国大使館の敷地内に立ち入り「不審者」を強制連行している。「おあいこ」だなんて言うつもりはないが、現実は教科書のように動いているわけではない。「敷地内侵入はウィーン条約締結以来、かつてなかったこと」と曰(のたま)った評論家もいたが、「勉強」のし過ぎだろう。
(注)「ウィーン条約」にもいろいろある。ここでは「領事関係に関するウィーン条約」というものだ。だいたいが、条約文や法律文を「文字において確実に取り交わした約束」とし、そこに抜け道をこそこそ探すのは「欧米思考」である。東洋精神は、文言ではなく精神をこそ重んじたはずであった。
▼「ナショナリズム」はどこから、誰のために
では、これが何ゆえ主権侵害問題となったのか。ここで「人権」である。亡命者を受け容れ、手厚く保護するのが「文明国」(注)であるとする、日本マスコミの「正論」と「国際常識」がそうしたのである。ニュースは繰り返し「日本はG7中、亡命を受け入れない唯一の国」と報じた。亡命希望者か、また北朝鮮人かどうかも分からない内に身柄を移されたのに、その後になってからあのとき日本総領事館内にいたのだから、権利は主張されるべきだという「無い物ねだり」の論理が生まれた。
(注)アメリカによれば、「文明国」とは欧米的価値観を受け容れる諸国を言う。この「文明」が真に普遍的な価値観なぞではないことを、非欧米の諸国民は銘記すべきである。
どんな希望を持った何国人かが明らかになったのだから、真に人権問題と考えるのなら、中国政府を信用して対処を委ねたらよいものを、「チャイナ・スクール」(中国びいきの姿勢)の日本外交の弱腰と追い詰めていったのも、他ならぬ日本のマスコミである。それを日本総領事館の怠慢として非難することは、実は中国の人権政策は信用できないと主張しているに等しい。つまり、このときマスコミはアメリカ人権外交のお先棒も担いでいたのだ。
実際、中国はこの事件の処理を対日ではなく、対米問題として思案していたことは間違いない。その中国の思案とは、アメリカに「人権軽視国」(=非文明国)と非難させる口実を与えず、一方では北朝鮮の「宗主国」として立ち振る舞うことだった。中国は東洋文明の盟主と自ら任じている。だから、「小日本」(注)の小賢しい言動は絶対に許せないのだ。今事件に限らず、小泉首相の靖国参拝への執拗な非難も同列にある。
(注)「小日本」とは、中国の巷間での常套語である。中国では国民レベルですでに日本を「大国」なぞとは考えていないし、日本人を矮小な民族(まさに「倭」人)とさえ見なしている。
▼根本は「日本人とは何か」というアイデンティティー問題である
日本総領事館の副領事(中国警官の帽子を拾った人)の行動、阿南惟茂中国大使(敗戦時に自決した阿南惟幾陸軍大臣の子息)の「亡命者拒否」発言などの発覚は、確かに日本国民を驚かせはした。しかし、これは現在の「日本」を「防衛」するための当然の行動であり、正しい基本施策ではなかったのではないだろうか。亡命問題とは、実は難民や外国人労働者の受け容れ問題、ついには「日本人とは何か」というアイデンティティー問題にも地続きにつながっている。
合わせて、彼ら彼女らが本当に「亡命者」と呼べるのか。亡命とは政治的な理由からの自国脱出を言い、今回のような「経済難民」(食えないから国外脱出する)とは区別されている。また、日本には北朝鮮と国交がない一方で、拉致問題という懸案もある。日本政府としては、経済難民の北朝鮮人を現状では亡命者として取り扱わない、としていても責められるべきものではないだろう。
一体、誰が真剣に「日本人のアイデンティティー」の行く末を考えようとしているのか。少なくともマスコミは失格である。亡命者や難民を受け容れるのもよい。しかしそれが最終的に何を意味するかを認識し、場合によっては「日本合衆国」となる覚悟があるのかどうかである。現状として、外務省がそれらを基本施策として拒否することをいかなる日本人が非難できると言えるのか。好き勝手は誰でも言える。筆者には、自らは責任を引き受けないで「事件」を売文ネタとするマスコミの有り様は許し難い。
▼オマケ:瀋陽という都市について
今回の事件の舞台となった都市は、中国東北部(旧満州)にある瀋陽(しんよう)であった。ここは歴史のある、またなかなか日本とも因縁深いところである。もともと東北部は漢民族の中国の固有領域ではない。例の「万里の長城」が取り囲む内側が明代までの中国であり、瀋陽は言わば「外地」であった。瀋陽が最終的に中国に引き入れられたのは、征服王朝の清によってであった。
女真族のヌルハチが1616年、明に対抗して皇帝を名乗り、国号を後金と称した。1625年には瀋陽を首都とする。その後、国号を清と、首都・瀋陽を盛京と改称した。中国に侵入した清は1644年、北京に遷都する。旧都・盛京は副都として奉天(ほうてん)府と称した。異民族の清が中国内地を支配することによって、中国にとって外地であった東北部が清という中国国家の一部となったのだ。
19世紀になって、清は欧米列強に侵蝕され、そこへ近代化を進める日本も一「列強」(仮洋夷)として加わる。日清戦争を経て、この地域で対峙した日本とロシアは日露戦争を戦う。日本海海戦と並ぶ軍事的重要さを持つ、最大の陸戦・奉天大会戦はこの郊外でのことだった。その後、南満州を実質的に支配した日本・関東軍は、1931年9月18日、奉天北方の柳条湖の鉄道爆破事件を契機に満州事変を引き起こしたのであった。
奉天はロシアと日本の近代化政策によって、近代都市としての外貌を整え、工業が発達した。満州国成立後は新都は長春に置かれ、そこは旧京・奉天に対して新京と称された。日本の敗戦とともに、満州国も崩壊し、奉天は瀋陽の名に戻った。ちなみに、朝鮮人は清朝の時代からこの東北部に居住していた。これは、わが日本の朝鮮半島支配政策とも大いに関わる近代史の中で進行した歴史である。そう考えれば、日本総領事館へ北朝鮮人が駆け込み、それが日本の騒動となったのも一つの皮肉と言えよう。
head
Copyright(c)1998.06.27,Institute of Anthropology, par Mansonge,All rights reserved