吉外井戸のある村
M'S CLINICAL SOCIOLOGY

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「北朝鮮を核攻撃せよ!」---日朝「首脳」会談が終わって

▼手術は成功した。しかし患者は死んでしまった。

 どうしようもない虚しさで一杯である。筆者の予測がはずれたせいでないことは言うまでもない。8名の拉致被害者がすでに死亡しているとの報を受けてである。「首脳」会談自体は、被害者全員の安否が「確認」され、金正日が初めて「拉致」を認めて謝罪して、日朝国交「正常化」交渉の再開が合意された。しかし、これではまるで「手術は成功した。しかし患者は死んでしまった」というたとえ通りではないか。

 救い出すべき「人質」が死んでいては元も子もない。前号で筆者がくり返し「人質」や「身代金」の言葉を使ったように、助け出すべき人たちがすでに死者となっていては、これまでの救出のための努力と用意した「身代金」は何だったのか。しかも国内の人質事件とは違い、「犯人」はとうに北朝鮮側が処罰したという。「犯人」引き渡しもないわけだ。

 筆者に限らず多くの評者が予測できなかった最大のポイントは、事前の観測に反して金正日が拉致を自ら認めて謝罪したことと、被害者(リスト外の3名を含めて)14名中8名がすでに死亡していると北朝鮮が通告してきたことだ。核ミサイル凍結など安全保障面を含めて、北朝鮮は確かに「妥協」し「譲歩」した。金正日は日本からの「経済協力」欲しさに、捨て身で小泉首相の懐に飛び込んできたように見える。

▼金正日の「悔悛」は本物か

 一方、ご承知の通り、拉致被害者8名が死亡しているということに関して、早くも疑念が生じている。死亡者全員が若くして「病死」もしくは「事故死」とされ、その死亡年月日も不自然であったからだ。もしも北朝鮮の「非公式」情報通りの年月日に、たとえ殺害(処刑)であったとしても被害者が本当に死亡しているのなら、金正日の「悔悛」にも多少の真実の可能性が残るであろうか。

 しかし、事実がそうでないのであるのなら、またしても北朝鮮常套の国家的な詐術と言わざるを得ない。実際、北朝鮮から亡命し韓国に住む元工作員というある人物からは、今回死亡とされた人に死亡年月日以降に会ったという「証言」も出ている。そして、一部で指摘されているように、この期に及んでの、通告に合致させんがための殺害の危惧も決して杞憂ではないだろう。つまり、死亡・生存いずれにしても虚偽を含んだ内容であるということだ。

 一体どういうことなのか。金正日が今回、何を言ったのかをよく考えてみよう。「特殊機関の一部が妄動主義、英雄主義に走ってこういうことを行ってきた」と言ったのだ。つまり、自分自身は関知せぬことだと言った。これは明らかに虚偽だろう。特殊機関こそが、今も彼の手足でなければならないからだ。不埒にも今回の直前に、拉致に関わった人物が「国家英雄勲章」を受けたという報道さえある。

▼8名の「人質」はなぜ死んでいなければならないのか

 8名の「人質」はなぜ死んでいなければならないのか。答えはここにある。国家機密を、つまりは金正日の犯罪を知悉してしまっているからだ。逆に「生存」とされた5名はそれを知らないからこそ、日本との接触が認められたのだ。さらに言えば、うち4名・二夫婦は子どもを人質に取られて、余計なことは言わないという約束が交わされている可能性が高い。

 「死亡」の8名は「すべて」を知ってしまったのである、金正日の犯罪を。仮に彼らがそれが明らかにしたときには、日本を真に激震が襲うであろうほどの。これは「現在形」でなければ意味がない。すなわち、北朝鮮の特殊機関で被害者たちは工作員への日本語教育などを担当したが、これは北朝鮮から日本へ「特殊任務」のため、いま現に潜入し活動している者が誰であるかを白日に晒すものなのである。

 北朝鮮の「工作」(戦争)は間違いなく今も続いている。「英雄主義」の工作船(不審船)を自制するつもりもないし、日本潜入工作員たちの引き上げもない。現状のまま、工作は過去のものとして隠蔽しようとしているのが金正日の発言なのだ。それどころか、核ミサイルも査察が済めば復活させるに違いない。そもそもの前提として、自分が退陣しようという考えなぞ微塵もない。「朕の北朝鮮」は存続しなければならない。これがための「平壌宣言」なのだ。

▼マスコミの蒙昧はまたも戦争を引き起こす

 金正日の罪状(国民を飢餓に陥れていることを含めて)は明らかだ。日本の使命は金正日政権を打倒することになければならない。国交「正常化」交渉に名を借りた、言わば「解放戦争」を遂行することが日本の使命である。ここで特記して記憶に留めておきたいが、旧社会党(現社民党と民主党の左派)は工作員よろしく、長らく「拉致」はないと北朝鮮と口裏を合わせてきた。例の辻元清美元議員なぞ、その急先鋒だ。

 これは「人質事件」ではない。「戦争」である。にもかかわらず、マスコミは何の価値判断もなく、ともかく政府と官僚攻撃だけが絶対信条なのである。今回は拉致被害者家族の怒れる発言という言質を引き出し、「世論」を作り出した。曰く、「これで正常化交渉を始めるつもりか」や「死亡月日をなぜ発表しなかったのか」など。筆者は被害者ご家族の心情には同情しつつも、それをそのまま無責任に垂れ流すマスコミは無責任と断罪せざるを得ない。これは単なる「人質事件」なのか。

 被害者など当事者と、これを報道する者とは役割が違う。日本の報道はまるで芸能レポーターである。針小棒大に細部だけを拡大し、全体的総合的判断を国民にむしろ失わせることをあたかも使命としているが如くだ。事実、近代日本を無謀な戦争に導いてきたのはそういうマスコミであった。日清戦争後の三国干渉、日露戦争後の講和条約、日中戦争の泥沼化などの過程で、「世論」を鎮静させるのではなくむしろ沸騰させていったのはマスコミである。マスコミは本気で「熱い戦争」をするつもりがあるのか。

▼北朝鮮問題の最終解決

 今回のことについての各国の反応の中でも、米国のそれは特筆に値する。「人権」には篤いはずの米国マスコミがこう述べたのだ。「拉致問題は二国間の問題」だと。北朝鮮による日本人拉致は言うまでもなく「国際テロ」である。同じ「国際テロ」である「9・11テロ」を「文明」への攻撃と言い、明白な証拠もなく犯人を「ビンラディン-アルカイダ」と決めつけ、アフガンのタリバンを「報復」攻撃したブッシュ大統領を全面擁護した汚い舌がそう言ったのである。

 米国の「9・11テロ」とは、実はそういう「二国間の問題」であったのだ。タリバンがテロとどういう関わりがあったのか、またなかったのかは、私たちには分からない。しかし今回の拉致事件では明白である。事実、国家代表者が認めたのだから。アメリカ流に言えば、私たちは報復しなければならないのだ。それとも、私たちはこれを北朝鮮の「報復」と受け止めなければならないのか。「35年間の植民地支配」(もちろん、このなかには多くの死がある)は、15人の拉致と8人の死亡と引き替えなければならないことなのか。

 筆者はあえて言いたい。親北朝鮮と疑われてきた朝日新聞こそ書くべきである、「北朝鮮を核攻撃せよ!」と。戦前戦後に渡って「国民」の側に立って論陣を張り続けてきたと自認する朝日新聞こそ、そうはっきりと書くべきである。政府の発表が「小出し」だなぞと、つまらぬ小事に拘泥すべきではない。「金正日の北朝鮮」にはいずれ崩壊しか道はないのである。ならば、わが日本が始末をつけようではないかと。言うまでもなく、政府はそういうことを言ってもしてもならない。
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