吉外井戸のある村 M'S CLINICAL SOCIOLOGY

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「年金未納問題」に見る日本人の見識

 イラク邦人人質問題に続いて、日本人の見識が試されたのは年金未納問題。年金CMの江角マキ子バッシングに始まり、「未納三兄弟」の発覚、福田官房長官が辞任し(本当にこれが理由で辞任したのかどうか大変疑わしく思うが)、飛び火して言い出しっぺの菅民主党代表も辞任、神崎公明党代表、土井社民党前党首(北朝鮮拉致問題、議員秘書報酬問題、年金未納問題…、社民党は何とかしようよね)らの謝罪を経て、小泉首相の公表まで、年金国会に出演の主だった国会議員がオールキャストの豪華(お粗末?)ぶりだ。確かに一種の壮観ではある。あきれたものだ。でも、これって本当に「問題」?

 こちとら厚生労働省のお利口な役人とは違って、複雑にして怪奇千万な年金制度にはド素人だ。未納だ未加入だと言われても違いがよくわからない。ただ議員先生方のご説明を聞いていると、どうも「転職」の際にはややこしい年金の変更手続きが必要であり、よほど周到な年金知識がない限り、未納や未加入となってしまうようだ。実際、国民諸氏も転職経験があるなら、いざ自分が本当に年金に完全に加入できているかどうかを問われて、大丈夫だと自信を持って言い切れる人は少数ではないかと思う(これはこれで大変おかしな話だが)。

 問題は明らかに複雑な年金加入・納入制度自体にある。李下に冠を正さず、隗より始めよの言葉の通り、年金への国民皆加入を進め、年金制度を論じる議員が未納なり未加入なのはもちろん宜しくないだろう。また、そんな奇怪な加入・納入制度を放置してきた国会議員としての無責任も問われなければならない。だが、同じ「年金」という大枠だけで、正しくは別個のことをミソ糞にして、全否定するのは問題のスリ替えであり、矮小化である。

 国会での議論に論じる「資格」がもし必要だと言うのなら、今後いちいち問題ごと、議論の前に資格を有するか否かを確認しなければならないだろう。今回のことでは主だった議員は与野党含めて、参加できないことになる。それでよいのか。そもそも、年金議論での「資格」は年金への意図的な非加入や不払いこそ問題であるはずなのだが、未納や未加入が指摘された議員はいま現在もそうだというケースはむしろ例外だ。つまり、たいていは意図的に非加入や不払いを続けていたわけではない。この点でもミソ糞の論難なのである。

 では、国民は皆、年金未加入・未納問題は事象として知悉することになったが、「年金国会」と呼ばれもした今国会で年金制度改革自体の何がいかに議論され、どう決着したかを果たして何人が理解しているだろうか。この大騒ぎで議論の中身が掻き消され(もっともそうでなくても理解されていたとは思えないが)、本末転倒の「国民的」議論となってしまった。そう仕向けたのは民主党を始めとする野党議員であり、何はともあれただお祭り好きのマスコミだ(「高級紙」を自認する朝日新聞の5月16日朝刊トップは「小泉首相も年金未加入」で、その数分の1の扱いで「首相、22日再訪朝」、さらに「民主代表に小沢氏」と続く。嘆かわしくも、これが朝日新聞が考えるニュースの重要度の比率だ)。

 菅「前」代表が未納閣僚を「未納三兄弟」とネーミングして与党を揶揄・批判したのは、「世論」を意識した「国民に分かりやすい政治」を実践されたのだろうが、ワイドショー向きの「国民に分かりやすい政治」がいかにずさんなものかが示された好例だと思う。しかし、未加入・未納を釈明する議員も議論をミソ糞にして攻撃してくるであろう「世論」を恐れて、それと年金論議が別問題であることを声高には言い続けない。

 事実、「世論」を僭称するマスコミは制度改革も加入・納入問題もすべて「年金問題」であるとして、議論を細分化することを怠り、いつもの「政治批判」ばかり繰り返してきた(こんなものは政治批判でも何でもない)。一方で、国民は自分の頭で考えず、マスコミの日替わりメニューで垂れ流す無意味なニュースを「消費」しながら、それが自身の「考え」であるかのような錯覚を自ら許し続け、そんな「世論」に共同正犯として加担している(これはわが日本人お得意の見て見ぬ振りである。無自覚であることとは似て非なるものだ)。

 そういう中で、「世論」を「リード」してきたTBS番組「ニュース23」の筑紫哲也キャスターの年金未加入・未納が発覚した。語るに落ちるとはこのことだ。番組に出演しないことで責任を取るそうだが、社会的非生産性と言うか、日本社会の荒廃もここまでくれば、悲しくなる。筑紫キャスターは自ら作り出した「世論」によって「責任」を取らされているのだ。彼の「怒り」がどこに向かうかを確かめたい。世論や国民に向かうのか、それとも政府や政治に向かうのか。

 日本人の「世論」は集合意識となったルサンチマンだ。誰かの意思表明ではないし、ましてや責任ある意見ではない。エライ先生方のあたふたする映像をオモシロおかしく見ることだけが目的の下司の勘繰りだ。それをさも正義や道徳に基づくご立派な何かとして、マスコミが煽り囃し立て、議員もこれを恐れている。そしてそれが何と「政治」と呼ばれている。どこに「民主主義」や「個人」なぞあろう。きちんと自分の目と耳で見聞きし、自分の頭で考えることから始めようではないか。
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