mansongeの「ニッポン民俗学」

節分の話、そして日本人の信仰について




▼節分の話の前に

 日本人は「無宗教」だと言われる。また、自分が無宗教であり皆もそうであるべきだと考える日本人も多い。聖と俗は分離すべきだという考え方であろう。無宗教と無神論とは違うが、無神論から始めたい。

 日本人の言う無神論は、欧米人の言うそれとは違う。欧米の無神論とは絶対神がいないという考え方である。そしてこれは、有神論者にすればだが、世界に秩序がないことを意味する。秩序とは客観的な法則であり、客観的な善である。無神論者は、神無しでも世界には固有の秩序があると主張する。これは有神論の裏返しにすぎない。あるいは同じ前提に立っているのだ。

 それに対して日本の「無神論」は、そもそも絶対神の存在なぞ関係ない。神や仏には頼らない、という程度のものだ。日本での神や仏は、頼りにならないほど非力な存在なのである。客観的な秩序について言うと、あるようでもあり、ないようでもある、というのが日本人の秩序観であろう。

 そんな日本人に欧米尺度の「宗教」という言葉と基準は無効である。いまや日本の法律でもそうなっているが、宗教とは教祖・教典・布教を三大要件とするものだそうだ。日本にそんなものがあるわけがない。日本人が「宗教」を手に入れるためには、キリスト教や仏教などの外来宗教宗派、あるいは江戸末期以降の新興宗教宗派(もちろん、オウム真理教まで含む)に属さねばならないのである。大方の日本人は、どの宗教宗派にも積極的には属さない。そこで「無宗教」となるのだ。

 では、その大方の日本人には「世俗時空間」から区別されるような「聖的時空間」はないのか。いっぱいある! 多くあり過ぎて、聖俗の区別がつかないほどだ。これこそが日本的聖俗秩序である。実は「民俗」行事と称されるものはすべて日本人の信仰だ。民俗というレベルは宗教というレベルより弱い(低いのではない。欧米流「宗教」基準では「低い」)。微温的な宗教(教祖・教典・布教が明確でない信仰)こそ、大方の日本人が信じているものである。

▼節分とは祓(はら)えである

 お待たせしたが、節分の話である。節分はそういう意味での日本人の信仰の一つなのである。私たちは何ごとも「一発、ドカン」ではなく、「チョロチョロ、何度でも」が流儀なようだ。もう一つ付け加えれば、教祖がおらず教典もないので、その意味もよくわからずにただ黙々と行うのである(不思議と言えば不思議であるが、これこそ日本人の信仰たる由縁と筆者は考える)。

 やや常識的なところから述べるが、節分は年に四度ある。春分、夏至、秋分、冬至の各季節を区切る節気の前日がそれである。このうち、一年の区切りとなる春分の前日が特に重視され、ただ節分と言えば、これを指すようになった。

 さて、節分とはいつか。今では二月初めということなっているが、旧暦で言うと十二月もしくは一月である。ちなみに今年(1999年)で言うと、節分は新暦で二月三日、旧暦では十二月十七日である。春の始まりを告げる春分はその翌日であるから、旧正月はまさに春になっての初めての月だったのである(このあたりのことはすでに別稿で述べた)。

 日本人は年や季節など節目のたびごとに他界(あの世)と交流する(「祭り」である)。それは同時に魂の再生・更新儀式でもある。そしてその節目の前には祓えを行う。祓えとはケガレを流すことである。これをしなければ魂が失われてしまうのだ。どこかに逃げてゆく。つまりは死んでしまうのだ。祓えをして、さらに生命の更新・補給作業をする。これが祭りの一側面である。他界から来る神や祖霊が新たな生命の息吹きを運んできてくれるのだ。

 「祭りと祓え」は、官民で違いもあり多種多様であった。また、官民で相互に伝播し合ったものもあるし、しだいに統合され失われたものもある。その中で「正月と大晦日」が代表的なセットであることは言うまでもない。節分は春分とセットだが、春分の祭りの方は「正月」祭りに吸収されてしまったようだ(一年の始まりは春であるから、結局この二つのセットは同じ意味合いのものなのだ)。しかし節分の方は、大晦日の祓えとダブりながらも(つまり二度するわけだ)、今でも盛んなのである。

 こういう信仰をもつ日本に、中国から「追儺」(ついな。「鬼儺」おにやらい、とも言う)というものがもたらされる(平城京の前の藤原京時代のこと)。これは陰陽五行(道教だ)に基づく厄払いの儀式であった。中国の鬼は異界の妖怪であるが、日本の鬼はもとカミである。ケガレた神である。そこに日本のケガレを流す祓えが結びつく。ケガレた神である鬼にケガレを持って帰ってもらうのである。


 追儺はもと宮中で、大祓えの一環として大晦日に行われていた。方相氏(ほうそうし)という祓い役が、矛と盾をもって「鬼やらい」と唱えながら、鬼役を内裏の四門に追い回し退散させる。また殿上人は、桃の弓に茨(あるいは葦)の矢を手につがえて鬼を射たという。そして、宮門に大寒から置いてあった土牛と童子人形を、正月(立春)の夜の到来とともに取り去る(古代の一日は夜から始まる)。

 追儺は陰陽五行、すなわち道教(日本に入っては陰陽道)に色取られている。土牛とは十二支の「丑」(十二月、冬)の象徴で、これを取り去るとは、次の「寅」(正月、春)に季節の座を譲ることを意味する。また、童子とは「丑寅」(艮・うしとら。十二月の後半。方角では北東)で、かつ「土」気の象徴である。「丑寅」は「寅」の直前であり、これを取り去ることは冬の終わりから春の到来を告げるものである(「土」気から、「寅」の「木」気への移行をも意味する。このあたりも別稿を参照されたし)。同時に、「丑寅」は「鬼門」であり、まさにここから鬼がやって来るのだが、鬼を追いやる所でもわけだ(後世のことになるが、鬼が牛の角をつけ、虎のパンツをはいている由縁)。

 それから、桃について。中国では古くから、桃には辟邪(へきじゃ)の力があると考えられていた。この思想の到来は早く、イザナキが黄泉の比良坂でイザナミから逃れたときも桃が使われていた。これがいつの間にか「豆」に取って代わったわけだ。

(脱線になるが、桃太郎の鬼退治は、中国道教思想による日本神話の換骨奪胎である。「桃」太郎という名前自体がそれを暗示しているが。桃太郎が行った所は、常世でなければならない。鬼は前述のとおり、神なのである。桃太郎は「鬼が島」という神の国の財宝を奪ったのだ。つまりこの話の土台は、浦島太郎が竜宮に行ったような話なのである。それが、日本の鬼がたぶん仏教地獄の鬼を媒介にして本物の鬼に変わり、退治話になったものと思われる。ちなみに、お伴の猿・雉・犬とは、陰陽五行の申・酉・戌であり、「金」気=富の象徴である。中世以降の「金」気信仰(「酉」が中心。例えば今の「酉の市」「お酉さま」に続くような)によって、産み出されたことを示唆している。)

 こうして「寅」(正月)の水際で、ケガレを祓ったのだ。鬼門は、鬼とともにケガレが棲む所となった。追儺の移入はあくまで「外人助っ人」であった(当時の精神の表層は先進国・中国の万物に憧れてはいたが、根本の思考構造自体は日本人でしかあり得ない)。あたかも仏が外来の強力な神であったように、祓えのために世界最新の強力な呪法として呼び込まれたのだ。また、それを必要とする新たなケガレの脅威があった。疫病である。病むは「止む」であり、ケが止むことであった。魂(生命)を奪うケガレの一つだったのだ。

 いまの節分のスタイルは、節分の日に人が「鬼は外、福は内」と唱えながら豆をまく。これは京では平安時代から始まったとされる。しかし全国化するのは他の民俗と同様、室町時代ごろからだと思われる。室町時代というのは日本精神史の中の一大転換期である。それは、平安・鎌倉時代までの京文化が最終的に倒壊した時期であり、それまでの宮中行事の作法や伝承されてきた京文化が流出したときでもあった。節分の日の豆まきとしての追儺も、こうして世に広まった思われる。陰陽道の知識とともに。

 陰陽五行が日本全国に流布するにつれて、これに基づく迎春行事が盛んになる。迎春行事というのは、春である「寅」の「木」気を扶ける呪術である。そのために「木」気を食う「金」気を「火」気によって追いやるという戦略が採られた。凧上げや羽根突きもこうした行事だ(これも別稿に述べた)。大晦日ではない節分も盛んになる。すべてが整備されるのは言うまでもなく、江戸時代を待たねばならないが。

 さて、豆まきである。豆は陰陽五行で言う「金」気なのである。これを炒ることにこそ意味がある。「火剋金」と言うのだが、「金」を「火」で撃つのだ。さらに、その豆を外にまいて追い出す。すると「木」が活き、春という季節が充満するのである。このような迎春呪術として、近世以降の豆まきはある。豆まきの豆を食べるようになるのも、この「金」を砕くという考えの延長にあるのではないかと思われる。しかしその深層には、陰陽五行以前のケガレ祓えが実はひそんでいる。豆にはケガレを付けて、鬼に投げるというのが本義である。同時に、豆まきは年占(としうら)でもあった。年占というのは一年の天候や吉凶の占いである。この上を陰陽五行思想が被っているのである。

 以上のような歴史と伝統と信仰を背負って、私たちは豆まきをしていたのである。

▼人はパンのみに生きるにあらず

 日本人の「無宗教」に話を戻す。日本人は愚かにも欧米流儀の「宗教」しか宗教ではないと信じ込んでいる。そうではない。意味もわからずに民俗行事を続けていること、そのようにしていまも保持している聖俗秩序観こそ日本人の信仰なのであり、そういう意味で豆まきを続けているような日本人はみな立派な宗教人なのである。

 古今、洋の東西を問わず、人間には「俗」とともに「聖」が必要である。自意識、すなわち「精神」の誕生は、必然的に「この世」ならぬ世界を見出さざるを得ない。目に見える世界と目に見えぬ世界を含めての一つの「世界」なのだ。「聖」なる領域、それは人間の精神生活の底板である。合理だけの生活は人間の生活ではない。人はパンのみに生きるにあらずである。

 イスラム諸民族は言うに及ばず、「聖俗分離」したはずの欧米諸民族も厳然たる「宗教」人である。日本人が、欧米流「宗教」定義を真に受けて固有の信仰をもし本当に捨てるようなことになれば、それは欧米流の無神論ではなく、パンのみに生きるただの無間地獄(ニヒリズム)に自らを投げ込むことになるのだということを明言しておきたい。


[主な典拠文献]
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