mansongeの「ニッポン民俗学」

「あま」駈ける「海人」---「南洋」南島語族とニッポン人



(一)

 紀記(『日本書紀』と『古事記』)の海幸彦・山幸彦神話はご存知だろう。天皇の政治神話で満ち満ちた紀記の中で、数少ない詩情に富む南方系海洋神話、すなわち「海人」物語である。

 山幸彦が兄(海幸彦)から借りた釣り針を漁中なくしてしまう。兄に責められ悩む山幸彦は塩土という海の神に誘われるままに、海神宮に行く。そこで豊玉姫とめぐり逢い、三年を過ごす。姫の父は海(わたつみ)神で、望み通り兄の釣り針を見つけてくれる。山幸彦はもとの国に戻るが、兄との争いになり、海神からもらった二つの潮玉で兄を平伏させる。ところが話はこれで終わらない。

 やがて、山幸彦の子を宿した豊玉姫がやって来る。姫は出産のため海岸に産屋(うぶや)を建てるが、そこへこもるとき、決して出産する自分の姿を見てはならないと言う。しかし山幸彦は禁を破ってのぞき見る。海神の娘は本性の鰐(わに)の姿を現していたのだ。見られたことを知った姫は恥じ入り、赤子を残して海神宮に去る。そしてわが子の養育のために、妹の玉依姫を遣わす。息子は成長し、やがて玉依姫と婚を結び、子を成す。その第四子がイワレ彦、すなわち最初の人皇・神武である。

 改めて読むと、脚色された今の浦島伝説にそっくりなことに思い至る。それよりは古い『御伽草子』に拠ると、浦島は漁で一匹の亀を釣り上げるが、これをもとの海に放つ。と翌日、小舟に乗った女が現れ、難船してたどり着いたのだと言う。哀れに思った浦島は、女を故郷へ送り届ける。その地で二人は夫婦となるのだが、実はそこは竜宮城で、四季が同時に存在する不思議の国であった。三年を過ごして、浦島は帰郷を言い出す。女は別れを嘆き悲しみながら、自分はあの時の亀だと告白し、形見に玉手箱を渡す。帰り着いた故郷は七百年後の世界で、浦島は悲嘆の余り、禁を破って箱を開ける。年月の煙りを浴びて七百余歳となった浦島は鶴となり空へ舞い上がる。

 海で漁をすることが始まりであること、誰かに誘われ竜宮に行くこと、そこの女と夫婦になること、妻は夫に禁(タブー)を与え夫はそれを破ること、そして女が実は「海人」つまり鰐や亀の化身であるなどが共通点である。「おとぎ話」となった「浦島太郎」では、さらに類似点が見つかる。山幸彦神話に牽引されたりしたのだろう。

 実は、釣り針をなくす神話は、環太平洋に広がる。インドネシア東方のモルッカ諸島には、兄から借りた釣り針をなくしていじめられた弟が、ある魚に助けられて釣り針を取り戻し、兄に仕返しをする話がある。同様の話は、インドネシアのジャワ島やセレベス島にも伝わる。

 ミクロネシアに属し、インドネシア北東(フィリピン南東)に位置するパラオ諸島(ここはかつての日本統治領である)には、父に作ってもらった大事な釣り針をなくした息子の話がある。それを探しに海に潜ると、村があり、水を汲みに来た二人の娘と出逢う。結局、釣り針は見つかるのだが、ここでのポイントは水汲みに来た娘と出逢うという作法だ。山幸彦神話では略したが、山幸彦も海神宮のほとりの樹上にいるところをその姿が泉に映り、水汲みに来た娘によって見つけられることで豊玉姫へと導かれる。

 メラネシアに属するニューギニア北東海中のビスマルク諸島(旧日本軍のラバウル基地があった所)では、逃げた鳩を追って見知らぬ島にたどり着いた男の話がある。鳩を追う男が人の足音に驚いて木に登ったところに、娘が水を汲みに来る。娘は水面に映った男を見つけるのである。男はその娘と夫婦になるのだが、その島は女だけの国で一騒動の後ち、男は故郷の島に帰る。すると、故郷では長い時間が経っており、すでに墓まであった。

 この話はお分かりの通り、浦島伝説に似ている。『御伽草子』の浦島には「塚」という言葉で当人の墓が登場する。こちらとあちらで時間の経ち方が違うのだ。だから、この「島」というのは「竜宮」だと言ってよいだろう。それ以上に筆者が興味をそそられるのは、「水面に映る男を水汲みに来た女が見つける」という「作法」である。なぜなら、こんなディテールの一致は、これらの神話や説話の同根・同源性を思わずにはいられないからだ。

(二)

 話を進める前に、ここで私たち現代ニッポン人にはあまり馴染みのない「南洋」について少し説明しよう。どこから述べればよいだろうか。まずは「オセアニア」(大洋州)だ。これはオーストラリア大陸を含めた太平洋地域と言うか、その海域全体を指す言葉である(ちなみに、太平洋は地表全体の三分の一を占め、月の全表面積よりも広い)。広義には、インドネシアその他東南アジアの島々をも含む。そのオセアニアは四分され、オーストラリア、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアに分けられる。

 なぜ「南洋」と言うのか。ポリネシア最大の島嶼ハワイ諸島こそ北洋(北緯太平洋)にあるが、その島々のほとんどは南洋(南緯太平洋)にあるからだ。ミクロネシアとは「小さな島々」という意味で、北洋かつほぼ東経180度以西の島々を指す。メラネシアは「黒い島々」(おそらく人種的な意味だろう)という意味で、南洋かつほぼ東経180度以西の島々を指す。ポリネシアは「多い島々」という意味で、ほぼ西経に属す全島嶼を指す。北はハワイ諸島、東はイースター島、西はニュージーランドを結ぶ最大のトライアングル海域である。

 「南洋」は欧米人によって「発見」された。マゼランやクックが先駆者である。彼ら以降も、欧米人は「発展段階説」あるいは「進歩史観」のもとにあった。だからこそイースター島のモアイ像やトンガ諸島のピラミッドの存在は、アメリカ大陸からの移住(インカ文明人などを想定)とか、「ムー大陸」というものがあったとか言わねばならなかったのだ。現在までに、米大陸からの移住も太平洋における大陸の存在も否定されている。

 人や民族を考えるとき、何を手掛かりとするかというと、言語というものに頼らざるを得ない。事実、オセアニアについてもこれによって分類されているのだ。最も大きな人種分類について言っておけば、現在のところ、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄人)、ネグロイド(黒人)、それに亜種的なオーストラロイド(オーストラリア人、南方人の意)とカポイド(アフリカのコイサン人、ホッテントット)の五つに分けられる。このうち、本論にも関係するオーストラロイドとは、アボリジニーやパプア人のことである。

 さて、オーストロネシア(オーストロ=南、ネシア=島)語族という言語分類がある。別名、マライ・ポリネシア語族、南島語族と言う。これが「南洋」の広がりと範囲を示している。北は台湾(高砂族)から、フィリピン、インドネシア、さらに太平洋のミクロネシア、メラネシア、ポリネシアに及ぶ約700語の総称なのである。画竜点睛、アフリカ東岸のマダカスカル島も南島語族に属する。

 お分かりだろうか、オーストロネシア語族とはモンゴロイドである。これが現在でもかくなる範囲において現存している。これは言わば、モンゴロイド系「海人」の活動圏なのである。ニッポン人の中には「海人」の血が確かに混ざり込んでいる。同じ「古モンゴロイド」(後述)だからだ。私たちの中の「海人」の血は、はるかマダカスカルにもつながっているのだ。

(三)

 紀記神話はカオスから始まる。神々の名によってしだいに世界(コスモス)の形が現れ整えられていくことが示され、やがてイザナギ・イザナミの男女神が登場する。二神はアマノヌボコで海をかき回して、オノゴロ島を作る。そこで夫婦となり、ニッポンの島々を次々に産み出した。世界がカオスから生まれ、次に男女神によって大地が創造されたという神話である。この創世の展開パターンは、ポリネシア神話と同型である。また、男女神の交合創造神話は、台湾や東南アジアに広く見つかる。

 アマノヌボコで海をかき回して島を作るというモチーフは、南洋では「釣り針を海底に引っかけてしまい、引き上げたら島になった」という島釣り神話となる。他にも、イザナギがイザナミを慕って黄泉の国を訪れる話や、その後の禊ぎで目からアマテラスらを生む話に類する神話や説話が南洋に見出せる。

 異界の女を妻にする羽衣伝説も、山幸彦神話や浦島説話と同類の「海人」譚と言えよう。私たちの羽衣伝説は「天女」イメージが強いが、それは海岸での出逢いであったし、南下すれば潮の香りが強まっていく。沖縄には、ある男がエイを釣り上げたらそれが美しい女に変わり夫婦となるが、やがてある約束を男が破ると女は鳥になって去ったという話がある。メラネシアでは、それが亀の女となる。男の前では甲羅を脱ぎ、美しい女になるのだ。甲羅が「羽衣」なのである。

 紀記神話に、五穀の起源を語るオホゲツ姫の話がある。自分の鼻・口・肛門から食べ物を取り出す姫をスサノヲが殺す。するとその死体から、蚕・稲・粟・小豆・麦・豆・大豆が生じたというものである。インドネシアでは、大便から陶器を取り出す女が殺され、死体からイモが生まれた。ニューギニアやメラネシアには、類似の作物起源神話が広がる。作物はたいていイモやココナツである。この神話の周りには焼畑農耕の臭いが漂う。

 筆者はニッポン民俗の枢要を「死と再生」神話にあると考えるが、東日本には一番遅くまで「ムケ節句」と言って、虫の脱皮を祝う風習が残っていた(かつてはニッポン全国にあったと思われる)。これは、人も虫やヘビのように脱皮して若返る(再生する)という思想なのである(各地の、全身や顔をドロやスミで塗りたくるという祭りの風習もこの考えによるものと筆者は思う)。

 東南アジアから南洋には、人も脱皮している間は永遠の生命を保っていたが、それを止めてから死が訪れるようになったという死の起源神話が広がる。虫やヘビ、カニ、エビ、トカゲ、それにヘビのいないポリネシアでは貝などが「脱皮」する生き物のシンボルである。さらに、ポリネシアには「変若水」(おちみず)の神話まである。変若水とは、ニッポンでは飲めば若返るという生命の水のことであるが、ポリネシアではこの泉で沐浴をしていたかつての人は永遠の生命を保っていたのだと言う。

(四)

 アフリカに発した人類(新人)は、全世界に広がった。単純に考えてみよう。東方に進んだ人類にとって、太平洋は最も遠隔の地であったことが分かる。モンゴロイドとなった人類は、東南アジアから中国南東部あたりで「熟成」されたように思われる(注)。ここから南下した諸族にはネグロイド系の血も混ざっていたようだ。まず、四〜三万年前の旧石器時代、人々は海面が下がり陸続きとなった島々を伝いインドネシア東端方面から、狭くなった海峡を舟で渡り始める。パプア・ニューギニア島やその東方のメラネシアの島々へ、またオーストラリア大陸への移動が始まったのだ。この大陸での子孫が狩猟採集の生活をしていたアボリジニーである。

(注)モンゴロイドの源郷は「スンダランド」である。スンダランドとは、いまのインドネシア諸島が「スンダ列島」と呼ばれるのだが、このあたり全体が海面低下によって大陸化したものを言う。それは、東南アジア・インドシナ半島からボルネオ島やスンダ列島を含む壮大な熱帯大陸だったと思われる。

 次の動きは紀元前4500年前頃で、この第二派はパプア・ニューギニア島やメラネシアの島々へ向かった。そして先住民と混血し、ニューギニアではパプア人が形成されていく。続く第三派は新石器時代になってからで、イモ栽培文化とより進んだ舟を持って、東部ニューギニアからメラネシア東端のフィジー諸島まで広がっていく。パプア人は狩猟採集と焼畑農耕の混合生活をしていた。ここまでは、モンゴロイドとはあえて区別して「オーストラロイド」と呼ばれる諸族の動きである。

 さて、最も遅く太平洋に漕ぎ出すことになるポリネシア人を含めた南島(オーストロネシア)語族であるが、彼ら「海人」の源郷はどこなのであろうか。近年の研究によれば、ずばり中国東南部だという。ここはご存知の通り、稲作が早くから栄えた地である。今では漢文化に圧倒され、中国大陸に南島語を話す種族はいない(中国春秋時代の呉や越はその末裔か)が、彼らの移動経路はほぼ推測できる。

 ところで、この南島語族とはモンゴロイドの中でも古モンゴロイドと呼ばれるグループである(縄文人も古モンゴロイドである)。東南アジアから北方に向かい、中国北部からシベリアに定住したモンゴロイドたちがいた。この北方モンゴロイドは形質に寒冷変異を起こし新モンゴロイドと呼ばれるグループとなる。そして新モンゴロイドは再び南進するのである。これが中国黄河文明の夜明けである(このあたりは別稿「日本人および日本の誕生」の前半部を参照願いたい)。

 新石器時代を迎えていた紀元前3000〜2000年頃、後ちの漢民族を含めたその新モンゴロイドの圧迫を受け、南島語族は総体的には徐々に南下を始める。大陸対岸の台湾にも住んでいた彼らは、その南のフィリピン諸島へまず進む。ここはもう熱帯である。ここで主要作物が米中心からイモ類中心に転換されていく(いや、元に戻ると言うべきか)。フィリピン諸島の南にはボルネオ島が隣接している。大陸沿岸を南下するルートもあっただろう。紀元前1500年頃、彼らはインドシナ半島とマレー半島にたどり着く。なお、フィリピンあたりから直接に東方の太洋に向かった部族もあっただろう。

 そこからさらにインドネシア諸島に入り、島伝いに東進すれば、独立紛争で有名になったチモール島に至る。チモールからはニューギニア島やオーストラリア大陸は目の前である。南島語族はラピタ土器というものを特徴とするラピタ文化を持って南洋に漕ぎ出していった。漁労を除いて、イモ栽培、豚や鶏の家畜など、彼らの生活様式のほとんどは東南アジアの文化に基づいたものである。

 ポリネシア人はラピタ文化を持って、すでに人の住むニューギニアやメラネシアの島々を越え、前人未踏のさらなる東方の海上世界に進んでいく。紀元前1300年頃には、ポリネシア領域の玄関口で無人島であったトンガ諸島に、紀元前1000年頃にはその北方のサモア諸島に到達している。その海域周辺で、ポリネシア人は約一千年を過ごす。海洋での生活には不適な新石器文化であったラピタ文化はしだいに捨てられ、そこに適合した言わば「椰子の実」文化が形作られていく。

 紀元前150〜300年頃、彼らはとてつもない大航海に挑む。それはサモア諸島から東方に二千キロ離れたマルケサス諸島への航海だった。このような大航海がなぜ行なわれたのかについては後述したいが、このマルケサス諸島が東部ポリネシアでの植民センターとなり、再びポリネシア人の航海時代が始まった。紀元ちょうど頃、西方のソシエテ諸島(タヒチ島などがある)への植民、150年頃にはそのタヒチ島から北方のハワイ諸島への植民が行なわれている。

 500年頃にはマルケサス諸島から、ポリネシア最東端のラパヌイ(イースター)島への植民があった。大航海の最後となったのは、ニュージーランドへの植民だった。1000年頃、ソシエテ諸島のライアテア島から第一次の植民があり、1350年頃に第二次の植民が行なわれている。これがニュージーランド北島を中心に今も住むマオリ族である。その後もポリネシア人の全オセアニアへの拡散は続いた。

(五)

 さて、書き散らしてきたことをまとめなければならない。初めの話に戻ろう。天皇神話であるはずの紀記における山幸彦神話とは何なのだろうか。初代天皇・神武の誕生には、二度にわたり海神族の母の血を必要としたのだ。「ニッポンなるもの」への「海人」の関わりの深さを思わずにはいられない。読者諸氏の脳裏には「魏志倭人伝」に登場する「倭人」の姿がすでにちらつかれていることだろう。

 これも別稿(「日本人および日本の誕生」前半部)で述べたことなのであるが、古モンゴロイドの「海人」は黄海領域の朝鮮半島西部や遼東半島まで広がっていた。彼らこそが「魏志倭人伝」中の「倭人」である。「海人」のすべてが南方をめざしたわけではない(ただし、これが直ちに「南島語族」だという保証はない)。筆者が考えるにではあるが、彼らこそ稲作文化を中国江南地方から朝鮮半島西南部経由ルートでニッポンに導いた水先案内人(注)だったのではないだろうか。

(注)このあたりは大変微妙だ。「弥生人」とは新モンゴロイドの「渡来人」だからだ。しかし、鉄器などを除けば、高床式穀倉など弥生稲作文化の諸要素(内容)のほとんどは東南アジアなど南方系由来のものなのである。「稲作プロジェクト」というセットが北方「海人」ルートで朝鮮半島西南部まで運ばれ、そこで「渡来人」に手渡されて、鉄器とともにニッポンにもたられたというのが一応理屈に合う。

 「魏志倭人伝」に書かれている「倭人」の入れ墨の風習は、当然の如くポリネシア人たちの風習でもある。卑弥呼の政治は男王との聖俗二重王権だったと言われるが、今も続く南洋の首長王国トンガでは、かつて聖王と俗王の二重王権制であった。また、王権の末弟相続がトンガの神話に語られていることも、長子相続を否定する山幸彦神話を思い起こさせる。

 わがニッポンへの「海人」要素の侵入は、もはや「侵入」というようなものではなく、基底的なものだと思われる。そもそも、ニッポンの基層である縄文文化とは、東南アジアに発する古モンゴロイドの雑穀・イモ文化(照葉樹林文化)だとも言えるのだから。柳田国男の「海上の道」は稲ではなく、それ以前の餅無し正月や月見のイモを運んできたと思われる。

 さらに、南洋諸族の宗教概念だとされる「マナ」とは、実はニッポンの「モノ」に他ならない(モノとは「憑き」である。「今日は憑いている」とは善の方向で、「狐が憑いている」は悪の方向で使う。もののけ姫、大物主の「モノ」である)。

 ポリネシア人は舟(カヌー)を作るとき、神に祈り、神との共食を行なう。「直会」(なおらい)である。大航海時代のポリネシア人は、星を観測しながら海を渡った。航海が進むと、星空の様子が移り変わる。これを彼らは「登る」とか「降りる」と言ったそうだ。「あま」とは、星空の「天」であり、「海」そのものでもある。「天下り」の原義がここにはある。

 ポリネシア人はなぜ東方を目指したのだろうか。人間とは本来「宗教」的な存在である。アメリカ・インディアンの移動も宗教的な「巡礼」運動であった。ポリネシア人の東方志向は、ニッポン人の「日の出信仰」に似ている。

 折口信夫は「妣が国へ・常世へ」で、東と西のベクトルについて語る。西は「日去(い)にし」「過ぎ去(い)にし」方向、東は「日向かし」の方向とし、西は何かがもたらされる方位、東は新たに向かうべき方位としている。ポリネシア人にとって、夕日は死と戻るべき場所の方位で、朝日は生命、希望、新しい土地の方位であった。私たちニッポン人の太陽信仰とそっくりではないだろうか。ともあれ、ポリネシア人は東方の「常世」を求めて、大航海に漕ぎ出したのだ。

 余話を二つほどして終えたい。一つはサツマイモについてである。サツマイモはポリネシア人の栽培作物だが、もともと南米産なのである。これがポリネシア文明の南米起源説の一因ともなった(コンチキ号のヘイエルダール博士が急先鋒)。今では、ポリネシア人がイースター島まで航海した延長に、南米まで達し、サツマイモを学び取ったということでほぼ決着している(さらにはそのまま定住したのが先住アメリカ人だという説もある)。

 最後に紹介するのは、「ヴァギナ・デンタータ」と呼ばれる神話である。直訳すれば「歯のある女陰」である。ポリネシア神話の英雄神マウイは活躍の後ち、最後はこの歯で噛み殺された。ニッポンではここまで露骨な話はなく、山女が男を誘惑した上で姿を大蛇に変えて男を喰い殺す。さて、この話の解釈はたいへん難しい。しかし詰まるところは、男にとっての女の不可思議性、恐ろしさであろう。思えば、本稿でずっと述べてきた「異人」としての「海人」もすべて女であった。

(終わりに、あるいは言い訳)

[主な典拠文献]
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