村上春樹
むらかみ はるき
97.10.03
「羊をめぐる冒険」講談社文庫
物語が羊の話にうつる瞬間…。羊男が登場するとき…。
ここには確かに文学=ファンタジーがある。眩暈(げんうん、めまい)を感じた。安部公房の「S・カルマ氏の犯罪」、宮沢賢治の童話以来の快感であった。
本書は「青春三部作」とか「羊三部作」とか言われている連作の一つだ。しかし私にはこの「羊をめぐる冒険」は前二作とは異なる本のように思える。村上春樹氏について私はよく知らない。以下は一つの読み取り方として書き記しておく。
物語は前二作と同じように始まる。しかし「羊」の登場とともに物語はテンポを速め、様相を変えていく。もっとも爆破という結末は少し安物の探偵小説みたいで頂けないが。
さて、主人公たちは煙草を吸い、よくビールを飲む。これは何か。何かを待ち、時を過ごす態度、である。あたかも「ゴドー」(あるいは死)を待っているようにだ。
また、独特の饒舌。ほとんど無意味とも思える、対話でありながら独白のような語り。でも、単なるむだ話との差異を感じさせる。なにゆえ語られなければならないのか。何が有意味として残るのか。それは「世間=大人の世界」との差異だ。これが主人公たちの自己主張だ。
彼らには、自分が何か間違った存在だという意識がある。生まれてきたのが何かの間違いではないかという意識だ。だから「ゴドー=本当の審判者」を待っているのだ。「世間」とは関わらない。関わり合うには、特別な〈しるし〉が必要だ。例えば、指がなかったり特別な耳を持っていたりしなければならないのだ。
なるほど、失う物語か。本書を含む三部作は青春の喪失物語として読まれていると聞く。その場合は「日常」こそが舞台なのだ。読者は自分の物語を読んでいる。
私はこの三部作を悲しい物語とは思わない。とりわけ、「羊をめぐる冒険」が転調をしてからは。本書のクライマックスの舞台は、山上の一軒家の別荘に、特別に隔離されたあるいは設(しつら)えられた時空間に置かれている。つまり「非日常」に置かれている。
最初に前二作と異なるといった意味はここにつながる。また、作家村上春樹はここに誕生したのだと私は思う。
97.10.17
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」新潮文庫
見事である。これは文句なしにおもしろい。このおもしろさは何だ。高橋源一郎並み。これが'80年代の文学か?
いつものアフォリズムも健在だが、コントが多くなっているな。
結末についてであるが、最後に「跳ばない」のが彼らしいのかも知れない。
97.11.20
「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」
(河合隼雄 共著) 岩波書店 新潮文庫
98.01.20
「ねじまき鳥クロニカル」新潮文庫
「ねじまき鳥クロニカル」。これは、かつて花田清輝が北一輝を「大ホームランだと思われた大ファール」と喩えたような失敗作ではないか。
著者は名うての物語作者。これまで自分の想像力を恃み、「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の長篇をみごとに結語にまで導いてきた。しかし今度ばかりは霊感もお手上げの処にまで、遠く往ってしまったのではないだろうか。
この作品の後ろには、ユング心理学の大きな影を感じる。井戸がこの作品世界への通路だ。無意識、夢がその世界だ。だから、蒙古国境の間宮中尉の話、生皮剥ぎも、一つの夢だ。
あざはしるし。デミアンのようだ。ねじまき鳥の鳴き声を聴くのもしるしだ。世界の秘密を聴く資格をもつ者の。だからこれは秘儀参入の物語でもあるのだ。
この物語は元型に満ちている。
- しるしをもつ者。受苦する者、ヨブのような。/間宮中尉−ナツメグの父−オカダトオル
- アニマ。処女であり娼婦。/クミコの姉−妻クミコ−加納クレタ−笠原メイ
- 悪あるいは影。絶対的な反対の者。/皮剥ぎボリス−綿谷ノボル
- 媒介する者。予言する者たち。あるいはメルクリウス。/本田さん−ナツメグ−加納マルタ
- ねじまき鳥の鳴き声を聴く者。そして哲学者の石。/猫サワラ−シナモン−コルシカ
- 虐殺される者。/山本−若い兵隊−ナツメグの夫
これは元型による救済物語である。そういう神話、無意識が見た夢なのである。汚れを浄める物語。錬金術の物語ともいえる。死と再生の物語であり、変容と個性化の物語。
しかしながら、物語は終わっていない。ゆえに世界の謎は解けていない。無意識の物語は謎のままだ。
(目次)
第1部 泥棒かささぎ編
1 火曜日のねじまき鳥、六本の指と四つの乳房について
2 満月と日蝕、納屋の中で死んでいく馬たちについて
3 加納マルタの帽子、シャーベット・トーンとアレン・ギンズバーグと十字軍
4 高い塔と深い井戸、あるいはノモンハンを遠く離れて
5 レモンドロッブ中毒、飛べない鳥と涸れた井戸
6 岡田久美子はどのようにして生まれ、綿谷ノボルはどのようにして生まれたか
7 幸福なクリーニング店、そして加納クレタの登場
8 加納クレタの長い話、苦痛についての考察
9 電気の絶対的な不足と暗渠、かつらについての笠原メィの考察
10 マジックタッチ、風呂桶の中の死、形見の配達者
11 間宮中尉の登場、温かい泥の中からやってきたもの、オーデコロン
12 間官中尉の長い話・1
13 間官中尉の長い話・2
第2部 予言する鳥編
1 できるだけ具体的なこと、文学における食欲
2 この章では良いニユースはなにひとつない
3 綿谷ノポル語る、下品な鳥の猿の話
4 失われた恩寵、意識の娼婦
5 遠くの町の風景、永遠の半月、固定された梯子
6 遺産相続、クラゲについての考察、乖離の感覚のようなもの
7 妊娠についての回想と対話、苦痛についての実験的考察
8 欲望の根、208号室の中、壁を通り抜ける
9 井戸と星、梯子はどのようにして消滅したか
10 人間の死と進化についての笠原メイの考察、よそで作られたもの
11 痛みとしての空腹感、クミコの長い手紙、子言する鳥
12 髭を剃っているときに発見したもの、目が覚めたときに発見したこと
13 加納クレタの話の続き
14 加納クレクの新しい出発
15 正しい名前、夏の朝にサラダオイルをかけて焼かれたもの、不正確なメタファー
16 笠原メイの家に起こった唯一の悪いこと、笠原メイのぐにゃぐにゃとした熱源についてにの考察
17 いちばん簡単なこと、洗練されたかたちでの復警、ギターケースの中にあったもの
18 クレタ島からの便り、世界の縁から落ちてしまったもの、良いニユースは小さな声で語られる
第3部 鳥刺し男編
1 笠原メイの視点
2 首吊り屋敷の謎
3 冬のねじまき鳥
4 冬眠から目覚める、もう一枚の名刺、金の無名性
5 真夜中の出来事
6 新しい靴を買う、家に戻ってきたもの
7 よくよく考えればわかるところ
8 ナツメグとシナモン
9 井戸の底で
10 動物園襲撃(あるいは要領の悪い虐殺)
11 それでは次の問題
12 このシャベルは本もののシャベルなのだろうか?
13 Mの秘密の治療
14 待っていた男、振り払うことのできないもの、人は島嶼にあらず
15 シナモンの不思議な手話、音楽の捧げもの
16 ここが行きどまりなのかもしれない
17 世界中の疲弊と重荷、魔法のランプ
18 仮縫い部屋、後継者
19 とんまな雨蛙の娘
20 地下の迷宮、シナモンの二枚の扉
21 ナツメグの話
22 首吊り屋敷の謎2
23 世界中のいろんなクラゲ、変形したもの
24 羊を数える、輪の中心にあるもの
25 信号が赤に変わる、のびてくる長い手
26 損なうもの、熟れた果実
27 三角形の耳、橇の鈴音
28 ねじまき鳥クロニカル#8(あるいは二度目の要領の悪い虐殺)
29 シナモンのミッシング・リンク
30 家なんて信用できたものではない
31 空き家の誕生、乗り換えられた馬
32 加納マルタの尻尾、皮剥ぎポリス
33 消えたバット、帰ってきた『泥棒かささぎ』
34 ほかの人々に想像をさせる仕事
35 危険な場所、テレビの前の人々、虚ろな男
36 螢の光、魔法のとき方、朝に覚まし時計の鳴る世界
37 ただの現実のナイフ、前もって予言されたこと
38 アヒルのヒトたちの話、影と涙
39 二種類の異なったニュース、どこかに消え去ったもの
40 ねじまき鳥クロニカル#17
41 さよなら
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