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田村隆一詩集『死語』

ぼくは夢を見なくなった

夢を見なくなった
夢を見ているのかもしれないが
記憶にのこらない
色彩も型態もない夢があるならば
そんな夢だけしか見ていないのかもしれない

ゴムの手袋をはめながらゆっくりと近づいてくる外科医はどこへ行ったのか
地の果てまで追いかけてくる青いライオン
死んだ男と抱きあったまま
漂流しながら飲んだ金色のウイスキーのかがやき

性的な夢も
不死の夢も
ぼくは見なくなった

いつも地上には雨がふっていて
第一次大戦で生れ
第二次大戦で死んだであろう地上には
いつも雨がふっていて
サイレント映画を見るように見ていた夢も
ぼくは見なくなった

「殺害してからが問題なのです」と
イギリスの犯罪学者が語っている  
死体の始末
これくらい厄介なものはない
殺害そのもの これはいたって簡単だが
死骸の処分ですな
死ぬと重量は倍加する その物質から
血は流れる それに匂いと分泌物
腐敗して ゴムまりのようにふくれあがる
二十キロの重しくらいじゃ
水面に浮びあがってきますよ
土を掘るにしたって
並大抵のことじゃありません
焼く これがいちばん足がつきやすい
灰というものは「永遠」の分子でしてね 燃料を計算したことがありますか
ある将軍などは
たったひとりの男を殺すために
大戦争を仕掛けて死人の山をつくったくらいです

ぼくは夢を見なくなった
あらゆる人間が死骸の始末に困っているうちは
ぼくの夢から色彩も型態も失われて
寝汗さえかかないのだ

おはよう
元気?

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