山城の蝶昔話 第二話
2011年9月24日更新

ギフチョウが乱舞した山里


2011年現在、山城地域のギフチョウは絶滅状態にある。
南山城村では2000年代に入ってからも生き残っていたが、ついに朗報が途絶えたようである。

南山城村が有名になる以前は、山城地域でギフチョウの産地といえば宇治市であった。
ここでは愛好家のギフチョウブームが始まった1980年代にはすでにほとんど見られなくなっていた。
宇治市のギフチョウはいつ頃から知られるようになったのだろうか。
1960年代かもしれないし、もっと古くからだったのかもしれない。
私が初めて採集したのが1973年で、この頃には他にも採集者が少人数ながら訪れていた。
しかし、例え休日でもギフチョウの多産現場に身を置いている時に他の採集者が居合わせたことはなかった。
他の人に採られてしまうとか、所謂チャンバラになるなどという心配はまったくなかった。
当時はギフチョウの産地は京都近辺に多くあり、特に出会うことに苦労するような蝶ではなかった。
あちこち遠方にまで出歩いて多くの産地のものを採り集めるというような風潮もまだなかった。
それぞれの愛蝶家が地元の産地でギフチョウを通して春の訪れを楽しむという接し方をしていたように思う。

宇治市のギフチョウの産地というのは具体的には炭山集落周辺である。
炭山は山あいにあるのどかな所で、1970年代にはあちこちに明るい雑木林があり、
蝶の姿が途絶えた時には、林床に腰掛けて春の陽光に当たりながら出合った採集者と語らうのも楽しいものだった。
炭山に行く方法としては、京都市内方面からだと宇治市木幡付近から府道で東宇治高校の横を通って、
長坂峠を越えるのが一般的だと思う。他に、天ヶ瀬ダム方面から炭山林道を通って入ることもできる。
高速利用だと京滋バイパスの二ノ尾出口から入ることになるが、山道で道が狭くちょっと使いにくい感じだ。

採集地としての炭山は、南は府道木幡二ノ尾線と志津川に沿う炭山林道の合流点付近から
(ここより南側も少しの区間は開けていてナラガシワなどがありゼフの採集に良い)
北は醍醐山に至る「水晶谷」といわれる暗い谷間に入る直前までの区間と考えてよい。

このたび久し振りに炭山を訪れ、かつてのギフチョウの生息地を見てきたので画像と共に紹介する。
南から順に辿ってみると・・・

炭山集落の南の端で志津川の渓流に沿った炭山林道と府道木幡二ノ尾線が出会う。
ここで炭山集落の方へ入らず、府道を東に進むと笠取第二小学校を経て二ノ尾に至る。

少し二ノ尾方面に進んだところに、1970年代には確か「土と炎の会館」という陶芸関係の大きな建物があり、
休日には多くの人々で賑わっていた。会館は府道の北側にあり、府道の南側は雑木林になっていた。
このあたりの府道沿いに立っていると、雑木林側から次々にギフチョウが湧き出すように飛んできた。
府道を走ってギフチョウを追いかけていると、会館にいる人々がこちらを注目しているような気がして採集に集中できず、
その気恥ずかしさに耐えられずすぐに別の場所に移動したりしていた。これは1970年代半ば頃のことである。
私はまだ少年といっていい歳だったので、この施設は大きく晴れがましく感じられ、とにかく近寄り難いものだった。
今ではその会館は跡形もなくなり、建設会社の作業場などになっており、当時の風景は想像すらできない。

土と炎の会館跡地
府道の北側。1970年代に「土と炎の会館」?があった場所。今は別の場所のような風景になっている。(2011年9月)

土と炎の会館跡地
府道の南側。1970年代当時と大きくは変わらないが、ここからギフチョウが飛び出してきたことが今では夢のよう・・・(2011年9月)

炭山集落に戻って北進すると、集落内に入る旧道が府道から分岐する。
ここから府道は長坂峠への登り道になるが、府道に沿って南側はちょっとした谷になっていて、
何とか車が入れる程度の地道が数百m谷沿いに伸びていた。この道沿いでギフチョウが多く見られた。
この道は行き止まりになっていて、終点には寺のような人家のような新しい和風の建物があった。
谷間にはミヤコアオイがびっしり生えており、ギフチョウの多産を約束していた。これも1970年代のことである。
そして、この道の入り口付近のスミレに訪花した数頭のギフチョウとの出会いが、炭山でのギフチョウとの最後の出会いになった。
これが1980年4月のことであった。
その後この谷間は随分いじられたようで、峠近くには高校の体育館が出来たりして、すっかり様子が変わってしまった。
国土地理院の地形図を見てもわかる通り、現在は谷間と言えるような状態ではなくなっている。
また道の入口はフェンスで封鎖されていて入れないし、道そのものも荒れ果てて消滅しているようだ。
勿論奥にあった建物もなくなっているか廃屋になっているのだと思う。

長坂峠沿いの谷間道入り口
谷間に入る道の入口。荒れ放題で昔の面影はない。炭山でのギフチョウとの最後の出会いの場所。(2011年9月)

上記の2つの場所はラベル的には完全に「宇治市炭山」となり、いわば炭山集落の中心部の生息地である。
ここからさらに集落を北へ進むと、笠取方面に向かう谷山林道が分岐する。
このあたりから北は地図によっては「上炭山」と表記される場所である。
「上炭山」はギフチョウ以外の蝶にとっても良い生息地で、ナラガシワをまじえた明るい雑木林があちこにあった。
今ではどこに雑木林があったのかもわからないくらいに人家が建ち並んでいる。

上炭山の中心部
こんなに家が増えるとは想像もできなかった。(2011年9月)

上の画像の川を左側に渡ったあたりは耕作地になっていてすぐに雑木林にぶつかった。
雑木林の脇にあった桃の花に来ていたギフチョウが私にとって初めてのギフチョウとの出会いになった。
これが1973年4月のことである。
私はこの場所を始め、谷山林道の入口より北側で採れたギフチョウには「上炭山」のラベルをつけていた。
今では、川を渡って舗装道路が伸び、かつて山であったところも開かれて住宅地になっており「別の場所」になってしまった。

初めてのギフチョウとの出会いの場所
グレーの車がある付近に桃の花がありギフチョウが訪れていた。当時の風景とは全く異なる。(2011年9月)

ギフチョウに関しては、供水峠を越えて伏見区日野に抜ける小道の入口付近の雑木林内が個体数の多い場所だった。
林床にはミヤコアオイが沢山あり、夏にはクロヒカゲモドキも見られる素晴らしい雑木林だったのだが・・・。
現在では入口周辺に人家や作業所の建物が建ってしまい、雑木林は消滅している。

供水峠への登り口
供水峠への登り口。雑木林は伐り払われギフチョウの楽園は消滅していた。(2011年9月)

ここから少し北に進んだあたりに、右手に入る雑木林に沿った小道があり、すぐに行き止まりになっていた。
ここも狭いながらもギフチョウが湧くように現れる場所で必ず立ち寄ることにしていた。
現在は暗い道になっており、行き止まりの場所には建物が出来ていた。

炭山最北の多産地
当時炭山で最も北に位置するギフチョウ生息地と認識していた場所。(2011年9月)

以上のようにあまりにも変化が激しく、行けば悲しくなるので、最近では他の蝶の季節にも足が遠のいてしまいがちである。
炭山からひと山越えると東側の山間部には二ノ尾、西笠取、東笠取といった場所があり、こちらは炭山ほど環境が変わっていない。
炭山より環境的に大味な印象があり探索しにくいが、ギフチョウのみならずクロヒカゲモドキなども有望である。


左:雄(採集地 宇治市)、右:雌(採集地 同左)(表示倍率は異なります)
宇治市炭山のギフチョウ。いずれも、府条例による天然記念物登録(昭和59年)以前の古い標本です。

山城の蝶昔話 第一話