20180227 太子道

大和古道、今日は太子道を走ってみます。

スタートは屏風の杵築神社。年に1回くらいの割で境内の掃除当番が回ってくるという地元の神社です。祭神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)、八岐大蛇退治で有名な神様ですが、八岐大蛇とは暴れ川のことでそれを鎮めた神様ということで治水の神様でもあるようです。

聖徳太子がこの地区で接待を受けたとの説話を絵馬にしたものが拝殿内に奉納されています。ちなみに接待の際に風よけに屏風を立てたというのが、この地区の地名「屏風」の云われだとか。いつのまにか絵馬に立派な額装がされていました。右は江戸末期に奉納された「おかげ参り絵馬」

杵築神社の向かい側には白山神社があります。白山神社は水利の神様になります。境内に、先程の聖徳太子絵馬で、聖徳太子が腰をかけたと伝わるの「腰掛石」があります。

聖徳太子像もあります。馬の名は黒駒、たづなを曳いているのは従者の調子麿

北に進んで左手に古墳が見えたので、ちょっと寄り道、島の山古墳です。考古学上の重要な古墳のひとつになります。

北進して田圃の中を太子道が延びていきますが、お地蔵さんがありました。油掛地蔵と言うそうです。このお地蔵さんに油をかけてお祈りしたら子供のでき物が治ったという逸話があり、また、水害の多い地域なので、油をかけて水をはじくようにということで油掛地蔵だとか。

大和川の土手近くまで来ました。ここにも杵築神社。そして大和川を渡って安堵町、ここにも杵築神社がありました。祭神は素戔嗚尊、治水の神様です 

安堵町の町中に入って、飽波神社(あくなみじんじゃ)です。鳥居には安久波神社とあります。聖徳太子に関係の深い神社のようです。祭神はここでも素戔嗚尊でした。

この神社にも「聖徳太子の腰掛石」がありました。手に持っているのは十七条の憲法のようです。

多分、下のの聖徳太子像の画が参考になっていると思います。画の両側の人物は山背大兄王と殖栗王といわれています

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富雄川沿いに出て、上の宮遺跡公園です。上の宮遺跡は聖徳太子が晩年を過ごした飽波宮である蓋然性が非常に高いとか

上の宮遺跡公園の近くで、こんな看板を発見。最初の白山神社にあった銅像の従者「調子麿」と愛馬「黒駒」が葬られたと伝わる古墳があるそうです。

左が、従者「調子麿」の墓との伝承がある調子塚古墳。右が、愛馬「黒駒」の墓との伝承がある駒塚古墳、国道25号線のすぐ横にありました

法隆寺に到着、夢殿をバックに                             南大門です

今日は西円堂を訪ねました

西円堂の本尊は薬師如来、法隆寺でも一番高い場所に位置しているということで「峰の薬師」とよばれているそうです。

法隆寺西円堂  法骼寞ォ内の西北隅にある八角堂で、建長二年(鎌倉時代中期)の建立になる ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

乾漆薬師如来坐像(西円堂安置)(法隆寺) 西円堂の本尊。唐招提寺の盧舎那仏と並ぶ脱活乾漆造の巨像で、見開いた目や豊かな肉付けに特色がある。千仏と七仏薬師をあらわす光背は鎌倉時代のものだが、八角形の装飾性豊かな裳懸座は当初のものを伝える ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

 

西円堂の隣りに鐘楼があります。正岡子規が「柿食えば鐘がなるなり法隆寺」と詠んだ鐘になります。今でも時鐘として毎日2時間おきに鐘を撞かれているそうです。今の鐘は昭和になって作り直した鐘だそうで、厳密には正岡子規はこの鐘の音は聞いていないことになります。

    https://youtu.be/RKy8-jafRV0

ゴールは聖霊院です。聖徳太子をまつる仏堂ですのでお参りしました。ご朱印も頂きました。以前「以和為貴」(十七条憲法の第一条)の朱印は貰っていたので、今回は第二条の「篤敬三寶」(篤く三宝を敬う)です。三宝とは仏・法・僧のこと

 

聖霊院の中は外陣と内陣に区切られており、通常の参拝は外陣から行います。内陣には厨子が三つ並んでいますがその扉は閉じられています。秘仏ということなのですが、外陣に御開帳された時の写真が掲示されていますので、なんだか拝観させてもらった気になります。

正面の厨子に太子像、平安時代、聖徳太子の500回忌に際し作られたとのこと。摂政時代のお姿を表しているそうです。向かって右側の厨子には、太子に仏教を教えた恵慈法師像と太子の兄弟の卒末呂王像。向かって左側の厨子には、太子の息子の山背大兄王像と太子の兄弟の殖栗王像が安置されています。これら五体の木造は一括で国宝指定されています。

       

木造聖徳太子及び侍者(山背王・殖栗王・卒末呂王・恵慈法師)坐像 5躯(聖霊院安置)(法隆寺) 45歳の太子が勝鬘経を講じた時の姿で、4人の侍者を随える。保安2年(1121)、聖霊院再興の時に新造された。秘仏であるため截金を交えた彩色文様がよく残る。まなじりを上げた太子の表情は緊張感があり、大づかみながら洗練された作風を示す ウィキペディア 

法隆寺の国宝建築

 

五重塔と金堂が見えました

 

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