20180412 池大雅展

京都国宝巡り、まず国立博物館「池大雅展」で国宝絵画を鑑賞

国宝「十便十宜図」

     

十便図 池大雅筆 (川端康成記念会 紙本淡彩 ) 『十便十宜』(じゅうべんじゅうぎ)は、清の劇作家李漁(李笠翁)が、別荘伊園での生活をうたった詩。十便帖「十の便利」を絵画化したもの。 川端康成記念会
十宜図 与謝蕪村筆 (川端康成記念会 紙本淡彩) 『十便十宜』(じゅうべんじゅうぎ)は、清の劇作家李漁(李笠翁)が、別荘伊園での生活をうたった詩。十宜帖は自然が四季や時間、天候によって移り変わるそれぞれの「十の宜いこと」を絵画化したもの。 川端康成記念会

国宝「楼閣山水図屏風」

  

楼閣山水図 池大雅筆 (東京国立博物館 紙本金地著色 六曲一双 江戸時代) 文人画家池大雅(1723−1776)が40代前半に制作した大作である。清時代初期の邵振先(しようしんせん)が描いた『張環翁祝寿画冊(ちょうかんおうしゅくじゅがさつ)』という小画帖中の2図が原図になっている。もと、一橋徳川家に伝来した。 東京国立博物館

国宝「山水人物図襖」

山水人物図 池大雅筆 (遍照光院 紙本淡彩 10面 江戸時代) 江戸期の制作になるものとしては高野山で唯一の国宝指定

高野山霊宝館

 

蓮花王院(三十三間堂)

京都国立博物館のお向かいは 蓮花王院(三十三間堂)、国宝になる千手観音の千体仏を拝観しました

新たに国宝指定された千体仏「千手千眼観世音菩薩立像」

もともと国宝だった「千手観音坐像」「風神・雷神像」、吉祥天像などの「二十八部衆立像」

蓮華王院本堂(三十三間堂) 京都府(所有者:妙法院) 正式名は、蓮華王院で、その本堂が「三十三間堂」と通称されます。これは、東面して、南北にのびるお堂内陣の柱間が33もあるという建築的な特徴によります。「三十三」という数は、観音菩薩の変化身三十三身にもとづく数を表しています ウィキペディア_
木造千手観音坐像(湛慶作 蓮華王院本堂安置)(妙法院) 本像は保存状態がよく、後世に補作されることの多い台座、光背、天蓋も、本像の場合は当初のものが残っている。光背は宝相華文透彫の上に、観音三十三応現身を表したものである。三十三応現身とは、法華経観世音菩薩普門品に説くもので、観音が衆生救済のために33種の姿に変じて現れる姿をいう ウィキペディア_
木造風神・雷神像(所在蓮華王院本堂)(妙法院) 鎌倉復興期の作。堂内左右端に安置。風袋と太鼓をそれぞれ持った風神・雷神像の姿をユーモラスに表したこれらの像は、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』のモデルになったともいわれる。日本における風神雷神の彫像としては三十三間堂像が最古のものである ウィキペディア_
木造二十八部衆立像(所在蓮華王院本堂)(妙法院) 二十八部衆は、千手観音の眷属であり、千手観音を信仰する者を守護するとされている。像は本来は本尊像の両脇を取り囲む群像として安置されていたものであるが、近代になって堂の西裏の廊下に一列に安置されるようになり、20世紀末に現在のように千体仏の前面に配置されるようになった ウィキペディア_
木造千手観音立像(蓮華王院本堂安置) 一千一体 三十三間堂の通称で知られる蓮華王院本堂に安置される千手観音の大群像。 れんげおういんほんどう 長寛2年(1164)創建時のものが124.のこり,残りは室町時代の補作1 ちょうかんく .を除きすべて鎌倉時代の再建時の製作である。王朝文化の華やかさと,壮大な 規模を伝える記念碑的作例であるこの群像を,45年に及ぶ保存修理が終了した のを契機として国宝に指定する。(平安時代・鎌倉時代) H30文化財答申

国宝「妙法院 庫裏」

妙法院の前を通ったら境内に普通に入れるみたい。入ってみたら、目の前に国宝建築物の「庫裏」がありました

妙法院庫裏 妙法院庫裏は秀吉が方広寺大仏殿の千僧供養を行ったときの遺構と伝えているが、建立年代は明らかでない。 内部小屋組のすぐれた構架その他の意匠に桃山時代の宏壯な気風をよくあらわしている ウィキペディア

 

東本願寺

京都タワーを目標に歩いていたら東本願寺、我が家もお東さんなんでちょっとお参り

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