本を作る

基本的には作者が原稿を書き、印刷所で印刷製本すれば完成を見ます。
会報や報告書の類ならこれで十分です。一応は本のかたちになっているからです。
が、これがはたして出版といえるかというと疑問です。
これらは、一度目を通せば用が済み再読されることもなく放置される。
それはそれでかまわないのですが、これが自分史となるとそう簡単に済ませてしまうわけにはいきません。
なぜなら、自分史は後世まで永く読みつづけられることを前提としているからです。
当編集室では開業以来、国会図書館・地域図書館納本制をとっております。
自分史に対するわたしのこだわりです。
また、出版された著作は、「山の辺書房」のホームページに掲載すると共に、「データベース日本書籍総目録」へも配信します。


たくさんのメールをお寄せいただきありがとうございます。
拝見しますと、皆様共通しておりますことは、一度きりの人生だから
何か「生きたあかし」を後世に残しておきたい、というお考えのようです。
ですが、
いざ書こうとするが、なかなか思うようにいかないということです。
ごもっともと思います。殆どの皆様は、これまでの人生で体験したことのない
まったく未知の分野に足を踏み入れるわけですからね。
しかし、
未知の世界だからこそ心ときめくということもあります。

それで、
「なんとかしたい」とお考えの方には、次のような方法はいかがでしょうか。
1.ご自身の人生年表をお作りになられてはどうでしょう
2.決して原稿用紙は使わず、メモ用紙かチラシの裏などに、お孫さんにお話しする
ような気持ちで気軽に書いてみましょう。
3.自叙伝を書くんだという考えじゃなく、ただ過去の情景を思いつくまま書いてみましょう。
4.この作業を続けているうち、ふと気づくと、何かが見えてくるものです。
5.わたしの著作「書き方ガイド」も無料でお渡ししておりますので、FAXでお知らせください。
さらに、確信がもてるようになると思います。

自分史について

いきなり原稿執筆となると大変です。そこでまず、ご相談ということから始めます。
本を作る・出版というと、お金がかかるというのが一般的ですが、簡単な体裁のものであればそうでないのです。
出張取材、原稿代筆は致しますが、費用その他の面を考えますと、まずはご自身でお書きになることをおすすめします。
そのあと、お原稿を拝見し、当方でリライト、編集(挿絵)などの手を加えさせていただきます。

執筆の部屋

真っ白な原稿用紙と対峙して、そこに人生ドラマを作り出す。
「えーと、j書きだしは……」
原稿用紙のマス目がだんだん大きくなる。紙の白さがますます気になってくる。
ああでもない、こうでもない……。
一日経つ、二日経つ、三日経ってなお書けない。あ~あと、いつの間にか机の前から居なくなる。俗にいうところの三日坊主。
これはわたしが勝手に想像したのではない。永年お客様の相談をしてきて殆どの方からお聞きした体験談だ。
原稿用紙に向かった途端、神がかりしたようにスラスラと、なんていうのはプロ作家。
では、どうすればいいのか。答えは“お気軽に・お気軽に”の一言に尽きる。
文房具屋さんでわざわざ原稿用紙など買う必要はない。紙切れ、そう、折込みチラシの裏を利用すればよい。
メモをとる感覚で気楽に書いてみる。勿論、最終的には正規の原稿用紙に書き写すことは当然のことですが、この時点ですでに何らかの文章ができているので、原稿用紙と対峙しても“恐怖感?”がなくなる。


「おじいちゃん、お話書いて」と、今朝配達された新聞の折込みチラシを持ってくる孫。「何を書くんだ」
「おじいちゃんが泳げるようになったときのこと」
「そうか、よしよし」
『おじいちゃんが子供のころ泳いだ川の岸にはな、大きな柿の木があってな、
その葉っぱを口にくわえてエイヤって川の中に飛び込んでな…』
「どうして葉っぱをくわえるの?」
『葉っぱをくわえて足から飛び込んだら、うまい具合に鼻をふさいでくれるんで、
鼻に水が入らんからね』
初めて聞くことに興味津々の孫。
子供のころの情景描写、ほんの一こま。
完璧ではないが、想像がふくらむ。
極端ないいかたかもしれないが、これが自分史のはじまりです。
たったこれだけのことですが、この情景を原稿用紙に書くとなるとそう簡単ではない。一言一句考えてしまう。
それで結局音を上げることになる。
要は、気楽にだ。
手紙を書くにしても難儀している方が多い。書き出しに苦労する。失礼のないように、時候の挨拶は……う~ん。
結局手紙をやめて電話にしたりする。
文章を書くには第一心得として決して構えないことだ。夏だったら「今スーパーでスイカ買ってきたの、今年は安いわよ」と、こんな書き出しでOKだ。その後の文句もスラスラ浮かんでくる。
貰った人も、杓子定規な文句の羅列よりこのほうが数倍楽しいはず。
こんな事書いたら、あんな事書いたら…。
常識という檻の中に閉じ込められている生活。これでは読者を感動させるものは生まれない。
要は、裸のままの、体の芯からこみ上げてくる感情の文字表現だ。
これがノンフィクションの醍醐味であるのですから。
ただ一つ、自分史で最も心得なければならないことは『自慢話』は禁物だということ。

校正という名の設計図
家を作るには設計図が欠かせない。
文章においては構成だ。これが重要。構成が不完全だと折角書き上げても第三者には作者の考えは理解できない。
では、どうするか。
こんな方法はいかがでしょう…今流行のユニット工法の住宅を思い浮かべてください。
古来の建築のように建物全体を一貫して作り上げるのではなく、家屋を幾つものパーツに分けておき、好みに応じていかようにも組替えができる仕組みのものです。
この方法を自分史制作に適用します。
まず、過去をふりかえり、ここは外せないというものを探し取り出して、例えば「満州の冬」などと気に入ったタイトルをつけます。
更に、「地獄の捕虜生活」という風に次々にユニットを作っていく。
こうして細分化された人生の一こまに意識を集中して気楽に書きまくる。
パーツごとに短編ができるわけで、これらを推敲し年代順に組み合わせることで立派な自分史が完成する。


文章に酔う
リラックスしてお書きいただいて大変結構なわけですが、気楽さゆえについつい陥ってしまう落とし穴があります。
それは“文章に酔う”という現象。つまり、一生懸命書いているうち自分の表現に陶酔してしまう。これが困る。
書く人は内容を熟知しているので完璧と思い込んでいるが、果たして予備知識のない第三者が読んだとき作者の思いを理解してくれるだろうか。
会話では質問すればよいが、文章には質問できない。
読者は無駄な労力は嫌いだ。結果、読みつづけることを放棄する。


そこで、酔い覚ましの方法
「キャッチボールをしましょう」
文章の基本は主語と述語。
ピッチャーが投げてキャッチャーが受ける。
どのような記述においてもこのルールはゼッタイだ。
書き出し→途中いろんな修飾→やがて、カーブになったりドロップになってバシッと捕手のミットに納まる。
生原稿でこの関係ができていないものが多い。
書き出しはいいのに、その後投げたボールが何処かへ飛んでいって探すのに苦労する。
果たして、相当の時間経過をみてひょっこりミットにたどりつく。
これではあまりにも道草が過ぎたため理解できない。
作者の心得として、一旦ボールを投げたら必要最小限の道草にとどめて速やかに捕手のミットに飛び込むこと。


文章ダイエット
「書きたいことがいっぱいある」
「あれもこれも全部書きたい」
非常に結構なことですが、そのまま実践するとメリハリがなくなる。
最初は、気楽に筆にまかせて書きまくることは必要ですが、そうすると脂肪が付きすぎて肥満状態。
……さてどうするか。
文章のダイエット=推敲。
この推敲という作業によって余分な脂肪・贅肉をそぎ落とす。
読ませてもらった生原稿には殆どこの推敲が見えないのです。
欲張りなのか、いっぱい装飾品をぶら下げている。で、読者には裸の主人公が見えない。
有名作家の原稿を雑誌で見たことがある。それは、原稿用紙が推敲で真っ黒だったと記憶している。
私は原稿を書くという作業は「書くことが三割で、推敲が七割」と見ている。

仕上げの部屋

3通りの原稿
原稿作りには次の3通りがあります。
①そのまま原稿
②リライト
③ゴーストライター
以下、順を追ってご説明します。(注:出版を前提とする場合)
①そのまま原稿
 著作権者(ご本人)がお書きになった原稿をそのままオペレーターが組版し仮製本する。ただし、当編集室において編集の手を加えます。……(無料)
②リライト
 これには(イ)(ロ)の2通りがあります。
(イ)著作権者(ご本人)がお書きになった原稿を著者と編集者が検討する。結果、リライト(書き直し)が必要ということで両者が合意した場合は、著作権者がご自身の手で書き直しするもの。……(助言・検討は無料)
(ロ)リライトが必要だという結論に達した場合、編集者が作者に代わって執筆するもの。……(代行リライトは有料)
③ゴーストライター
 編集者(ゴーストライター)が著作権者の意を把握し取材・調査を重ね全面的に書きあげるもの。……(有料)

校正の部屋

現行の流れとして…前述のいずれかを経て組版オペレーターの手によりゲラ刷りの仮製本ができます。
これで一応本の“かたち”が完成するわけですが、ここからが出版の正念場です。
これは“校正作業”という難関を突破しなければならないからです。


責任校正と編集者校正
校正には、責任校正と編集者校正があります。自費出版の場合原則として「著作権者責任校正」となります。
だからといって、編集者がなにもしないというわけではなく十分努力はします。しかし、編集者はプロの校正技能士ではありません。最終校了責任者は著作権者であり、編集者は校正アシスタントとお考えください。
実際、校正ミスによるトラブルが多々あります。その原因は安易な口約束です。
「著者→印刷所→完成」
このようなかたちでの本作りが大方です。これでは“出版”ではなく、ただ単に文章を書いて印刷し、綴じ合わせ、表紙を貼り付け「本の格好」を作っただけです。肝心の編集の手が欠落。
契約もその殆どが口約束。結果、責任のなすりあい。


当編集室では、出版(制作)契約書を作ります。
このなかから「校正」の条文を抜粋しておきます。
《出版契約約款》
第4条 〈内容及び校正の責任〉
    2.本著作物の内容及び校正は甲(著作権者)の責任とする。
約款第4条の1.著作物出版後の校正ミスによる誤植は甲の責任として処する。
          誤植によって受ける読者の印象は、まずなによりも著者に向けられる。著作内容は対外的には著作者の責任であることから、最終段階の校正には細心の注意をはらう必要がある。

添削の部屋

原稿を見せたからには、出版しなければならないのでは…(ご心配無用に願います)
わたしは、永年この仕事をやってきました。
例えば10人の方から相談を受けたとします。なかで、最終的に出版された方は3人というのが現実です。

本を作るには相当のお金がかかります。同時に、場合によっては広く世間に作者の人生をさらけ出すことでもあります。
人生の大事業です。それ故、完成したときの喜びは一入であるわけですが。
「書くことが好きで色々書き留めてきた。編集者に見てもらった」…この時点で満足される方も多い。そんな方のために、原稿添削しております。原稿は、400字詰原稿用紙にていねいに書くか、ワープロの場合は1枚400字に計算して下さい。


お原稿添削料(原稿持込時にお支払い下さい)
(ただし、俳句・短歌・川柳・詩・沿革史などは除きます。)
400字詰原稿用紙対象
○ 01~05枚……2.000円
○ 06~10枚……3.000円
○ 11~15枚……4.000円
○ 16~20枚……5.000円
○ 21~30枚……6.000円
○ 31~40枚……9.000円
○ 41~50枚……11.000円
(注:50枚以上は、10枚ごとに2.000増)

自分史相談

過去新聞連載した相談例をあげてみます。
○「なんとしても自分の本を作りたい。この世からオサラバしても書いたものは残る。子、孫が読んでくれる。
一生懸命生きてきた人生を確かめる意味で書いてみたい」また、ご自身のことでなく「祖父母の事を」など、相当の決意をお持ちのようです。
ところがいざ実行となると“執筆”という難関にぶち当たり、当初のご決意が鈍ってしまうという。
これは当然のことで、余程書きなれた人でも書くことにはかなりの努力が必要だ。
現代は、なんでもありで、その生活も受動的、ただ、テレビを見ているだけでいろんな情報が勝手に飛び込んでくる。そんな環境の中で、全能動的な書くという作業は実に大変だ。

○「書きたいことがいっぱいだが、どうしたらいいか」とおっしゃる。
そこで、ご本人が書きたいと思っていることを話してもらい暫くお聞きする。雄弁だ。
「今のお話そのまま速記するような調子で書いてみてはどうですか」というと、
「こんなもん、文章になりませんやろ」
と、とりあわない。
話すことと、それを文章として表すことは同一ではないことは私も承知しているが、だからといって話し言葉をそのまま走り書きしたのでは文章にならないという根拠はどこにもないのであって、むしろ下手にひねくりまわしたものより心打つ場合が多い。つまりは、描写に勢いが生まれるからだ。
このことは、原稿用紙と悪戦苦闘し、ついには精魂尽きて筆を投げてしまうことを考えるとどれほど素晴らしいか分からない。
結論として、文章を特別視しないことだ。
わたしの場合、はじめから原稿用紙やワープロ画面と対峙しない。まずはメモと7Bのデッサン用鉛筆を用意。外出時はポケットに、夜は枕もとにという風にいつも身のまわりに用意しておく。そうすることで、いいアイデアがいつ飛び出してきても大丈夫。
力まず気楽に、漢字が面倒ならカナで書きまくる。一通り書いた後読んでみる。なかなかの文章になっていることに気づくはずです。
細部の修正(推敲)はそのあとですればよい。




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