山の辺の道へは、ふつう近鉄、JR桜井駅から始まる。駅の北出口をとおり、さて、どの方向か?と
迷うのがおおかたでしょう。いろとりどりのモニュメントと 一見は整備された駅前からは、古代、
ましてや古代文化を感じることは難しいでしょう。なにはともあれ、東へと道をとりましょう。
JR桜井線の踏切を越えることもあるでしょう。車が通れないような道を進むこともあるでしょう。
しかし、10分ほど歩いて県立桜井高校のあたりにくれば間違いはありません。このあたりで進路を
北へと変えましょう。このあたりには、貯木場(ちょぼくじょう)と呼ばれる材木を集積した広場が
ひろがっています。古くは吉野の材を集め、今や世界各地の巨木をも集め、うずたかく積み上げてい
ます。貯木場や製材所の間を通り、北へと向かえば、5,6分で初瀬川と遭遇します。目に飛び込ん
でくる風景が「山の辺」に変わってくるのはこのあたりからです。
川の向こうには三輪山がなだらかな円錐形の姿を現します。1998年の台風で少し禿げ山のよう
になってはいますが、なかなかのもの。西の方、左手には二上山、金剛山が遠くに望めます。
左手、東の方には、長谷のなだらかな山々が、少し南側には、鳥見山、音羽山を眺めることもできる
でしょう。 そう このあたりは、初瀬川が大和の国原へ出るあたり、そのかみに海石榴市
(つばいち)のたったところです。第10代崇神天皇、第29代欽明天皇の皇居のあったあたりでも
あります。初瀬川にかかる橋―大向寺橋―からの眺め、特に朝夕のながめはすばらしいものがあり
ます。眺めのすばらしさというより、それは、人を包み込む雰囲気のすばらしさといった方がいい
かもしれません。あしたには、朝靄、ゆうべには、夕焼けが、あたりを包み込みます。千数百年前、
遠くちぬの海(大阪湾)から、中国、朝鮮の文物、人、思想・文化が川の流れに逆らって、ここに
伝えられました。 この橋の北詰めには、万葉歌碑があるので、ご注目を。
夕さらず 河蝦鳴くなる 三輪川の 清き瀬の音を 聞かくし良しも
と万葉集にうたわれた風景の名残は、空中にこそあります。 白日の下にさらせば、表面的には、
整備された川岸、そして、流れを寸断され、水たまりの連続となった初瀬川があります。 ほんの
30年ほど前まで子どもであった私たちが泳げるほどであった初瀬川が、沈んだ芥に占領されてい
ます。遙か上流の長谷の森・自然の荒廃が案じられます。 この歌の歌碑は、大向寺橋のひとつ
上流にある馬井手橋(うまいでばし)の北詰にあります。また、この横には、近年建てられた
「仏教伝来の地」なる妙に大きな石碑もあります。