牛頭天王とスサノオT
牛頭天王の神話

日本の三大祭りの一つとして有名な京都の祇園祭。この祭りは京都だけではなく日本各地で大小さまざまな形で数執り行われており、一般に「夏祭り」という場合は、祇園祭の系統の祭りをいうケースが多々あります。この祇園祭の主役が牛頭天王と呼ばれる神格です。が、「祇園祭」の名は知られていても牛頭天王の知名度は高いとはいい難いものがあります。

牛頭天王については備後国風土記逸文(奈良時代初期)に記述される、概略で次のような説話があります。

北海の武塔神が南海の龍王の所へ妻問い出かけようとして、その道中、日が暮れたため宿を請うことにしました。裕福な巨旦将来(コタンショウライ)のもとを訪れたものの、巨旦将来は武塔神をぞんざいに扱い泊めることをしませんでした。次に武塔神が、巨旦将来の兄蘇民将来(ソミンショウライ)の家を訪れたところ、蘇民将来は貧しいながら精一杯のもてなしをしました。武塔神はそのもてなしに感服し、次の日に旅立ちました。

時が経ち、龍王の娘を娶った武塔神は八柱の御子神(八王子神)を伴い、蘇民将来の前に『以前のもてなしに報いよう』として再び現れました。蘇民将来の家族に『茅の輪を腰に着けよ』と指示した後、巨旦将来の一族をことごとく滅ぼしました。武塔神は蘇民将来に『我はスサノオ神である。』と正体を明かし、後に疫病が流行った時は茅の輪を着けていれば難を避けられると教えました。

信仰上、この武塔神(もしくは武塔神の子)が牛頭天王であると、つまりスサノオが牛頭天王であるとされています。



説話は様々なバリエーションが伝えられており、スサノオに仮託される場合は、スサノオが高天原を追放された時に蘇民将来の住まいを訪ねたというものがあります。

陰陽道の聖典「金烏玉兎集」に載る説話は非常にダイナミックです。牛頭天王の襲来に対し「コタン大王(巨旦将来→コタン大王に格上げされています)」が千人の僧侶を集めその読経の力によって牛頭天王を退けようと呪術バトルを挑む筋立てになっています。勝敗は、読経の隙を突いた牛頭天王の勝ちとなります。

備後国風土記逸文の説話はスサノオや神道との関係が深い説話ですが、登場する人物がソミンショウライ・コタンショウライ・ムトウ神など異国的な名前であることから、その起源は大陸に由来すると見る説があるのは妥当なところでしょう。その場合、武塔神が蘇民将来に『我はスサノオ神である。』と語った部分は後世の付け足しである可能性が大きく指摘されています。

また、夏越祓などで寺社にて執り行われる「茅の輪くぐり」の起源は、この説話によって解説されることが多々あります。が、夏越祓と茅の輪くぐりの結びつきについては今の所確認していません。
●神仏分離令●
画像クリックで拡大します

明治期の太政官布告の神仏分離令のイメージ画像です。
奈良町からやや東にある某資料館にそのレプリカが展示されていますが、
前年ながらネット上へのアップのための撮影は許可されませんでした。
そこで、それを筆写してから不明瞭な文字を別資料で補填、
Word行書体で縦書き入力のうえ画像化したものが上記神仏分離令画像です。
半角スペースや誤字脱字は本稿筆者の責によるものです。


牛頭天王は長い間日本神話のスサノオと習合されてきましたが、本来の牛頭天王はスサノオとは関係のないインド祇園精舎(釈迦が仏法を説いたという施設)の守護神、仏教で信仰されるべき尊格と考えられています。その神格は除疫神すなわち病をもたらし、また、正しく祀ることによって病を封じる力を持つ神であるとされています。

もっとも、仏教の本家インドでは牛頭天王という神そのものは信仰されておらず、何らかのインドの神が原型であると考えられています。また、神仏習合的に考えるなら、牛頭天王は本地が薬師如来とされ、さらに牛頭天王の垂迹神がスサノオであるというように複合した神格となっています。牛頭天王の除疫神としての性格や、竜王の娘を娶って8人の御子神をもうけたという伝承があることなどから、スサノオとの同一視(スサノオの子は八柱御子神と呼ばれるので)が進んだと考えられています。



奈良時代には牛頭天王とスサノオの習合は成されておらず、平安から室町時代にスサノオと習合したその信仰(祇園信仰)が全国に広がったといいます。そして牛頭天王社の祭神が牛頭天王からスサノオに変更されたのは、ほとんどが明治期の神仏分離の時でした。この時期に牛頭天王への祭祀の多くは廃され、集合されていたスサノオが前面に出されてきました。

牛頭天王の造形としては、人間形態の頭部左右に2本の角を生やした像や頭頂に牛の頭を頂いた多面の憤怒像などがあります。仏教の尊像でいう明王や諸天に似た戦う神の力強さを表現するケースが多いように見受けられますが、それをスサノオと見るにはやや違うような気がします。1例を、松尾神社(京都府木津川市)の牛頭天王像に見てみましょう。
●松尾神社所蔵 牛頭天王像●
木津川市:山城郷土資料館に寄託


京都府立山城郷土資料館に寄託されている
松尾神社(京都府山城町)所蔵の牛頭天王像です。
この画像、は山城郷土資料館に申請の上、
展示風景をウェブサイトに掲載することのみの用途にて
撮影の許可を頂いております。
従って、真に勝手ながら、
画像のダウンロード保存や2次3次利用については
ご遠慮下さいますよう強くお願い致します。





牛頭天王とスサノオU
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