奈良県高市郡高取町清水谷

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祭 神
高皇産霊神
瀬織津姫命
倭大物主櫛甕玉命
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高生神社はたかぶじんじゃと読みます。
神域には2棟の本殿と1本の神木が並びます。本殿のうち向かって左に主神として高皇産霊神が、向かって右に瀬織津姫命が、高皇産霊神の社殿に向かって左の神木に倭大物主櫛甕玉命が祀られます。計3件の祭祀の中央に高皇産霊神が祭祀されることになります。
高取町史を参照すると、当社高生神社は貞観年間(859年から877年)という古い時代にすでに存在していたことが分かります。さらに町史によれば、セオリツヒメ命・オオモノヌシ神は明治末年に合祀されたとあります。 |
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高生神社において本稿筆者が興味を持ったのは、主神ではなく配祀されるセオリツヒメについてです。セオリツヒメはたいていが祓戸大神(また祓戸四柱神とも)の1神として各神社の祓戸社に祀られ、本殿に祀られるケースは多いものではありません。祓戸社とは本殿の主神に対する「従」の位置にあるわけで す。
ですが、高生神社ではそのセオリツヒメが本殿に祀られる形式になっており、そのあたりに本稿筆者が興味を持つ理由があります。
ここからは町史に記述される、おそらくはセオリツヒメを祀っていたであろう「清水神祠」なる神社について、引き続き町史を参照しながら、少しではあるけれども考えてみたいと思います。もっとも本稿筆者の能力では多分に想像を交えざるを得ないことご了承いただけましょうか。
高生神社に関連する部分を高取町史から引用します。 |
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●中央本殿 祭神:タカミムスヒ● |

*******引用始め*******
享保二十一年(1736)刊の「大和志」には「高生神祠貞観九年四月、授従五位下、昔在高取山上、天正中遷座清水谷村」と有り、考えるに天正年中は高取城の向背去就頗る頻々たる時代であったため、創建当寺は高取山上にあったものを、この頃兵乱を避けたか、城郭改修の必要かによって清水谷に遷したものと思われ、その後本日迄に四百年近くを閲した訳である。また「西国三十三所名所図会」の高生神祀の条には「清水谷に生土神二社有り、当社は東の方なり。清水神祠右村に有り、是西方の生土神にして、例祭九月九日」と有り。清水谷の名は同地の谷に清冽な清水を湧出する井の存在より発するものと思考せられるが、この井の修祓のため祓処神たる瀬織津姫命が祀られたものであろう。倭大物主櫛甕玉命をまつる天国三輪神社は、所伝によれば、元尼ヶ谷にあったものと言われ、同所には大宝年中刀匠天国が住して、幾多の名刀を鍛え、守護神として三輪大神の御分霊を享けて斎ったものと言う。 *******引用終り******* |
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引用文前段では「大和志」によって、高生神社のことを指すと考えられる高生神祠がまず貞観年間には高取山上にあり、その後の天正年間に現社地清水谷に移転したとされています。中段では「西国三十三所名所図会」(江戸期:1853年刊行)によって、清水谷には2社の生土神(産土神:うぶすなかみ)があり、そのうち高生神祀は東方のものであったとされています。後段ではオオモノヌシ神の祭祀についての経緯が解説されています。
さらに引用文中段では、東方の高生神祀に対して西方の生土神として「清水神祠」があったと記述され、清水谷に湧出する井の修祓のため瀬織津姫が祭祀されたかと推測する文脈になっています。
つまり、明治末年に高生神社に合祀されたセオリツヒメは、江戸期に高生神祠(東の生土神)とは別に存在していたであろう清水神社ともいうべき清水神祠(西の生土神)において祭祀されていたことが強く読み取れます。 |
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●向右本殿 祭神:セオリツヒメ● |
●向左神木 祭神:オオモノヌシクシミカタマ神● |

では清水神祠は元々どこにあったでしょうか。図書館などで入手できる資料からその位置を推定することは残念ながらできませんでした。
冒頭のMapion地図を拡大してご参照頂ければお分かりになるかと思いますが、高生神社の現社地は集落の東方の小高い丘陵上になり、東へ登り詰めると日本一の山城として知られた高取城(跡)があります。高生神社の西側には現在の国道169号線および1本の川が南北に通ります。この川は吉備川といい、吉備川は下流の奈良盆地で大和川水系の曽我川に合流する支流です。
国道169号線はかつての中街道であり、この中街道は清水谷の中央を南下して吉野方面へ抜けています。清水谷から吉野方向へ登りきった峠が芦原峠で、吉備川はこの峠付近を源流とします。 |
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高生神祠と清水神祠を産土神とした清水谷では、2つの神祠にはさまれた集落が交通の要衝として栄えたことでしょう。江戸期には高取城の城下町であり、漢方薬の供給地でもありました。
川の流路を見ると、高生神社からやや西、集落の南部あたりで一本の小川が合流しているのが気にかかるところです。川の曲がりや合流点は流れる水の力が顕在化する場所です。こういう位置関係を祭祀面から捉えるなら、同じくセオリツヒメを祭神とする姫大神社(奈良県天理市)や佐久奈度神社(滋賀県大津市)の立地に通じるものがあるかもしれません。どちらも川の曲がりのそばに位置します。
吉備川は源流に近いため大きな川ではありませんが、その昔は静かで美しく澄んだ川だったことでしょう。その川が流れる集落で、場所の推定はできないけれども水の力を感じ取れる場所に清水神祠が置かれセオリツヒメが祭祀されていたなら、それは「従」としての祓戸大神ではなく、「清冽な清水」に宿る力を敬い、姫神として祭祀していたのではないでしょうか。 |
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