僕の光の世界

 

目覚めた時、無数の光の粒が目の前で乱舞していた。

赤 、緑 、青の光の三原色が混ざり合い、様々な色に変化しながら空中を流れていた。
ある時は小川のように、ある時は滝のように…

世界が美しすぎて背筋にゾワゾワと冷気が走った。
目に映るもの全てがキラキラと鮮やかに発色している世界は天国と見まがうばかりだった。

あぁ、死んでしまったのかと思った。
天国では、全てが光の粒に見えるのだな…畏怖しながらも感動した。

臨死体験で色とりどりの花が咲いているのを見たというのは、この光のことだったのではないだろうか…
そんなことをぼんやりと考えていると、オレンジ色っぽい光の塊が近づいてきて僕の名前を呼んだ。
付き合っている彼女の声だった。

天国と現実は並行して存在しているようだった。
彼女が僕の名前を呼び、医者と思(おぼ)しき人が僕の身体に触れた。
僕の周りで人が動くたびに光の粒粒が色を変え、流れを変えた。

物質の最小単位は素粒子だ。あの粒粒はもしかして素粒子?
何かのきっかけで微細な物質が見える超人にでもなってしまったのか。
そんなことも考えたが、
「SFの世界じゃあるまいし」とすぐに否定した後、
「ずっと光ばかりの世界を眺めて生きてゆくしかないのか」と現実的な思考が心を少し重くした。

けれども、光が乱舞する光景はただ恐ろしいだけではなく、ときに甘美な快感ももたらした。
天国と思い違えた所以(ゆえん)でもある。

目が見えないというのは暗闇の世界だとばかり想像していたが、こういう光に満ちた世界もあるのかもしれない…
何とか納得して元の状態に戻るのを諦め始めたころ、突然僕の光の世界は終わった。

それはある朝目覚めたときのことだった。
目に見えるすべてのものがソリッドな影のある個体として存在していた。
懐かしい元の世界に戻って来たような感覚だった。

少しだけ光の世界に後ろ髪ひかれながら、半身を起こしてゆっくりと辺りを見回した。



日曜日の昼下がりのカフェ。
いつもの窓際の席で彼女とコーヒーを飲むのは久しぶりだ。
「あんなにヒドイ事故だったのに、ここまで回復できたのは神さまのお蔭ね」

彼女の話によると、1ヶ月ほど前に僕はバイク事故で生死の境をさまよったのだと言う。
僕の記憶は、車道に迷い出たネコを避けようとしたところでぷっつり途切れている。

「神さまを信じているんだ」とからかうと
「神さまにでも悪魔にでもすがりたい気持ちだったわ」そう言って彼女は笑った。
「悪魔はやめてほしいな」ジョークのつもりだったので直ぐに突っ込まれるかと思ったが、彼女は少し笑った後、コーヒーを一口飲んだだけだった。


担当医の説明によると、僕はバイクもろとも転倒した際に前頭部を激しく打って前頭葉に深刻な損傷を負ったらしい。
前頭葉は人の行動を制御する重要な部位だ。感情や言葉の機能も司っている。

「運が悪ければ、高次脳機能障害となる人もいる」医者が言った。

幸いなことに術後の回復も早く、大きな後遺症は残らずに職場にも復帰できた。

「あのネコは無事だったのかな」なぜかそのことが妙に気になっていた。
「動物は人間が思うより敏捷に動くものよ」彼女が言った。

僕が経験した程度の事故の場合、何かしらの後遺症が残るのが大方らしい。
20代という若さのお蔭なのか、打ち所がよかったのか、今のところ生活に支障はない。
手術の痕も今は髪の毛に覆われているため、洗髪の際に何となく感じる程度だ。

「前頭葉には視神経があるでしょ。私が名前を呼んだとき、反応はするけれど目の焦点が合っていなかったので心配したのよ」と彼女。
担当医からは一時的なものだろうと説明を受けていたが、失明の可能性はゼロではないと言われたそうだ。
「ほんとうに、神さまにも仏さまにも祈り続けたのよ」
悪魔はどこかへ行ってしまったようだ。

午後のテーブルには白い格子窓から暖かい陽光が降り注いでいる。その光をぼんやりと眺めながら、僕は病院で目覚めた時に見た光景を思い出していた。


「最初に僕のところに来た時、オレンジ色の服を着てた?」

「オレンジ色?」彼女は左上に視線を上げてしばらく沈黙した後
「そんな色の服、持ってたかなぁ」と言いながら僕を見た。

「あの時、オレンジ色の光が近づいてきて僕の名前を呼んだんだ」

「わたしのオーラの色かしら」

そんなことを言う彼女に微笑し、僕は光の粒を探して目に見えない空中の光を眺めた。

「そんな目をしていたわ、あの時」

僕は空中を眺めていた視線を彼女に向けた。

「どこか知らない世界が見えているようだった」そう言ってテーブルに乗せていた僕の手をつかんだ。

「もうその入口を探さないで」つかんだ手に力をこめた。

「あぁ」と曖昧に答えてそっと手を抜き、コーヒーカップを持ち上げた。

『約束はできないけれど』声に出さずに彼女を見た。

光に包まれたようなあの至福の時を忘れ去ることは多分ないだろう…
そしてまた、僕は空中に光の粒を探した。