お客さんです
治多 一子
いろんな話に、花が咲き、しらぬ間に時間がたって、会食が終わったのは夕方になっていた。玄関へ出ると、来たときには一、二台の車しかなかったのに、かなりの車が並んでいて、一流の料亭だけにほとんどが立派な外車である。私を除いてみんなそれぞれの自動車に乗り、キチンと背広を着た従業員さんにていねいに礼をしてもらって帰って行った。私だけは、勤め先から自転車で直行したから、なんということなしに帰りは一番あとになってしまった。
「お世話になりました」
とあいさつして帰るとき、私を送ってれた人は女の人たった一人であって、他の従業員さんは知らぬ顔であった。もし、私がピカピカ光っている上等の外車に乗って帰るなら、きっとていねいに送ってもらったのに違いない。一週間前に買ってピカピカしていても自転車ではダメらしい。
外車の客は別口として、私達のグループは全く私と同等の客のはずである。が、現実はそうでない、見せかけで判断されてしまい−−よくありがちだが−−ボロイ着物を着ていると人間までボロク見られるようである。
この間ある店の奥様に用事があるので、ひさびさに訪ねて話していると、そこへみすぼらしい格好をした老爺が入って来た。あまりの風体に若い女の子が応待にとまどっているのを見た奥さんは
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう」
「ふろしきがほしい」
「これいかがでしょうか」
といいながら一つひとつ親切にその人に見せると気に入ったのがあったのか一枚買った。
「ありがとうございました」
奥様は両手をひざにていねいにおじぎしてその人を送り出された。そして店員さんたちに
「何十万円の買い物して下さるのもお客さんなら、一枚のふろしきを買いに来て下さる方もお客さんです。どんな姿形をしておられても買ってあげようと思って下さるお客様は大切にしなければいけませんよ」
とじゅんじゅんと説いておられた。
一五〇円のふろしきは、その人にとってまさに金持ちの何十万円の買い物に匹敵するのである。あの老人に対する奥様の心あたたまる態度に思わず涙がにじみでてきた。そして一人息子さんが奥様のこの誠実≠受けついで立派な商人にぜひなってほしいと心から願うのである。
昭和51年(1976年)8月23日 月曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第4回)
随筆集「遠雷」第4編
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