遠雷(第5編)

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御縁を大切に

治多 一子

 友人のおいM君が、
 「お父ちゃんがクラス会に行くのいややって」
 「そう、どうして」
 「ボクあかんよってや」
 ションボリとして言った。数日後M君の父親に会ったので、M君の言葉を告げると
 「ホンマでんねん」
 こう言って次のようなことを話した。級会は当初、どこに勤めているかだったのが何年か経つと、役職が何かとなり××の課長だとか▽▽の部長であるとか言うようになった。同じ長がついても自分は町内の自治会長というだけで、その上商売の都合で単車で走り回っていると言うと友人は、
 「秀才のお前だったのになあ」
と、いささか憐みを加えて言う。最近は子供が大きくなり何処の学校へ行っているかなど言い出した。
 そこでM君の父親が嘆くのである。
 「ワタシャ自営の商売で肩書もなし、せめて子供だけでもと思っても、あれもあきませんしな、行く気しませんで」
 思えば、我々女学校の級会でも似たりよったりで、主人がえらかったり、経済的に恵まれたりしたものが集まって互いに自慢(?)し合う。指輪やその他のアクセサリーにしても随分高価なのを持って来てチラツかせる。
 友人の中には、もう二度と行くまいと固い決心をしたというのもいる。
 八月下旬私の担任した子らの級会があった。考えて見れば、四百余名の同期生の中で四十八名が同一のクラスに属するという確率は非常に小さい。まさにありがたき縁(エニシ)である。
 この子らの前途は必ずしも全員が栄光に包まれた人生行路を歩めるとは限らない。だが、机を並べ共に学び、サッカーに、バスケットに、ハンドボールに共に興じた高校三年生のよき思い出を温め、各自の身分地位がどうであろうとM君の父親のような気持ちにならずにすむように、互いに燃えて過ごした高校三年生に帰り、そして生命ある限り助けあい励ましあってほしいと心から思う。
 「肩を組んで校歌を歌おう」
 ファイトマンのN君が提唱した。みんな大声で歌った。こんなに感動的に歌ったことはかつてなかった。
 どうか御縁を大切に!
 一人ひとりに心から願いつつ私は歌い続けた。

昭和51年(1976年)9月23日 木曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第5回)

随筆集「遠雷」第5編

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