いずれみんなも
治多 一子
つもる話をしようと、みんなでおちあい、とある喫茶店へ入った。さて何を注文しようかと、Sがテーブルのメニューを取り、グッと手を前方にのばし目を細めて読み出した。
それを見てNが、若干うれしげに
「やあ、アンタも老眼になったの」
「そうよ、このごろこまかい字が見えにくくなってきたの」
「昨日もなさけなくてネ」
とNが言った。つくろいものをするため針に糸を通そうとして何度も失敗しているの見、長女のM子さんがニマッと笑ったそうである。
「もう腹がたって、M子もいずれこうなるのよ≠ニどなったけど、よく考えてみれば私も何度も母がスカタンしているのを見てドンクサイと笑ったことがあったわ」
という。また
「この間奥山へ行った時の写真みて泣けてきたわ」
とK。仲間の一人が知らない間にみんなの後姿を撮していて、出来上がった写真を見てゾッとしたというのである。
「若い子と同じスラックスはいて、さっそうと歩いているつもりだったけれど、足ののびが若い子と全然違っているのよ」
となげく。
「両足ともひざが折れてるのでしょう」
とNはあいづちをうつ。手と後姿に年齢がでるというが、自分はそうでもないと思っていても、ひざ、腰に折りたたみが始まり、既に老人性ガニマタの兆候があらわれている現実にがく然としたという。
そして今までよく、あの人エライ腰曲がって来られた≠ニか足が湾曲して来られた≠ニか噂していたのに、何時のまにかそう言われる自分になってきてなさけなくなった、とこぼす。
「本当に、みんな同じようになって行くのね」
のしんみりした誰かの声に深くうなずく我々だった。
若い時は誰しも人ごとのように思って過ごしているのだが、何時のまにか自分もまた、いやおうなしに同じ過程を辿っているのである。そう考えるとき自分より年上の人のすることをドジだとか、なさけないとか言えたものでない。
人生の先輩たちの語って下さる体験や知識を真剣に見聞きして、それを十分に生かし一日一日を大切に過ごして行きたいと思う今日このごろである。
昭和51年(1976年)11月18日 木曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第7回)
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