覚えているのは
治多 一子
「先輩が、あの先生に習ったことは何も覚えてないけど、野ツボヘはまった話だけは覚えてるって言ってましたで」
ある男生徒がわざわざこんなことを言いにきた。もっといろんなことを一生懸命教えているのに、私の友達が野つぼにはまった話だけしか覚えていないなんて……となさけなくなった。しかし考えてみると私も地理の先生のお話のなかで、カシワにされる寸前の鶏のなき声の真似しか覚えていないし、化学の先生に習った事では申し訳ないが、
「お前たちが、ダイヤモンドほしかったら、石炭を首からぶらさげとけ」
の一つだけである。
在校中、あるいは卒業した直後は、教えられた学科の内容を覚えていても、年月が経つとすっかり返してしまい、先生の脱線話だけが残るようになる。そして何気なく聞いていたことで、後日思いあたることがある。心理学の先生が、
「ワシは、カゼひく二日前に休むのだよ」
とおっしゃった。当時若い私達はゲラゲラ笑ったが、しかしその先生の年令に近づいた今はみんな、その言葉をなるほど≠ニ思うようになってきた。
D先生が数学の時間に、
「お前たち、決して嘘はつくな。一生つき通せるなら話は別だが、そんな事出来るはずがない。一つ嘘をつけば、そのため更につぎの嘘をつかねばならない。そして何時かはバレてしまうものだ」
と。
ロッキード事件に関しいろんなことが起こってきている。嘘でかため世間をだまして行く人もあるだろう。しかし、自分の良心をあざむくことは決して出来ない。
D先生の言葉は私達の成長とともに、より真実を伝えることが次第に分かるようになってきた。
優れた文学作品は読者の成長にともなって、ますます立派さが感じられるという。優れた脱線話は、その先生の人となりや、学問の深さや人生経験があらわれていて、それを聞いた人達の成長に応じて、更により深くより真実を語りかけてくる。そう考えると、どうもマズイ話をしたものだと恥ずかしくなってくる。
脱線話は実に授業以上にむずかしいものだとしみじみ思う。
昭和51年(1976年)12月12日 日曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第8回)
随筆集「遠雷」第7編
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