遠雷(第9編)

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名前が書いてある

治多 一子

 初釜も終わり楽しいふん囲気の中で帰り支度をしていると長老格の大井さんが、ふと思いついたように
 「青山さんたらね、せっかくバザーで買った先代宗匠の一行もの、帰りに電車の網棚へ忘れて、とうとうそれっきりですって」
 「マア惜しい! あの人らしいわね。でも人のこと言えないワ、私またカサ失ったのよ、もうこれで五本目」
 これをきっかけにみんなさかんにスカタンしてきた話をしている。誰しも、一つや二つはそんな体験があるからそのにぎやかなこと。と、それをじっと聞いておられた尼僧さんが
 「私も一昨日近鉄の優待券とお財布を落としたの」
とおっしゃった。どこにもいるカマイ魔の一人がすかさず
 「お金と一緒だったらもうあかんワ」
 つづいて他の一人
 「警察へお届けになりましたの」
 「いいえ届けてないわ」
とおっしゃる。
 「届けないといけませんわ、どうせ出て来ないでしょうけど」
 私も落とし物したとき、もよりの警察に届けるし、そうするのが一般の常識と思っている。聞いていた他の人達も同じ思いと見え、カマイ魔の一人がイライラして言った。
 「私届けて来ますわ」
 「いいの。届けなくたって」
 「どうしてですの、他の人使ったら困りますのに」
 カマイ魔は一層イライラして来た。
 「だって名前が書いてあるもの戻ってくるわよ」
とケロッとしたもの。私はこの人少し足らぬのではないかとあきれてしまった。みんなも同じ思いか顔みあわしてしまった。
 だが、帰途私は、あの方の言葉を思い出し、間違っていたのは私達だったのではないかと気づいた。
 自分の持ち物には名前をつけよと言われ言って来た私達、教室や学校内で落とし物があれば必ず持ち主に届ける。あの尼僧さんにとっては社会も教室も同じで、落とし物を拾われたら持ち主に届けられるし、御自分のも名前がついているから戻ると考えられ、悪用されるとか、盗られるとかは思いもよらぬことなのだろう。
 足らない人と思った私は恥ずかしい。どうか正直な人に拾われて、無事お手もとに届くようにと心から祈った。

昭和52年(1977年)1月22日 土曜日

奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第9回)

随筆集「遠雷」第8編

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