プロにはかないません
治多 一子
先日オーストラリア縦断の旅に出るといって、その直前K君が私のところに立ち寄った。K君は高校の3年間、バスケットボール部員として、クラブと勉強を両立させた立派な生徒であった。
大学へ入学後、すぐ自動車クラブに入り、そこでモーレツな訓練に耐えてがんばっている。今度多くの部員の中から選ばれてオーストラリアの大学との交歓も兼ね、自動車での大陸縦断の遠征隊に参加することとなったのである。
K君のクラブは、多くの大学中車の整備技術及び運転技術≠ノおいて何度も全国制覇をなしているという。
「ボク達は左右それぞれ5ミリメートルぐらいしかあいていないところを運転しますよ」
すっかり感心した私は
「あなた達だったらタクシーの運転手サンになれるでしょうネ」
というとK君は
「ボク達は所詮アマチュアです。一見どんなに荒っぽく見えても、タクシーの運転手は実にうまいです。絶対けがしないように運転しますよ」
「へえー、そんなものなの」
「ボク達、プロにはとてもかないません。やっぱりプロはプロです。」
全国の大学で一、二位を争う実力があっても、プロとの差を明確に認めるK君である。自分の力を過大評価せず謙虚な彼に、一まわりも二まわりも成長した青年の姿を見出し大変嬉しく思った。
自分の車にお客さんを乗せる運転手サンは、そのお客さんの生命を預かって走るのである。それだけに、職業として生きてゆくあの人達に対して、いかに技術的にすぐれたK君たちでも遠く及ばないものがあるのだろう。
ふと、自分をふりかえるとき、実に長い間教師≠し続けてきたのであるが、若き生徒を預かり彼らが次の世代を担う立派な人間に成長するために、単なる知識の伝達だけでなく、ちょうどお客さんを乗せて走る運転手サンが、一瞬とて気を抜くことはなく全神経を使うように、生徒を導いただろうかと考えると「私は教師のプロです」とは到底胸をはって言えたものではない。
K君の清々しく若人らしい顔を見ながら、この子に教えられたなあと思い、立派な教師のプロ≠ノなるよう努めなければ…と心に言いきかせた。
昭和52年(1977年)4月21日 木曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第12回)
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