Y夫人
治多 一子
Y氏「ワタシの名刺入れ知らないかネ」
夫人「存じませんよ」
Y氏「オ母サンは何でもしまい忘れてしまうから困るよ」
夫人「オ父サンこそ何ですの、いくら急いでいるからといって土足であがらなくてもいいでしょう」
Y氏「知らんよ」
夫人「タンスの引き出しはあけっぱなしだし、ほんとうにもう!」
Y氏「そんなことしてない」
話の合わない二人は、やっと、留守中泥棒に入られたのに気がついた。警察へ連絡すると、まもなくやって来た巡査に、
「現場はそのままにしておいて下さい」
と厳しく言われ、夫人は、
「だって主人がしたと思って頭にカッカきて、すぐ掃除しました」
自分が買い物に出かけたあと、Y氏が忘れものをして戻り、気のせくまま靴をぬがず家の中を探し回ったのだと思い込んだのである。
泥棒に土足で歩かれ、タンスをひっかき回されていても、泥棒に入られたとは露思わず、落ち着いた立派な紳士、Y氏の仕業にしてしまったのである。
以前の事になるが、例の三億円事件のニュースが伝えられたその晩、夫人は奈良から当時一橋大学に在学中の息子さんにわざわざ長距離電話して、
「三億円盗ったのはお前ではないか、そうだったら一刻も早く自首しなさい」
と言ったことを私達は知っている。その後帰省した息子さんのN君は、
「おふくろサンよ、もう少し息子を信用してほしいネ」
と苦笑いして言っていた。
Y夫人は決して他人の子供を非難したりしない。何事かあった時、本気になって、
「うちのあの子が悪いのですよ」
といつも言う。
世の中には、自分の子に限って、あるいは家の者はそんな事するはずがない、悪いのは我が子の友達であるなどと、とかく他人のせいにする。
自分のしまい忘れた物でも盗られた? 家族が戸を締め忘れていたのを、泥棒が入ったのではないかと往々にして思う。
Y夫人の事を聞いて笑いながらも、いまどきこんな珍しい生まれたままの、善良な人が私達の仲間にいるという事は、とても嬉しく愉快なことだと思った。
昭和52年(1977年)5月17日 火曜日
奈良新聞のコラム「遠雷」に掲載(第13回)
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